第2話 2人の初めて
一つ、外の世界に出る方法が分からない。
これは重大な問題だった。
そもそも俺自身が10数年育ってきたこの森ですら、満足に探索できていないのに、その先のことなんて分かるはずもない。
これはっっっ!
いわゆる、迷子である。
師匠っ!
森の歩き方くらい、教えてくれても良かったのではっ!?
「きゃぁぁぁぁっ!」
そうやって心の中で騒いでいると、突然、女の子の悲鳴が聞こえてきた。
正面から少し右。時計で言えば、一時の方向。
木々で視界が遮られてはいるが確かに、何か動くものが見えた。
キラリと光るものと、黒い翼が舞うように動いている。
あの光るものはおそらく悲鳴の主が携えているものだとして、あの黒い翼は?
……ブラックドラゴンにしては小さすぎる。
要するに、俺の知っているようなモノではない?
……やはり、世界は広いのだ。
たった数時間、この森で彷徨うだけでも未知との遭遇。
……ってことは、きっと、これから先、いろいろなモンスターと対峙するのだろうな。
そんな思考を巡らせながら、俺は悲鳴がした方向へ走った。
「──きゃあ! きゃわわわわわっ! ブラックドラゴンの子供!? かわいすぎゆぅぅぅっ!」
「……?」
こういう展開、相場では女の子が襲われているのでは?
……逆では?
てか、ブラックドラゴンの子供?
そんなのいるのか?
……だけども、この状況、俺の目には『女の子がブラックドラゴンの子供?を襲っている』ようにしか見えない。
それになにか、見てはいけないモノを見てしまったような気分だ。
「きゃわわわっ! きゃわっ! きゃわ…………は?」
すると突如、女の子と目が合う。
それと同時に彼女、さっきまでの「きゃわわわっ!」って雰囲気を一変させた。
「──あっ、どうも」
しばし、沈黙が森を駆け巡る。
この瞬間だけは、鳥も、熊も、そしてドラゴンすらも、まるで世界から消えてしまったかのように、俺と彼女に見つからぬように、身を潜める。
「……みた?」
「いいえ、なんにも」
やはり、アレは見てはいけないものだったか。
そうとなれば取るべき行動はたった一つ……。
俺はクルッと踵を返し、そそくさとその場を後に──。
「嘘、見てたでしょ。知ってるのよ」
踵をクルリと回した俺。
しかし、その正面。
なんと女の子が目の前に立っているではないか。
まるでホラー映画のワンシーン。
なーんて……ちっとも洒落にならない状況である。
彼女は徐に、腰に携えている剣を引き抜いた。
「……罪のないアナタには悪いけど、死んでもらうわ」
「──は?」
それは、瞬きよりも速い一撃だった。
ブワンッ!
彼女が意味深な発言をしてくれたから、なんとか身構えることができた。
その結果の回避、コレは奇跡としか言いようがない。
もし、この子が無言で切り掛かってきていたら……。
俺の首と胴体はさよならだ。
俺の頭の上を弧を描きながら、とてつもない速度で通過した彼女の剣先を思い返して、心底そう思う。
「じゃあ次っ! 縦っ!」
一撃目と二撃目のインターバルなんて、ほとんどない。
さすがに俺も、自分の腰に携えている剣を使わずにはいられなかった。
ガキンッ!
剣先と剣先が十字にぶつかると、火花が散った。
師匠と戦った時ぶりの経験で、心臓がドクドクと脈打つ。
外の世界、すごいなぁ。
文字通り『火花が散る』勝負なんて、長いことやってなかったから。
「まぁ、これくらいの攻撃、対処くらいできるわよね? ……分かってはいたけど、あなたも剣士。うん、でも残念、本当に残念……」
彼女は、死にゆく人を見る目でそう呟く。
あの時、俺が師匠を看取った時も、こんな目をしていただろう。
記憶と目の前の光景が重なる。
そして、彼女の言葉にまたもや違和感を覚える。
「……残念?」
「だって──」
ズンッ!
と、彼女の剣の重みが増した。
地面に足がめり込み、俺は地面を抉るように後退してゆく。
ゆっくり、ゆっくりとだが、鍔迫り合いで押されている。
「──私よりも強い剣士、この世界に存在しないもの」
彼女は更に力を込め、俺を潰しにかかる。
……と思って、身構えすぎた。
現実はその真逆。
ふわっと剣先が軽くなり、それに反応できなかった俺の体は上に投げ飛ばされる。
すると俺は空中で姿勢を維持しようとするあまり、目の前の敵から目を逸らす。
彼女はそこまで読んでいた。
「はい、終わり……」
最後、彼女は落下してくる俺の心臓の位置に合わせて、剣先を上に向ける。
彼女の剣の切れ味なら、俺の体は豆腐のように容易く貫かれてしまう。
パーフェクトゲーム。
完璧な勝利。
柔と剛をしなやかに使い分けた、剣士として、最も美しい勝ち方。
……そういうストーリーを描いていたのだろうが、それは師匠に300回くらいやられた手法だ。
これ、中々に古典的すぎて、俺が4歳を過ぎたあたりで使われなくなったが、初見殺し性能としては百点満点だよな。
毎度のことながらそう思う。
「よいしょっと」
俺は彼女の剣先に着地した。
足のつま先だけに体重をかけるこの立ち方、4歳以来してこなかったが、案外できる。
ありがとう師匠。
命が助かりました。
「──どいてくれる?」
「ん? あぁ……」
明らかに不機嫌な声。正直、降りたくない。
しかしながら降りないと何をされるのか分からないため、ここは素直に従った。
俺が地面に両足をつけると同時に、女の子は詰め寄ってくる。
「ねぇ、どこの流派?」
流派、という言葉には聞き馴染みがなかった。
師匠がずっとやってきた事を真似ているだけの俺にとって、真面目に剣術をやってきた人間は反対側にいる。ゆえに、何も答えられない。
「いや、俺、師匠がやってたことを真似ているだけだから──」
なーんて柄じゃないのに、真面目に考えて、受け答えをしてしまったからであろう。
彼女の背後から伸びてくる、大きなブラックドラゴンの手に気づかなかった。
「きゃぁぁぁぁっ!」
今度こそ本当の悲鳴である。
ただ、そんな呑気に考えを巡らせている場合ではない。
相手はブラックドラゴン。
戦績としては70戦中の50勝20敗という、勝ち越してはいるものの、そこそこ負けている相手。
それに女の子を救出するというサブミッションまで加わった。
ひとつ、集中力を深める。
「──わっ、私のことはいいわっ! ……早く逃げなさいっ!」
「大丈夫っ! 絶対助けるからっ!」
「だめっ! ブラックドラゴンなんて、人間が1人で戦う相手じゃないっ!」
声を震わせて、自分が1番怖いくせに。
彼女は自身の命を投げ捨ててでも、俺を助けようとしてくれている。
そんないい人を、無くすわけにはいかないだろう?
もうひとつ、集中力を深める。
彼女への被害を出さないため、攻撃は最小回数かつ必要最低限の破壊力。
師匠の言葉を借りて言うなら『人を救うための強さは、必要以上に行使しない』とでも言っておこう。
「腕だけを切り落とす、腕だけを切り落とす……」
ブラックドラゴンも、我が子を守るために戦っているのだ。
命までとる義理はない。だからこそ、再生される部分を狙って切り落とす。
「なにモタモタしてるのっ!? 早くにげ──」
剣を握る手のひらに、汗が滲む。
そしてしなやかに剣先を走らせ、一撃。
ブラックドラゴンの手首目掛けて。
…………トサッ。
「──ふぇ?」
女の子の気の抜けた声が、森に優しく響いた。
木々がひしめきざわめく森。
俺は彼女を、いわゆるお姫様抱っこしながら駆ける。
とにかくドラゴンから距離を取る。
「ねぇ、あなたランクはいくつ?」
駆けている途中、彼女は突然そんなことを聞いてきた。
「……? なにそれ?」
『ランク』などという制度があるのか?
よく漫画とかアニメとかで、『俺のランクはSランクだっ!』ってかませ犬がやってるやつか。
嫌だなぁ、そういうマウント。
酒場とか結構憧れてるのに、行きづらくなっちゃうよ。
「……ギルドランクのことよ」
「……えっと、俺にはまだ、ないかも」
「あははっ! 面白くない冗談ね! ……ったく、……ギルドカード、見せてちょうだい?」
「……ん? あぁ……」
そう言えば昔、師匠が変なカードをくれた記憶がある。
その時は「これ何?」って尋ねても、「スタンプカードじゃよ」としか言ってくれなかった。
まさか、あれがギルドカードか?
「多分、右のポケットに入ってる。俺、見ての通り手が離せないからさ、キミが取ってくれると嬉しい」
「えぇ、もちろんそうするわよ」
そう言ってモゾモゾと俺の下半身をまさぐる女の子。
普通にアウトな光景であるが、異世界では日常なのか?
「──これ、かしら?」
と言って尋ねてくる彼女の頬は、ほんのり赤く染まっている。
ペラペラの白い何かしらを、握りしめているのだが──
「あぁ、それは替えのパンツ」
「ぱんっ!? つ!?」
「ごめん、左のポケットだったかも」
「はぁぁ!?」
それから何回か彼女にギルドカードを取ってもらおうとしたが、いずれも失敗に終わった。
パンツとか、靴下とか、変なものしか取ってこない。
結局は俺が立ち止まって、自分でギルドカードを取るハメになった。
「──へぇ? これがあなたのギルドカードね……」
彼女は「ギルドカードに嘘はつけないんだからっ」と得意げに俺のギルドカード眺めていたが、次第に顔が青ざめていった。
「あなたっ! なんてことしてるのっ!? ヘンタイっ!」
「はぁ?」
よくわからない事で怒られ、よく分からないまま変態認定された。
何がなんでも酷すぎやしないだろうか。
「サキュバスの利用回数……305回ってどういうことっ!?」
「知らない知らないっ! 一回も利用してないっ!」
とは言ったものの、彼女が示したギルドカードの項目には明記されている。
『サキュバス・305回』と、これでは言い逃れができない。
なんせギルドカードは嘘がつけないらしいので……?
あれ? これ……
「──じいちゃんのヤツだ。これ」
「はぁぁぁ。また嘘ついて……。……? でも確かに、さっきのドラゴン駆除がない……? どうして?」
──などというやりとりを挟んで、しばらく経った
「まさか本当にギルドカードがない人がいるなんてね……。さすがの私も初めて見たわよ、そんな人」
「なんかごめん。俺もそこまで異常なことだって、全然知らなかった」
ギルドカードは本来、生まれた瞬間にこの世界の役所的なとこから渡される、生涯の記録書のようなものらしい。
みんな持ってて当たり前。
持ってない人は死刑囚か、俺みたいなちょーーー田舎者。
「あなた、行くあては?」
「……ない」
「──はぁ。そうだろうと思ったわ」
「すみません」
「いいのっ! 自分が悪いわけじゃないんだから、すぐ謝らないでっ!」
なんて良い人なんだ。
俺のことを逃がそうとしたり、こうやって叱ってくれたり。
「……じゃあ、行くあてないなら、ウチの国に来る?」
「え? いいの?」
「ええ、もちろん。ギルドカードもすぐに発行できるし、ギルドも広くて使いやすいわよ。それに、仕事もすぐに見つかるわ」
「なんという好条件」
「ただし! 私のパーティに加入することっ!」
「パーティ? 何それ?」
「あぁーもぅう! パーティっていうのは──」
ざわめく森の、その中心から、俺と彼女の騒がしい日々が始まった。
熱心にパーティの話をする彼女とは正反対に、ゆっくりとうなづく俺なのであった。
「──って感じです。どうですか?」
俺のそこそこ長い過去の話を、女性記者は熱心に聞いてくれた。
だからだろうか、言ってはいけない部分まで言ってしまった。
「いいですねぇ、いいですねぇ……。特に『アイリス』さんの素の部分が可愛らしいのなんのって……」
「あっ、これを話したこと、アイリスには内緒にしててください。殺されちゃうんで……」
「あぁ! でしたらご心配なさらず!」
「えっ? どうしてですか?」
女性記者は俺から視線を外す。
まるで俺の背後に、恐ろしいものがあるみたいに。
「……その、アイリスさん? 私は止めましたよ?」
「あいりすっ!?」
振り返るとそこにはっ──
「モルト? そのお話、しちゃダメって言ったよね?」
ギリギリ……と、アイリスにほっぺたを摘まれる。
「ずみまぜんっ……」
そんな様子を見ていた記者は、自然にカメラを構えていた。
「ふふふっ。お二人共、目線くださーい」
「ふぇ?」
と困惑する俺
「あっ!」
と、慌てるアイリス。
そんな俺たちの姿は、しっかりと収められてしまった。
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