第14話 1人じゃなくて、パートナーと
「──はっ、はっ、はっ」
流石に疲れてきた。
湖からずっと全力疾走してきたのにも関わらず、フロンさんを抱えているとやはり厳しい。別に、彼女が重いとかではない。
チラッと後方に目をやると、澱みのない走りを見せるバグの姿があった。
「フロンさんっ……早くっ。……このブレスレットっ。……外して下さい」
「……その、鍵。私も今、探してるんですけど──」
「──俺、もう限界ですから。早くっ……!」
俺は視線をバクから、フロンさんへ。
そして視界の中心に捉えた、彼女の申し訳なさそうな顔に、背筋が凍る。
「たぶん、家に……」
「──鍵が?」
笑えない笑えない。
俺が今走ってるのは、人の少ない王国の脇道。
そしてフロンさんの家は魔法練習場の裏手……ここからは、かなり離れている。
フロンさんを抱えて、尚且つバクに追いつかれない速度で走って向かうなど、不可能と断ずる他なかった。
しかしながら、フロンさんはゆっくりとうなづき、丁寧に言葉も付け足す。
「……はい」
「──いやぁ、大ピンチですよ」
アイリスとうだ……?
彼女は俺を、どこからか追ってきてはいるだろう。だが、バクとの正面からの戦いで勝てるかは怪しい。
ヤミィは杖を奪われたので、戦力に換算してはいけない。
そしてこの道に、利用できそうな店は……武器屋くらいか。
あそこで武器を調達して、それを使ってアイリスと戦えれば、勝算はある……な。
「──窃盗って犯罪ですよね?」
「……はい? 当たり前のこと──ふぇ!?」
犯罪だと言うのなら、目を瞑ってもらうしかない。
俺はフロンさんの抱え方を変え、肩で俵を担ぐように彼女を抱くようにした。
彼女の顔は俺の背中にあり、彼女のお尻が俺の前に来ている。
こうすれば窃盗の決定的瞬間を見られることもないし、片手が自由になったから剣を振れる。
あとは一瞬で、仕事をこなすだけ。
カランコロンカラン……
運の悪いことに、武器屋の扉を開くとそんな音が鳴った。
まさかあの、客の入店を知らせるやつに邪魔をされるとは……。
すると店の奥から店主らしき人が顔を覗かせ、こちらに近づいてくる。
「いらっしゃいやせーっ! 今日はどんなご用件で──あっ! ちょっとお客さんっ!」
「モルトさんっ!? 今何しましたっ!?」
「ゴンさんっ! ゴンさん泥棒だっ! 追っかけてくれっ!」
フロンさんは騒ぐが、背に腹は変えられない。
店主が裏方に声をかけているうちに、俺は店から飛び出した。
バクのいる方向を見ると、まだギリギリ追い付かれてはいなかった。
「──ちょっと! 私見てましたからねっ! それ、犯罪ですよっ!」
「後で代金は払いますっ! とにかく今は、武器がないと死んじゃうからっ!」
そうやって言い争いながらも、俺は走り続ける。
武器を調達した今、あとはアイリスの居場所さえ掴めばいいのだが……。
と、周辺をくまなく見てみるが、彼女の影も形もなかった。
フワッ……
突然、足が地面から離れる。片足ではなく、両足。
みるみる高度は上がってゆき、やがて周辺の家屋を見下ろすような高さへ。
俺はようやくその異常性に気付き、顔を上げた。
そこには財宝ダンジョンに囚われていたドラゴンの腹が。
少し前方に視線をやると、顔が。
ドラゴンは人間の言語で尋ねる。
「──師匠、追われているのか?」
「……そう、ですけど」
なぜ?
どうして財宝ダンジョンの時のドラゴンが?
「──分かった。店長には後で、『不可抗力だった』と我から説明しておく。それよりも現状を知りたい」
店長?
さっきの武器屋の?
……あぁ、そういえば『武器屋を経営したい』とかなんとか言ってたっけか。
「……今、俺はバクに追われています。ヤツを倒すための武器は、さっき調達しました」
「──ふむ。我はどうしたらよい?」
「とりあえず、フロンさんを安全な所へ避難させてください。俺は落としてもらって大丈夫です」
「──了解だ」
俺の指示を飲み込んだドラゴンはすぐに、俺だけを離した。
フロンさんは逆にしっかりと、前足で抱えている。
その事を確認したのち、俺は改めてバクの注意を引く。
「──
俺が火球を創り出すと、下にいたバクはコチラを向く。
そして、口をゆっくりと伸ばして、火球に食らいつこうとしてくる。
「──今しかねぇだろっ!」
一直線だ。
口を伸ばしたバクは、俺の一太刀で真っ二つに出来るような状況だった。
「どぉりぁゃゃゃゃ!」
俺は自由落下の速度も利用して、バクの真上から剣を振りかざす。
全身全霊とはまさにこのこと。
思い通りにいかないことばっかりだけど、今の俺にできる最大限をやるしかない。
そうやって足掻いて足掻いて、生き残っていくんだ。
「──ははっ」
……俺は、バクを切りつけながら着地した。
──ピシッ
その音を皮切りに、俺が握っている剣は粉々に砕け散る。
目の前に広がる、傷ひとつついていないバクの巨体を見上げて、前世のことが浮かんだ。
あぁ、これが絶望だよ。
俺に出来ることをやったって、俺が強くなったわけじゃないし。
相手が俺よりも強かったら、それはどうする事もできないし。
だったら最初から足掻かなくてよかったんじゃないかって、いつも思うよ。
……こういう時。
バクは俺を見下ろして、ゆっくりと口を伸ばす。
ゆっくり、そう、ゆっくり。最初からコイツは必死じゃなかった。
強者であるという自覚からくる、圧倒的余裕がヤツにはあった。
俺は迫り来る2回目の死に……目を閉じた。
「──ばかっ! 諦めるなっ!」
バクの更に後方から声がした。目を開ける。
声の主の姿は見えないが、それがアイリスである事は分かっていた。
光がさすように、その声は聞こえた。
「ヤミィ! お願いっ!」
「……りょーかい。──
「モルトっ! さっきみたいにアイツを一直線にさせてっ!」
「……」
「──モルトっ!」
「……もると」
アイリスと、ヤミィの声。
姿は見えないよ。……だって、涙が邪魔してる。
俺のぼやけた視界のその何処かに、2人の姿はあった。
俺は……もう……1人じゃない。
「…………うん。──
掌に創り出した火球を、空にブン投げる。
それは高く高く飛んでいって、バクの口先を少しずつ上へ誘う。
そして火球とバクの口先が頂点に差し掛かった頃、もう一つの影が上空に現れた。
アイリスは真っ赤に染まった剣先を空に突き出し、そして振り下ろす。
さっきの俺みたいに、自由落下の速度を利用してバクを斬りつけた。
……派手な音は鳴らない。
……静かに、アイリスは着地した。
……そして、ぐらっと傾くバクの巨体。
ドシィィィィィィン………!
ここでようやく、派手な音は鳴り響いた。
バクの体は二つに割れて、双方が砂埃を伴いながら地面に倒れる。
もちろんそのあとは、全く動かなかった……。
こうして俺たちは、討伐報告をするためにギルドに向かうのだった。
ギルド内は、大勢の冒険者で賑わっていた。
「──もう、泣かないでよ」
アイリスは呆れつつも俺の頭を撫でる。
そこに母なる姿を垣間見た俺は、アイリスの沼へと落ちてゆくのだった。
「……アイリスぅぅ。結婚してくれぇぇぇ……。毎日守って、ずっと一緒にいて……」
「……結婚はしないわよ」
「ぅぅぅぅぅ……」
婚姻失敗。
アイリスの慎ましき胸の中、俺は泣く。
もはや俺は、感情のネジが外れてしまったかのようになっていた。
「モルト、結婚なら私が。……ほら、こっち」
と、ヤミィはアイリスから俺を奪い取る。
そして自身のフワフワな胸に、俺の顔を押し付けた。
さらに頭も撫でてくれる。大盤振る舞いだった。
「──ぅぅぅ、柔らかい」
「アンタ、実はそこまで泣いてないでしょ……」
「……」
そんなことはない。
ちゃんとさっきまでは絶望してたし、今も母性を求めいている。
が、少し余裕が出てきたのも事実だった。
「すぅぅぅぅ、はぁぁぁぁぁぁ」
だから、ゆっくりと深呼吸をして落ち着く。
他意はない。本当だ。
「ヤミィ! ソイツを離しなさいっ! 甘やかしたらダメよっ!」
「やだ。モルト泣いてる。かわいそう」
「かわいそうじゃないっ! 可愛くないっ! ソイツはただの変態だからっ!」
「……すぅぅぅ、はぁぁぁぁ。……え?」
「ほらっ!」
「よく、わからない。モルトは悲しんでる……」
よしよしと、ヤミィは俺の頭を撫でる。
クラクラしてしまう程に優しいその掌に、俺は満たされていく。
これが永久機関かと、ここが天国なのかと、そう思う次第であった。
「──あの、みなさんお揃いですね?」
フロンさんの声。
俺は一瞬で普段通りの姿勢に。
「はいっ」
隣でボソッと「切り替え早っ……」と聞こえたが無視する。
アイリスの戯言だ。俺は本当に傷ついていたのに。
「ええっと……まずはバクバク・バクの討伐、ギルド職員を代表して感謝いたします。ありがとうございました」
「まぁ、私たちなら余裕よね」
と、アイリスは鼻高々にそう言った。
今回は彼女が大活躍したゆえ、俺にはそれに突っ込む権利がない。
スルーを決め込むこととした。
そして全てが終わった後に、フロンさんが歯切れの悪い表情をしている。
どうやら俺たちは、また何かしらをやらかしたらしい。
彼女は案の定、話を続ける。
「……それでですね。今回、バクバク・バクがかなり街を破壊してしまいまして。その負債が──」
「また借金かよ……」
と、いつもの流れかのように思えた。
「いえ、その負債分はバクバク・バクの討伐報酬で賄えます。……というか、お釣りが1000万ゴールドほど帰ってきます」
「えっ!? 最高じゃん!」
「思ってたよりも、報酬は貰えるのね……」
「モルト、やったね」
と、俺たちパーティに歓喜の色。
しかしながら、フロンさんは未だに暗い表情をしている。
「──その、今回のバクバク・バク襲来に関しましては……ギルド会議を行った結果……私の責任という結論に纏まりまして……」
もう、彼女は泣きそうだった。
目の下には決壊する前の涙が溜まっていて、震えている。
そして、フロンさんは続けた。
「ですので私、今物凄い借金を背負ってます。……だからお願いですっ!」
フロンさんは頭を下げた。
その様子には必死以外の色なんてなくて、当たり前だが、ドッキリでもない。
「私を皆さんの、パーティ専属受付にしてください! 図々しいお願いだとは百も承知ですっ! でもっ! あんな借金っ……無理ですっ! 返せませんっ!」
何が起きているのか。
そしてその言葉の意味がなんなのか、理解するのには時間がかかった。
が、それを咀嚼できた頃には、迷いなど皆無に等しかった。
おそらく、ヤミィもアイリスも同じだろう。
『パーティ専属受付』
高ランクのパーティには、高ランクのクエストを受注してもらう必要がある。
しかしその際に、そのパーティと相性の悪いクエストを受注されても困る。
強いパーティがギルド自体の財産であるからだ。
そこで設けられたのがこれ。
パーティ専属受付が、そのパーティと相性の良いクエストを集めて、パーティメンバーに提案する。
もちろん、パーティ専属受付もパーティメンバーとして扱われ、ギルドからの収入がなくなる代わりに、クエストの報酬を受け取ることができる。
全ギルド職員の目標が、強いパーティのパーティ専属受付になることであるのは言うまでもない。
──シンと、静まり返るギルド内。
特にギルド職員からの視線が激しく突き刺さる。
彼らは皆、フロンさんの背中を見つめていた。
アイリスが次になんと言うのかにも、注目は集まる。
そして、遂に、その時は来た。
「──いいわよ。じゃあ、明日からね」
「えっ?」
あまりにもあっさりとした返答。
フロンさんもみんなも、何が起きたのかのか一瞬理解できなかった。
が、それも一瞬。
やがて祝福の渦がギルド内を支配した。
「うぉぉぉぉぉ!」
「フロンさんおめでとぉぉぉぉ!」
「みんなっ! お幸せにっ!」
とまぁ、結婚かよと言いたくなるだろうが、あながち間違ってはいない。
パーティ専属受付とパーティとの関係は、まさしくパートナー同士であるからだ。
そう、俺たちとフロンさんとの関係は、この先も末長く続くのである。
──もちろん、この日の酒場は満席だった。
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