第18話 狂った愛に、名前をつけよう


この和室に流れていた静寂に対して、発言権を得ているのはクインただ1人だけだった。

つまるところ、彼女の口先に注目が集まるのである。

魔王と言われたその人物と、猫の姿をした俺は、そういう状況であった。


そして遂に、静寂が破られた。




「──仰っている意味が、わかりません」




クインは想像通りの言葉を、想像通りの表情で言った。

無論、彼女の顔に映っているのは困惑と恐怖。そんな表情だ。


魔王はクインの言葉と表情を見て、ひとつ、咀嚼するようにうなづくと、今度は自分が話す番だと言わんばかりの表情で続けた。

その時の声はやはり、師匠のモノと全く同じだった。




「──我らが魔王軍は、衰退の一途を辿っておる」


魔王はそんな話の切り出しで、さらに続ける。

彼は組まれた腕を解き、あぐらをかいている膝の上にドッシリと置いた。


「……まぁ、つまりな。魔王軍はもう、人間の膨大な力に抗えんようになっておるんじゃ。何千年か続いた魔王軍と人間との均衡が、崩れてしまってのぉ」


「……それで、どうして私を魔王軍に?」


クインの純粋な疑問と、俺の疑問は一致していた。

そもそも、クインを戦闘力に換算するということは不可能。


じゃあ、戦力以外での加入?


となると……人質だとか、外戚だとか、そういう複雑なワードしか浮かばない。

どちらにせよ、クインは物のように扱われているだろう。


なんて、俺が頭を捻っていると、魔王は申し訳なさそうに呟いた。


「──和平だよ」


そう言った彼の表情は、死ぬ寸前の師匠と同じだった。

いつもみたいな覇気はなくて、風前の灯火のような弱々しい表情。


そして、彼は同じ表情のまま続ける。


「……少し、回りくどい説明じゃが聞いておくれ」


「……」


無言ではあったものの、クインはこくりとうなづいた。

それを見て、魔王は話の続きを口にする。


「近々、ワシが1番信頼しておる男を魔王に任命する予定なんじゃ。そして、その男とキミとを……婚姻させてもらいたい」


「っ!? そんなっ──」


クインが声を荒げるとすかさず、魔王が宥めるように言葉を続けた。


「まぁ、もう少し落ち着いて聞いてくれ。……ワシも、この話は飲み込みたくはない。……だが、そもそもコレは、キミのお父さんから言い出したことなんじゃ」


「──父が?」


クインは絶句する。

俺を抱きしめる力を強めて、何かを堪えるように。


「……あぁ、間違いなくキミのお父さん──カケダーシ王からの提案じゃ」


魔王の念を押すその言葉は、クインに現実的な絶望を与えた。

その証拠にクインは俯き、そして涙を流す。

俺の頭にポタポタと、大粒の雫が滴った。


「……いやですっ。……男の人がっ、苦手な私にっ……そんなのっ」


クインの、嗚咽混じりの言葉。

それらを黙々と受け止める俺と魔王の2人。

何を、どうしようもなく、ただひたすらに時間が過ぎてゆく。


「──やだっ! 結婚なんてしないっ! やだやだやだっ……やだっ!」


もはや、クインの大人びた姿は瓦解している。

今は、内側に潜んでいる子供じみた感性が、彼女を支配していた。


魔王は困ったような顔をして俺を見つめる。

……まるで、俺が人間であることを知っているかのように。


「──なぁ」


話しかけられた?

いや、俺は猫だし、魔王であっても古代魔法は──


「──どうする? モルト?」


魔王は、俺の瞳をしっかりと見つめてそう言った。

俺は驚きすぎて、呼吸することすら忘れる。








「──ねぇアイリス。……これ」


馬車から離れて座り込み、泣きじゃくっているアイリスに、ヤミィが何かを摘みながら近づく。

ヤミィが摘むそれは、黒色の線のような物だった。


「……なに、それ?」


そう言って顔を上げるアイリス。

彼女の目は赤く腫れてこそいるが、あまり湿ってはいなかった。

涙はもう、枯れるほど流した後である。


「これ、モルトの毛。馬車の中にいくつか落ちてた」


「……モルトの形見ってこと? ……ふぅん」


アイリスは毛をヤミィから受け取ると、愛おしそうに見つめる。

その時の表情はなんとなく、可愛いものを見る時とも違っていた。


「……ヤミィ、ありがと。私これ、大切に──」


アイリスがそう言い切る直前、ヤミィは軽く頭を振った。


もちろん、縦ではなく横に。

彼女はアイリスの発言を否定したかった。


「形見じゃない。それ、手がかり。……モルトを、見つけるための」


「……手がかり? ……もう死んでるのに?」


ヤミィはアイリスのその問いかけに、強く首を振った。

その姿は、普段はクールなヤミィであるからこそ、アイリスの目には印象的に残った。


「あの転送魔法は、完成形。……古い魔導書で読んだ」


「……?」


アイリスはよく分からず、首を傾げる。


完成された転送魔法だから何なの?

結局、その魔法に巻き込まれた時点で人間は……。


と、この世界の常識的な想像をしていた。


逆に、ヤミィはそんなアイリスの姿を見てさらに続ける。

分からなくてもいいから、モルトが生きている事だけは伝えたかった。


「──モルトは生きてる」


「……ねぇ。それ、ホントに言ってるの?」


アイリスの、高揚の籠った声。

しかしながら確信が持てず、絶望との狭間で揺れ動く心情。

目の前にいるヤミィから、あと一言欲しい。

確信の持てる何か、とてつもなく大きな一言が……。


そして、ヤミィは続ける。


「……うん」


「──っ!?」


ヤミィは冗談を言わない性格だ。

それに、モルトの事がこの世で1番好きだから、より一層、彼に関する冗談なんて言わない。


そんな彼女がはっきりと『モルトは生きている』と言った。


アイリスにとって、これ以上の言葉はいらない。

彼女もまた、モルトを大切に想っている人間の1人なのだから。


「──ねぇ! フロン!」


アイリスは、門の近くでうずくまるフロンに駆け寄った。

自身が受注したクエストで仲間を失うという、最悪の失態を犯した彼女の元へ。




「……アイリスさん、……すみません。もう少し1人に──」


「モルト! 生きてるって!」


「……えっ?」


「だからっ! モルトが生きてるのっ!」


フロンは聞こえなかったわけではない。

ただひたすら、アイリスの言っている事が理解できなかっただけだ。


それも理解は裕に可能だ。

パーティメンバーから慰めの言葉を貰うのか、と思って構えていた彼女に対して、とんでもない事実が飛んできたのだ。


大抵の人間は思考が停止する。


「──それ、嘘じゃないですよね? 流石に嘘だった私、死んじゃいますよ?」


「あーもっ! ……ヤミィ! アンタの口から言ってやりなさいっ!」


アイリスは振り向き、ヤミィにそう告げる。

するとヤミィはトテトテとフロンの前まで駆け寄ってきて、さっきと同じことを彼女に対して説明した。


「じゃあ、モルトさんはっ──」


「うん。おそらく、クインと一緒に別の場所にいる。そして、生きてる」


「そうなんですねっ! よかったぁぁぁぁぁ!」


フロンは、先ほどよりも多くの涙を流す。

そしてヤミィに抱きつくと頬を擦り寄せ、赤子のように甘えるのであった。

アイリスは、そんな彼女を見て苦笑い。


とまぁ、なんやかんやあって、全員が状況を咀嚼した。




──あれから少し、時間は流れた。




太陽は傾き、オレンジ色の光をトナリーノの街に共有する。

そして宿屋のとある一室では、モルトが生きていると言う事実を共有した三人。


三つのベッドに各々が腰掛け、話をしていた。


「「──魔王城!?」」


アイリスとフロンの声は重なる。

そして犬猿の中なはずの彼女たちであるが、流石に感覚は同じだ。

2人は魔王城という、最高難易度の攻略対象に目を見合わせる。


その後、アイリスが純粋な疑問を投げかけた。


「──待って。そもそも、なんでモルトの居場所が分かるわけ? 追跡魔法はかけてなかったはずよ」


「それは──」


と、ヤミィが説明しようとしたところを、フロンが遮る。

やれやれといった様子で、彼女は続けた。


「いやいや、アイリスさん。その追跡魔法は、クイン様にかけていたじゃありませんか。だから、ヤミィさんはクイン様の居場所から、モルトさんの居場所を──」


「──違う。追跡魔法は弱い。せいぜい、街1つくらいの範囲しか追跡できない」


ヤミィの反論に、フロンは不意を突かれたような表情を。

対してアイリスは、ニヤリと笑って続ける。


「……そうらしいわよ?」


「えっ? でも、じゃあなんで──」


フロンとアイリスは、ヤミィに視線を送った。

やはり犬猿の中であれど、根本的な感覚は同じである。


ヤミィはポカンとして、その後、当然の事柄かのように続ける。




「……モルトの匂いと、私の本能。……モルトが何処に行っても、見つける」




そう言って優しく微笑むヤミィ。

彼女の瞳は、子供のように純真無垢だった。


だが、アイリスとフロンはそんな彼女を見て一筋、背中に氷魔法が走るような感覚に襲われた。

2人とも確かに、モルトを大切に想っているのは事実ではあるが、ヤミィほどの追跡能力を持ち合わせているわけではない。


故に、2人の頭にはひとつだけ、事実が浮かび上がるのだ。


ヤミィは人間を超越した狂愛を、モルトに注いでいる。

彼が何処にいてもすぐに分かるし、彼が猫になっても話す言葉を理解できるし、彼がどれだけ醜態を晒そうとも愛し続けるし。


ヤミィそれは、愛と呼ぶには狂っていて、狂気と呼ぶには愛しんでいる。


だからきっと『狂愛』と呼ぶしかないのだろう。

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