田舎で師匠にボコされ続けた結果、気づいたら世界最強になっていました

七星点灯

第1話 小説の冒頭











「──っ!」


顔面を殴られ吹っ飛び、トイレの床に転がった。

ひんやりとしたこの感触は、俺をいつもの、惨めな気持ちに変えてくれる。


「いち、にー、さんっ……よん、ごー。…………5枚かぁ」


アイツは俺の千円札を数え終えると、笑顔を顔に貼り付けてかがみ込む。


「……俺、10枚持ってこいって言ったの、覚えてる?」


「そんなに、持ってこれな──あぐっ!」


腹を蹴られた。

アイツはうずくまる俺の髪の毛を引っ張り上げ、強制的に話を続ける。

未だ、笑顔で。


「じゃあさ、足りない分ボコすって話は覚えてるよね?」


「……それはっ、おぼえて──」


「はい。じゃあ五回ね」


ドムッ、ドムッ、ドムッと3回腹を蹴られ、顔を2回殴られる。

人が人を殴る時、漫画やアニメみたいに派手な音はならない。

いつも鈍くて響かない音が出て、トイレの外に人がいたとしても、中で誰かが殴られているなんて思われることはない。


つまり、助けは来ない。


「──あ゛っ……ごれで、お゛わ、り……ですよね?」


五回殴られた。足りない分、俺は殴られた。

そして耐えた。ならこれ以上、コイツに何かされる筋合いはない。

早く帰って、眠ろう。


「は? 誰も五回殴るとは言ってないけど? 俺、五回ボコすって言ったよな?」


「──ははっ」


あまりの絶望感に、目の前が真っ暗になった。







屋上のフェンス越しに、夕焼けに浸された街を見下ろす。

そしてあの太陽は明日も相変わらず、東の空から登ってくるという事実に憂鬱となる。


高校に入学してから約2年。


誰かに殴られたり、笑われたりする日が延々と続く。

太陽が昇っている間、俺が笑顔になる瞬間なんて一度も訪れなかった。

ただ、毎日が地獄のように思えて仕方がなかった。




──いつまで耐えるんだ?




明日も同じように殴られる、笑われる。

もしかしたらまた嘘の告白をされるかも。


でもこれは仕方のないことだ。

資本主義のこの国で負ける奴が悪い、弱い奴が悪い。

だから、俺には文句を言う筋合いすら……残っていない。




──でも、ここから落ちたら




全てが終わる。


たった一度だけ勇気を振り絞ってこの空に落ちれば、苦しみから解放される。

大丈夫、怖いのは始めの一歩を踏み出すその瞬間だけ。

空中にいる時間なんて短く、俺の意識は儚く消えて無くなる。


「──よし」


フェンスをよじ登り、向こう側に立った。

下を見ると校庭や花壇、校門へと続くアスファルトの道がある。




ごく普通の、光景だった──











パラパラパラ…………


薄いミストのようなモノが、俺の顔に降りかかる。


冷たい。

あとなんか、こそばゆい。

……でも、俺の両手、全然動いてくれないや。


ここがいわゆる、天国なのか?


視界がぼんやりして、状況を飲み込めない。

幸い、音はよく聞こえたので、聴覚で情報を収集する。


が、あまり参考にならない。


強いて言うならここが『森』のような場所であることくらい。

遠くから鳥の鳴き声のようなモノが聞こえた。


……天国にしては不自由だ。


動けず寝たきりで、視界も不自由、挙げ句の果てにはひとりぼっち。

むしろ地獄と言われたほうが納得できる現状である。




サクッ、サクッ、サクッ…………。



遠くから、誰かの足音が聞こえた。

リズムはゆっくりと一定で、歩いているようだった。


(すみませんっ! 助けてくださいっ!)


そう、言ったつもりだ。


「──おんぎゃあぁぁぁぁ!」


突然の大声にびっくりした。

そして、その声の主が自分であることにも驚いた。


まるで赤ちゃん。

いや、もしかすると俺は本当に赤ちゃんなのか?


「──おぎゃぁあぁぁああ!」


やはり赤ちゃん。俺は赤ちゃん。

俺は屋上から飛び降りて、気がつくと赤ちゃんになっていた。


もしかするとこれは、噂に聞く『転生』というヤツでは?


バサァッ!


ドシィィィィィンン……


羽の生えた何かが着地する音と共に、グラグラと地面が揺れる。

恐ろしく大きな何かは、俺の近くいる。いや、目の前だ。


ぼんやりとした視界が晴れ、最初に見えたのはドラゴンだった。

コッチを見下ろして、獲物を見つけたと言いたげな顔をしている。


(せっかく転生しても、また死ぬのか…………)


「──おっ、おぎゃっ、おぎゃっ」




──そう、絶望したその瞬間。




「ウユシリキヌッ! ミシラサユキスヘミ!」


意味のわからない言語と同時に、電撃のようなモノがドラゴンの胸を貫いた。

するとドラゴンは悶え苦しみ、やがて動かなくなる。


「ラタルスヲ……。ニキネサマス……」


老人の声が聞こえた。

おそらく、あの足音の主だ。


「──おぎゃっ?」


老人は俺を抱えて、ぶつぶつと言語の分からない独り言を言いながら、森の中を進んで行った。




────数年後────


「──このおいぼれに負けるようじゃあ、外の世界では生きてゆけんぞ?」


「──あぐっ!」


顔面を殴られ吹っ飛び、柔らかい地面に転がった。

ひんやりとしたこの感触と、師匠のいつもの言葉。

俺を絶望的な気持ちに変えてくれる。



「いち、にー、さんっ……よん、ごー。…………たった五回の成功で、満足しておるのかのぉ?」


師匠は俺の放った火炎魔法を数え終えると、パッパッと服の汚れを払い、かがみ込む。その時の顔は、能面みたいに恐ろしかった。


「……わし、今日は10発撃つまで家に返さんって言ったの、覚えてるか?」


「そんなに、撃てるわけ──あぐっっっ!」


腹を蹴られた。

師匠はうずくまる俺の髪の毛を引っ張り上げ、強制的に話を続ける。

未だ、笑顔で。


「じゃあ、足りない分はどうするのかの?」


「自分で、受ける…………」


「そうじゃよ。ほら、立ちなさい」




ボウッ、ブワッ、ボウッと3回火炎魔法を放たれ、バリバリバリ、バリバリバリと雷撃魔法を放たれる。

師匠が魔法を撃つと、とんでもない量の魔力が放出された。


だけどここは辺境の地。

人間は師匠以外に見たことがないし、人工物も全くない。


つまり、助けは来ない。


「──あ゛っ……ごれで、お゛わ、り?」


五回魔法を放たれた。足りない分、俺は自分で受けた。

そして耐えた。ならこれ以上、師匠に何かされる筋合いはない。

早く帰って、眠ろう。


「もちろん終わりじゃ。ほれ、さっさと立ち上がらんか」


そう言って寝転がる俺に師匠は手を伸ばす。


「──ははっ。師匠、今日もご指導ありがとうございました」


師匠の助けを借りて立ち上がった。

そして最後に、いつもの挨拶を終えると、じいちゃんは満足そうにうなづいた。


「うむ、ご苦労さん」


こうして今日も、指導は終わる。

傾く夕日を眺めて、明日の指導のことを考える。

明日も頑張って強くなろうと、固く決意するのであった。


「じいちゃん、今日の晩飯なに~?」


「今日はな、……ぶらっくどらごんの塩焼き? を作ろうと思っとる」


「なにそれ? 美味しいの?」


「……昨日見つけた古代書に書かれてたヤツじゃから、ワシも分からん」


「…………」


「なぁに心配するなっ、ワシが作る料理に失敗はないっ!」


「──ははっ」


あまり良くない記憶が流れてきたが、気合いで忘れることにした。

マンドラゴラの刺身、サイクロプスステーキ…………そんなモノはなかった。


じいちゃんの料理は美味しいものばかりだ。

今回の料理も美味しいはず。


俺は夕陽に向かって、そう祈った。





────更に数年後────




じいちゃん…………師匠は死んだ。

結構前から調子が悪そうだったので、死んだ時のショックは少なかった。


ただ、一つ思い残したことがある。

それは、俺が師匠に一度も勝てなかったことだ。


師匠が死ぬ日の前日でさえも、全く歯が立たなかった。




「──このおいぼれに負けるようじゃあ、外の世界では生きてゆけんぞ?」


師匠は死ぬ前日にも、この言葉を吐いた。

しかし、最後に一言だけ付け加えて。


「──外の世界には、ワシより強い奴がうじゃうじゃおる。…………どれ、ワシが居なくなっても、お前はまだまだ強くなれる」


今思えば、師匠は自分の死期を悟っていたのだ。

だからこそ、あの日はいつもの言葉にもう一言付け加えた。




──師匠より強い奴




その人に会ってみたい。

そして、その人をぶっ倒してみたい。

そしたら俺は、間接的に師匠を倒したことになる。


師匠に対する、唯一の心残りが消えるのだ。





──師匠が死んだ次の日、俺は外の世界へ出て行った。










「……どうでしょうか。……まだ冒頭部分だけですが、ここまでで修正などは──」


「──いいですね。特に『師匠』と『じいちゃん』を呼び分けてる所、かなり忠実ですね」


「えぇ、プロですから」


出版社の女性はニヤリと、得意げ。


「へぇ……」




俺がこの世界にやってきて数十年。

ついに、自身の経験を基にした本が出版されることとなった。

今はまだ冒頭部分しか出来上がっていないのだが、いずれは俺の人生の大半がソコに記されるだろう。

そう、夢の印税生活が、目の前まで迫ってきている。


これでもう危険なダンジョンに入ったり、変な生物に追いかけ回されたり、魔王軍と戦ったりする必要はなくなる。

今までの『冒険者』という、収入も生活も己の命すらも不安定な生き方から脱却し、そしてこれからは、嫁と子供の為に生きることができるのだ。


………でも……そうか。


……終わるのか。


「──……さん、大丈夫ですか?」


思考の世界から引き戻されると、目の前には記者の女性が俺を、心配そうに見つめていた。

どうやら気付かぬうちに、俺は涙を流していたようだ。


「……あぁ、すみません。少し、思い出に浸っておりまして──」


「──詳しく……詳しく、お願いします」


目の前の女性の瞳はガラリと変わった。

『記者の目』とでも表現すればいいだろうか。

キラリと、彼女の瞳にますます生命が宿る。


彼女はソファに座っていながらも前のめりになり、先ほどまで話していただろう自身の話を投げ捨てて、俺の話を聞きたがっている様子だった。

彼女の手にはしっかりと羽ペンが握られている。


「──それじゃあ続き、話しますね」


俺の想起された記憶は、外の世界に出た直後から始まった。

できるだけ詳細に、当時の気持ちを思い出してゆく。


そして俺はひとつ咳払いをして、語り口調で続けた。


「──俺は出会ってしまったんです。……アイリスという少女に」

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