第三章

ep.19 凶報

 それは奇妙な体験だった。

 不意に目が覚めたかと思えば、身体が勝手に動き出したのだ。

 身体を起こしながら、一瞥もせずに剣を拾う。第六感で剣の位置を察していた。

 唐突に第六感とかいう、未知の感覚がオンになり、俺の混乱は深まるばかり。

 だが、身体だけはキビキビ動き、自分が人形になったかのよう。

 

「すみません。起こしちゃいましたか」


 シシィが険しい顔で廊下を見ていた。

 ……あ、なるほど。シシィの警戒が、パスを逆流して、俺を突き動かしたってトコか。理由が分かり、ホッとした。

 

「なにがあった?」

「分かんないです。殺気だっています」


 シシィがいうなら、そうなのだろう。俺には感じ取れないが……。


「ついに暴動でも起きたか」


 生徒会は頑張っちゃいるが、いつ暴動が起きてもおかしくないんだよなぁ……。


「どうなんでしょう。それにしては静かです」

「確かに。というか、何時だよ」


 パッと見じゃ分からないんだよ。夜も廊下の明かりは点いてるから。

 寝る時は、教室の照明を落とし、廊下の光を暗幕で遮る。

 だが、それは生徒会が寝所に指定した場所だけ。勝手に教室を占拠している俺たちは、一面を覆う暗幕など持っておらず、一部を遮るのが精一杯なのだ。


「二時か。夜中じゃねぇか」


 参った。目が覚めてしまった。二度寝はできそうにない。


「先輩、これはプランBの出番かも知れません」

「は? そんな深刻なのか」

 

 プランBは学校から脱出し、異世界の町を目指す。

 検討こそしていたものの、実行するつもりはなかった。森を抜ければ異世界の町に辿り着くと思われるが……誰が確かめたワケでもない。最悪、この世界にいるのは、俺たちだけの可能性もある。


「実は、つば衛門を偵察に出しました。事後承諾になってしまいましたが」

「いい。どうせ俺じゃ使いこなせない」

 

 つば衛門からの報告を、パスで受けられるシシィが使うのが適任だろう。

 シシィは困ったような顔で続けた。

 

「いいですか、仁先輩。驚かないでください。騒ぎの中心は阿部先輩と宮本先輩です」

「三バカが? なんだって……」


 ん? 阿部と宮本だけ?


「残りの一人は? いないのか?」

「……たぶん、いないんじゃないかと。つば衛門は見たままを言うだけなので」


 ああ、子供って興味のあることだけ、口にするよな。ああいう感じか。

 つば衛門から報告を受けているのだろう。シシィが眉間に皺を寄せながら、目を瞑っていた。


「あっ。阿部先輩が宮本先輩を殴ったみたいです」

「眼鏡が? 良心を? なんで?」

「そこまでは」

「話の中身は分からないか」

「校舎の外から偵察させているので」

「……それじゃあ、仕方がないな」


 もし、つば衛門が会話を聞いていても、それをシシィに伝えられるか疑問だが。


「宮本先輩は反撃しませんでした」

「へぇー」


 偉い。状況が全く掴めないが、さすがは三バカの良心。


「その代わりに、虎居・・が殴り返しました」

「なんで虎居がしゃしゃり出て来るんだよ」

 

 ていうか、虎居も居たのかよ。

 んん? もしかすると。


「一触即発! 仲介に入る人影が。さて、一体誰でしょう?」

「副会長の竜胆か」

「…………え?」


 本気でシシィは驚いたようだった。

 頭をひねった甲斐があった。俺はシシィに種明かしをする。


「プランBの出番だっていっただろ。だから、俺と折り合いの悪いやつらが絡んでるって考えた。で、シシィが知ってる俺と仲の悪い生徒は限られてる」

「ふぇー、御見それいたしました」

「連中の目的は?」

「なにかを探して。あるいは誰か、を」

「……そいつぁ、不穏だな」


 教室の中を覗いては、移動するを繰り返しているらしい。

 いずれ、ここにもやってくるだろうが、かなり先のことになるだろう。

 大別すると、虎居グループ、生徒会グループ、科学部グループだが、それぞれ好き勝手にしているためだ。

 船頭多くして船山に登る、だな。

 

 副会長が掣肘しようとしているが、虎居が聞く耳を持たないようだった。

 ……虎居のことはよく知らないが、理性的な人間には見えなかった。う~ん。相性最悪だろ。副会長、弁は立つんだが、カリスマがない。興味を持ってくれない相手には、とことん無力なのだ。


「どうします? 逃げますか?」

「連中の狙いが俺だとまだ決まったワケじゃない」

「そういって、後手後手に回る気ですか。プランBは一旦置いておいて。身を隠すのも一つの手ですよ」

「……まー、そーだな。悪かないが……」


 うーん。決断するには情報が足りない。

 どこかにいい情報は……おっ、いた。

 ラッキー……じゃないんだろうなぁ。


「シシィ、伊藤だ」

「確保してきます」

「な、なんでござるか!? 拙者は煮ても焼いても、美味しくないでござるよ!」


 スクール鞄が呻いた。いや、違う。伊藤だ。

 シシィに拉致られた伊藤は、スクール鞄を被せられていた。


「ぐえっ。く、苦しい……ござるぅ……」


 シシィが伊藤を踏みつける。黙れということだろう。

 俺はホッとしてしまった。もし伊藤が喜んでいたら……。


「シシィ、これは?」

「敵の回し者かも知れません」


 俺は目を瞬く。その考えはなかった。


「えっ。伊藤を使ってなにができるんだ?」

「……邪魔、とか。ほら、存在自体が」


 やめてやれよ。それ、もうただの悪口じゃん。

 シシィは伊藤をそういう目で見てたってことだよな。


「その声は! 三間坂氏! 探していたでござる!」

「悪いな。殺気立ってるとかで、シシィが警戒してたんだよ」


 スクール鞄を外してやると、伊藤が泣きながら抱き着いてきた。


「三間坂氏ィ! 三間坂氏ィ!」

「なんだよ、鬱陶しい」

「古知先輩がぁ、古知先輩がぁっ」

「はいはい、どうした」

「ころっ、殺されたんでござるぅ!」

「…………」


 殺された?

 死んだってことか?

 誰が。

 古知先輩が?

 なんで?

 

「…………」

「…………」


 気付けば。俺はシシィに抱き締められていた。

 シシィをそっと剥がす。羨ましそうな顔をした伊藤と目が合う。涙の跡は拭われて、見えなくなっていた。そこそこ長い時間、俺は放心していたらしい。


「伊藤は古知先輩の死体を見たのか」

「見たでござる。鑑定だって。間違いなく古知先輩は死んでいたでござる」

「……なんで」

「拙者が知りたいでござるよ」


 ああ、そりゃそうだ。頭が空回りしている。

 なんだって、こんなに……。


「俺は……古知先輩が好きだったのか?」

「なんでそーなるんですか。パニックになってるだけです。ああ、もう、今の先輩の気持ちだったら、わたしのほうが分かりますよ」

「そうか。俺の気持ちはパスでシシィに……」

「わーわー! もー先輩はちょっと黙っててください!」

「分かった」


 それからしばらく、俺はシシィの成すがままだった。ステータスプレートを出せといわれたら出し。ここを押せといわれたら押し。するとある時、頭の中にかかっていた霧が晴れた。気配感知の代わりに明鏡止水がセットされていた。

 ははあ、これが明鏡止水の効果か。


「三間坂氏は落ち着いたようでござるが……一体、なんの儀式だったのでござるか」

「忘れろ。それより、俺が古知先輩を殺した犯人だってことになってるんだな?」


 伊藤がわざわざ俺を探していたことから、そうとしか思えなかった。

 案の定、伊藤が青い顔で頷く。


「そういうことになっちゃったんでござる。なんでか」

「いや、なんでだよ。あるだろ、理由がさ」

「その場のパッションでそうなってしまったとしか」

「そんなんで犯人にされたらたまらねーんだが」


 あいつ、犯人っぽくねぇ?

 ムカつくし、異議なし。

 いいね、いいね。じゃあそういうことで。

 よし、三間坂が犯人だ!


「拙者も理不尽だと思ったから、三間坂氏を探していたのでござる。早く逃げたほうがいいでござるよ」

「話を聞いてから決める。今、逃げ出したら、疑いが深まるだろ」


 そういうレベルじゃないんでござるが、と伊藤は渋っていたが、観念して話し始めた。


「事の発端は阿部でござった。古知先輩が心配だと言い出したのでござる」


 これが一時間ぐらい前の話。当然、伊藤も宮本も寝ていた。

 だが、阿部の剣幕に押し切られ、古知先輩を探すことになった。特に伊藤は「三間坂が古知先輩を狙っている」と、阿部の不安を煽った自覚があり、放っておくわけにはいかなかった。

 ……阿部が騒ぎ出した理由、それだろ。

 

「一目古知先輩の無事な姿を見れば、阿部も落ち着くと思ったでござる。とはいえ、女子の寝所に忍び込むわけにもいかず。見回りをすることになったのでござる」


 見回りを始めると、意外と宵っ張りの生徒が多いことに気付いたそうだ。

 そうなのだ。生徒は規則正しい生活に目ざめたワケではない。テレビもネットもなく、やることがないから寝るだけ。逆にいえば用事があれば全然起きていられる。


「なんとなく駄弁っているという感じで、やましい雰囲気はなかったでござる。ただ、非日常に足を踏み入れたようで、少し楽しくなっていたのでござる」


 だが、それが失敗だった。浮かれ気分で空き教室に入ったら、中に人が居たのである。

 恋人同士が人目をはばかり、逢瀬を重ねていたのだ。

 いいところだったのに、と烈火の如く怒られた。


「そこを仲裁してくれたのが竜胆でござった。実は生徒会も見回りをしているとかで、一緒に回ることになったのでござる。ここだけの話ちょっと見直したでござる」


 生徒会が夜の見回りをしているのは知っていた。

 実は俺も初期の頃に何度か参加したことがある。

 なにかをするわけではない。見回ること自体に意義がある。


「虎居はどこで出て来るんだ?」

「なぜ三間坂氏が虎居が居たことを知っているのか……」伊藤は頭を振る。「面白がって首を突っ込んできたのでござるよ。生徒会と科学部の組み合わせが琴線に触れたようでござる」


 生真面目な生徒会と、不真面目な科学部。

 まぁ、気になるかもな。俺もその場にいたら何事かと思っただろう。

 伊藤が沈痛な面持ちで顔を伏せた。いよいよらしい。


「……女生徒が科学室で倒れていたでござる」


 女生徒が倒れていたのは暗がりだった。だが、阿部は古知先輩だと言い張り、化学室に入ろうとしたが、扉は施錠されており、中に入ることができない。


「竜胆がスペアキーを取りに行っている間、拙者たちは阿部を宥めるのに必死でござった。あのままだったのなら、阿部は窓ガラスを割ってでも、部屋に入ろうとしたはず」

 

 副会長が持ってきたスペアキーにより扉は開いた。

 部屋に飛び込む阿部。そして、響き渡る慟哭。

 

「古知先輩は腹部を鋭利ななにかで刺されていたでござる」

「…………」


 それだけ?


「拙者たちは科捜研じゃないでござるよ」


 ……それもそうか。時間が許せば指紋採取など、できることはあるかも知れないが、突発的な事態だったワケだし。


「この状況から、どうやって俺が犯人にされるんだ?」

「阿部のうわ言を、虎居がいいように創作したでござる」


 まず化学室が密室であることが疑問視された。

 素直に考えれば、犯人は化学室の鍵を持っていることになる。

 そこへ阿部が、俺が古知先輩と鍵のことで揉めていたと言い出した。


「……いやいや、あれは化学室の鍵じゃないぞ」

「拙者も宮本もそういったでござる。なれどパッションでビビッと来た、虎居には届かなかったのでござるよ。拙者も百パーセント化学室の鍵でないと言えるかというと」

「仮にあれが科学室の鍵だったとしても、古知先輩と揉める意味が分からない。鍵の無断持ち出しを咎められるとしたら雫にだろ」

「拙者にいわれたって知らないでござるよ!」

「……あぁ、うん」


 俺が化学室の鍵を持っていたようだ。

 その一点から虎居は俺を犯人だと断じた。

 虎居の推理によれば、殺しは痴情のもつれ。

 実は、俺は古知先輩と付き合っていたのだ!

 しかし、シシィと交際を始め、古いロリが邪魔になった……。


「古知先輩が死を匂わせていたのも最悪でござった」

「……は?」


 夕方。俺たちが美術室から去った後の話らしい。

 三バカは古知先輩になんの話をしていたのか聞いた。

 すると、古知先輩は「秘密。死にたくないから」と答えた。

 この事実を開陳すると、副会長まで俺が怪しいと言い出した。

 ……いやまぁ、ここまで状況証拠が重なれば、俺が怪しいと思うだろうよ。誰だって。

 俺が現実逃避していると、シシィが口を開いた。


「見回りのメンバーって男の人だけでしたか?」

「そうでござるよ」

「実は。美弥先輩は女神に命を狙われていたんです」

「……そ、そうでござるか。知らなかったでござる」


 そういう反応になるよなぁ。

 まだ虎居のでっち上げのほうがそれっぽい。


「先輩、タイムリミットです。どうしますか?」


 騒々しい足音が近付いて来ていた。


「…………頼む」


 なにを頼んだのか。

 自分でも分からなかった。

 嫌疑は晴らしたい。

 無理っぽいが。

 逃げたい。

 でも、腹が立つ。

 犯人を見つけたい。

 ノーヒントだが。

 古知先輩は本当に死んだのか。

 悪い夢を見ているんじゃないか。

 ゴチャゴチャした気持ち。

 それら全てをシシィに託した。


「はぁ。本当に仕方がない先輩ですね」


***


 抵抗はしなかった。

 俺は捕らえられた。伊藤も。

 だが、シシィの姿はなかった。

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