第12話 綺麗なあの子を襲っちゃう




近くの湖までは、そこまで時間はかからなかった。

太陽はまだまだ高い位置にあったし、足の疲れも感じていない。


肝心の湖はというと……まぁ、現実的なものだった。

透き通るような青色だなんてものではなく、ちょっと濁った緑色。

考えてみれば確かに、クロコダイルが生息するには適している水質だった。




「──ねぇ、もしかして、ここに入るの?」


アイリスは湖を目の前にして、戦慄していた。

彼女顔には「もっと綺麗だと思ってた……」としっかり書かれている。


「当たり前じゃん。クロコダイルを討伐するんだし」


「──うん。当たり前」


俺とヤミィはせっせと靴を脱ぎ、靴下も脱ぐ。

履いているズボンの裾が水面につかないように、クルクルと巻き上げる。

燦々と照りつける太陽の元、湖に入る心構えと準備は完璧だった。


それなのに、アイリスは後ろで俺たちを眺めている……だけ。


「あっ! 私、大富豪さんに挨拶しに行かなきゃっ! そうだ忘れてた!」


「……おい、逃げる気か?」


「逃げないわよ! ちょっとだけ、ちょっとだけ挨拶に行くのっ!」


「──あそこに?」


俺が指差した方向の、ものすごーーーーーく向こう側に豪邸があった。

ここから歩いて向かえば1時間はかかるだろう。


「うんっ! じゃ! 2人は頑張って!」


「はぁ!?」


そう言って颯爽と去るアイリス。

彼女の背中は美しく、泥の一粒も付いていない。

潔癖症というやつであろうか、いや、汚れるのが嫌なだけだな。


……新しい剣が、キラキラと光っている。


アイリスはそんな新品の剣を握り締め、豪邸へと駆けて行った。

それを見つめる俺とヤミィはと言うと、さっき脱いだはずの靴下と靴を履き直す。

軽くため息を吐きながら、話を続けるのだった。


「アイツ、クロコダイルの習性を知らないの?」


「……さぁ? でも知ってたら、あんなことしない」


「……そうだよなぁ」




『クロコダイル』


ヤツらは汚い湖に生息してこそいるが、実は綺麗好き。

鱗一つ一つの形を綺麗に整えるし、歯を磨く個体だって存在するほど。

そんな彼らが率先して狙うのは、汚い獲物よりも綺麗な獲物。


……つまり、アイリスの持っている新品の剣なのだ。




ドドドドドドッ…………




湖の中から大量のクロコダイルが飛び出す。

ヤツらの進行方向にはアイリスの背中があった。

誰がどう見ようと、狙いは一目瞭然。



「──アホだな」


「そうだね。……アホだね」



クロコダイルの群れを追うように、俺とヤミィは走り出した。





高台に着くと、その下には草原が広がっている。

そして、アイリスとクロコダイル達の楽しそうな、鬼ごっこの光景があった。


「──やだっ! こないでっ! ちょっと2人ともっ、やっつけてよっ!」


アイリスもようやく、クロコダイルに追われていることに気づいたらしい。

……が、やはり剣は使いたくないらしく、クロコダイルという瞬殺できるような相手なのに逃げ回っている。

彼女は大量のクロコダイルを引き連れて、グルグルと同じところを回っていた。




「私のドラゴンソードはっ! ドラゴンしか斬れないのっ!」


そう言って逃げ惑うアイリス。


無論、彼女が持っているのは普通の武器屋で普通に売っている代物。

『ドラゴンソード』などという、立派な名前は付けられていない。


「アイリスー! そんなプライドはいいから、さっさと倒してくれっ!」


俺が大声で呼びかけると、怒号が返ってくる。

いうまでもなく、アイリスからの。


「モルトが倒しなさいよっ! 私の剣はっ! こんな雑魚に使えないのっ!」


「あっそ! だったら一生追いかけられてろっ!」


「──それもいやだーーーっ!」




ドドドドドドドッ!




アイリスと、クロコダイル。

彼らは一定の距離を保ったまま、今も回り続けている。

そして、またもやアイリスからの怒号が俺たちの方に飛んできた。


「ちょっと! いい加減に──ヘプッ!?」


「……あっ、コケた」


「……うん、コケたね」


草原の真ん中で、綺麗に転けたアイリス。

前のめりに倒れて、顔面を地面に擦り付けている。

これでついに追いかけっこが終わるのかと眺めていたのだが……。




ドドドドドドドッ!




「──なぁヤミィ。アイツら、こっちに来てないか?」


「来てるよ。だって、今は私たちの方が綺麗だから」


「……なるほどなぁ」


ギラギラと光る、クロコダイルの瞳は俺たちをまっすぐ捉えていた。

彼らは一直線に向かって来ていて、アイリスのことなど眼中にもなかった。

そして俺とヤミィは高台から、クロコダイルのいない方へ駆け降りるのである。






燦々と注ぐ太陽の光は、草原を明るく照らす。

短い草はそれに歓喜して体を元気に揺らし、太陽への感謝を伝えていた。

こういう日を『ピクニック日和』と言うのだ。




それは心地よくて、そして朗らかな1日…………か? 




これが?




ドドドドドドドッ!




「──アイリス! 助けてくれっ! さっきの事は謝るからぁ!」


「えー!? なにー!? ぜーんぜんっ聞こえなーい!」


現在、アイリスと俺たちの位置関係は全く逆になっている。


アイリスは高台に鎮座。

クロコダイルから逃げ惑う俺とヤミィを見て、高らかに笑っている。

そんな彼女の顔面にはたっぷりの土が付いているが。


……くそっ。

このままだと俺とヤミィは、クロコダイルの餌になってしまう。




「──ヤミィ、魔法は使えないのか!?」


「生憎、使えない。走ってると狙いが定まらない。せめて止まってから、10秒ほどの時間が欲しい……」


「……そうだなぁ」


俺もこのブレスレットのお陰で魔法が使えないし、師匠の剣もフロンさんの家に置いてきてしまった。

というか、アイリスに倒してもらう予定だったのに、アイツの変なこだわりのせいで台無しだ。


「──くそっ、どうすれば」


「モルト……もしかして私達、万事急須?」


ヤミィは自身の杖をキュッと握って、聞いてくる。

彼女の瞳は未だに、冷静さを失ってはいなかった。

……が、同じく彼女の震える声色からは、不安も読み取れた。


「──あぁ、万事急須だよ。……絶賛な」


この時、俺とヤミィは知らなかった。

クロコダイルの群れの最後尾に、もっとヤバいモンスターがいるという事を……。

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