しとしと降って
3人でスタジオを出ると、後輩の男の子、茅場君と会計で鉢合わせた。
「ども。詩音さんたちも今終わりっすか?」
「そそ。明後日のライブ、頑張るよー! 茅場君も出るんだっけ?」
「先輩方のサポートっす。羽海野さんとも組んでますよ」
「よろ」
茅場君は恥ずかしそうに頭を掻いた。一個下で大人しい性格だが、ギターはやたら上手い。ライブのたびに色々な人から声をかけられているらしく、一晩で最低3回は見かける。
うちのサークルは基本的に固定バンドが少なく、ライブのたびにやりたい人同士で集まる形式だ。いつも同じメンバーなのは、私たちくらいだろう。
「最後かと思うと、寂しくなりますね。先輩方とはたくさんバンド組んできましたし……詩音さんや七花さんとは、一度もやれませんでしたけど」
「私もあまりキャパが多くないからさー」
「一度くらいはやってみたかったですけど……七花さん、なんか静かですけど大丈夫ですか?」
「えっ」と、急に話を振られて慌ててしまう。「元気だよ?」
結局、満足いくかたちにはならなかった。重たい不安だけ、私の肩にのしかかる。
詩音が見れない。変わりゆくもの、終わりゆくことを直視したくなくて、現実から逃げてしまう。
いくつもの晩を、楽器を抱えたまま明かしてしまった。弾こうとしても詩音の顔がチラついて、それから手が動かなくなる。ベースの重みと、私の奏でる拙い音が私を雁字搦めにする。
ボディの冷たさに心臓は止まりかけるけど、いつしか体温が移って、ベースもほんのり暖かくなる。その温もりだけを縁に、私を縛るもののせいにしながら、それを頼りに座り込んでいる。
この場所から動かない免罪符。
今さら何が、できるんだ。
「みなさんはそのままで、サポートで僕が入るとかもよかったかもしれませんね」
「茅っち、それはーー」
「よくないよ」
茅場君の肩が跳ねた。空気が凍ったのがわかる。店内BGMが、やけにうるさく聞こえる。よくないな、と自分自身に思った。思ったのに、言葉が止まらなかった。
「ライブ中は、世界が止まるの。客席は真っ暗で、私たちにだけたくさんの光が降ってくる。目の前の風景だけが世界のすべてになって、それを作っているのは私たち。あの特別を、誰かに譲るわけにはいかない」
「あの、七花さん」
「あの体験を、空間を、時間を、世界をね、詩音にほかの人と過ごしてほしくない。初めて一緒にライブをしたあの日から! 詩音は、私とだけでいい。ずっとずっと、私たちだけでいい。私たちだけがよかった!」
「ちょ、七花さん落ち着いて」
はっとして、詩音を探す。いつのまにか、私のそばからいなくなっている。
「……詩音は?」
「さっき羽海野さんが連れて行きました。ええと、だから、聞かれてないと思います、けど」
「ごめん、帰るね」
楽器ケースを背負い直し、私は逃げた。
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