第3話 多忙な男


「政治家を狙った連続誘拐事件とは……日本はどこよりも安全な国と言われていたのも、今は昔の話だな」

 悠然とした足取りで廊下を歩きながら、金澤幸男市議会議員はため息混じりに呟いた。

「尤も、五年前の首相暗殺事件が起きたその瞬間から日本は安全な国から程遠くなったわけだが」

 時也は「まだ誘拐事件と決まったわけではないですが」と喉まで出かかった言葉を呑み込む。余計な一言のせいで、警察の対応が粗末だ何だのと不平不満を浴びせられるのは御免だ。金澤氏本人は人格者として通っているが、藪蛇な言動は避けるに限る。

「三名の議員とは未だに連絡が取れておらず安否も不明です。事件性も疑われる以上、金澤先生も迂闊に単独行動はなさいませんように。二十四時間の警護は多少窮屈に感じられるかもしれませんが、先生の身の安全が最優先です」

「もちろんだとも。自ら犯人に捕まりに行くような真似はしないさ。それに、優秀なボディガードが私を守ってくれる。これでも日本の警察には期待しているのだよ」

 呑気なものだ、自分の命が狙われているかもしれないのに——からからと笑う金澤氏に、内心で毒づく。本来であれば一分一秒でもゾディアック団の調査に時間を割きたいところに余計な仕事を振られ、気が立っていた。もちろん、表面上は努めてクールに振る舞っているが。

「警護は私を含めて三人交代で行います。移動中や屋外での職務中に狙われるケースが想定されるため、外にいる間は捜査員が誰かしら傍にいるものとご想像ください。会合や接待などのように、屋内かつ少数の他者と過ごされるときは部屋の外で待機しています。ただし、屋内であっても不特定多数が集まるパーティのような場面では群衆に紛れて襲撃される虞もあるため、捜査員が傍にいてガードいたします。夜間の警護は車に待機し、建物周辺の警戒に当たりながら二十四時間体制で安全確保に努めます」

 やや早口の説明にも、金澤氏は口を挟まず静かに耳を傾ける。それから満足そうに頷くと、

「まあ、そんなに堅くなりなさんな。立浜市議会は総勢百名の大所帯だ。仮に犯人がその中から無作為にターゲットを選んでいるとして、次に私が狙われる確率は九十数人分の一だ。それで実際に当たってしまったら不運だったと嘆くだけさ」

 立浜市庁舎内にある市会議事堂の廊下に笑い声がこだまする。泰然自若を装っているが、狙われる憶えなどなければそもそも警察にボディガードを頼み込まないだろう。心当たりの一つや二つはあるのかもしれない。

「さあ、午前の職務は終えたから今から腹ごしらえだな。この近くに美味い天ぷらの店があるんだ。挨拶も兼ねてご馳走しようじゃないか——ええと、名前は何といったかな」

「K県警警備部の新宮時也です」

「良い名前だな。これから世話になるよ、新宮さん」

 欧米人よろしく差し出された右手を握り返す。思いの外大きくて逞しい掌だ。ヘアスタイルだけではなく爪の先までしっかりと整えている。身だしなみには拘るタイプらしい。

 立浜市庁舎の一階エントランスへ到着すると、既に迎えの公用車が待ち構えていた。黒塗りのベンツは埃ひとつ付着しておらず、完璧なまでに磨き上げられたボディが夏の陽射しを受けて輝いている。

 白髪に黒スーツの運転手が俊敏な動きでドアを開け、二人を車内に誘導した。後部座席に乗り込んだ瞬間、運転席と助手席の後ろに設置されたディスプレイが目に留まる。視線の動きに目敏く気付いた金澤氏が「凄いだろう」と鼻高々に解説を始めた。

「最新型のベンツは、後部座席の乗客がそれぞれ独立した画面を見られるようになっているんだ。画面タッチ式のキーボード付きで、動画の視聴はもちろんインターネットにも接続できる。スマートフォンよりも画面が大きいし、タブレットを持ち歩かなくとも車内で仕事が捗るわけだ。尤も、便利すぎる故に人間を仕事に縛りつける車とも言えるな」

 氏ご自慢の公用車に揺られながら昼食の会場へと向かう。ベンツの話を早々に切り上げた時也は、さりげない口調である話題を持ち出した。事件の話を聞いたときから気になっていた疑問だ。

「金澤先生は、五年後に竣工予定のテーマパーク建設計画に一役買っていらっしゃるとか」

 二〇三七年の春、立浜市内にオープン予定の巨大テーマパークのことだ。時也がテレビのニュースや新聞記事から得た情報によれば、新都ドームおよそ十個分に相当する敷地面積を有し、「科学」「自然」「宇宙」「文化」の四つのテーマに分かれたエリアを設けるという。純粋な娯楽としての要素はもちろん、知的好奇心を掻き立てるアトラクションもふんだんに盛り込み、さらには飲食店やショッピングモールなども併設した総合テーマパークを企画しているのだとか。

「〈立浜ネクストワールド〉か……たしかに、私も計画に加担しているよ。そもそも立浜ネクストワールドは市がアミューズメント会社に依頼して共同建設する運びとなったのだからね」

 立浜市は過去にも多数の娯楽施設や商業施設の開発に着手し、中には成功を収めて地域発展に大きく寄与した例もある。一方で、やむを得ぬ事情によって計画の中断を余儀なくされ、住民から非難囂々に終わったケースも少なくない。立浜ネクストワールドは、立浜市民からの信頼を大きく回復するための重要施策として市議会も特に注力している——と新聞記事では結ばれていたが。

「立浜ネクストワールドの建設にあたって、山の一部を切り崩すと仄聞していますが」

「仄聞とは、難しい言葉をお使いになる……仰る通り、山林の中にもアトラクション施設を建てる計画だ。実際の自然をより身近に感じてもらいながら様々な体験をしてもらえるようにね」

 流暢に動いていた市議会議員の口が、ふと閉ざされる。数秒ほど考え込むように唇を指でなぞると、

「もしや君は、立浜ネクストワールドの建設に反対している何者かが今回の事件を企てたのではないか、と考えているのかね」

「近年は、全国で市民団体や過激派組織の運動が広がりつつあります。可能性としてゼロではないかと。あくまで私個人の考えであって、県警の公式見解ではありませんが」

 五年前に発生した現役首相の暗殺事件以降、国民は自らの鬱憤を晴らすように全国各地でデモや暴動を起こし始めた。「安保闘争時代の再来」などと囃されているが、中には火炎瓶や爆竹などを使用した悪質極まりない傷害事件も発生していて、警察は警戒を強めている。それだけ政治や行政への不満が蓄積している証拠なのであろうが、逮捕者の中にはごく個人的な失敗や不運までもを国に責任転嫁し、怒りの矛先を向ける者までいた。積もり積もったあらゆる負の感情が首相暗殺事件を引き金に爆発したのだ。

「現在の日本の治安は非常に不安定です。一見穏やかな空気が流れているようでも、どこで事件の引き金が引かれるか予測できない……それが現状です」

「立浜ネクストワールド建設計画は、その起爆剤になり得ると」

「建設に関して私が口を挟む余地などありませんが、慎重な言動が求められることは確かです」

 金澤氏は後部座席に深く身を沈め、真っ黒な液晶画面を無言で睨みつけた。



 金澤氏の警護開始から二日目にして、時也は彼の精力的な活動ぶりに舌を巻くとともに、地方議員の一日が実に多忙を極めるのだと実感した。

 まず、市議会議員の朝は予想以上に早い。五時前には起床し、六時三十分には家を出て駅前や街頭などで演説やビラ配りをスタートする。その後、九時を目安にK区尾口通にある事務所へ出勤してスタッフと一日のスケジュールを確認。以降は、そのまま事務所に残って来客対応や書類作成をする日もあれば、区役所で会議をしたり市民活動に参加したりと外回りの業務が立て込む日もある。

 彼が椅子に座ってゆっくりするタイミングは昼食時くらいで、それも場合によっては車での移動中に手早くコンビニ弁当で済ませたり、会議と会議の合間に控え室でおにぎりを頬張ったり——と慌ただしく終える日もある。本人は「たまにはコーヒーを飲みながら優雅なランチタイムを過ごしたいのだ」と笑っているが、仕事に追われる状況を楽しんでいるように見えなくもない。時也自身も仕事中毒を揶揄された経験があるだけに、金澤氏に親近感を抱きつつあった。

 彼が日々の中でも特に力を入れている業務が、Sharingでの情報発信活動だ。毎日必ず一度は何らかの記事を投稿していて、多くは立浜市の行政や市民活動、地域情報などをまとめたものである。過去の記事を遡る限り、少なくとも直近半年の間は一日たりとも休まずに記事を更新していた。現在のアカウントフォロワー数は二万人弱で、市議会議員の公式アカウントとしてはかなりの数だ。反面、それだけ敵を作りやすいとも言える。

「金澤先生は、SNS上での批判や攻撃に恐怖心はないのですか」

 事務所の控え室で弁当にありつきながら、金澤氏に訊ねる。氏は焼肉弁当の蓋にかけた手を止め、あっけらかんとした口調で「ないな」と答えた。

「そんな人たちを恐れていたらソーシャルメディアなんて使いこなせなくなる。そもそも、万人から好かれよう、誰からも賛同されようなどと甘い希望を持つこと自体がナンセンスだ」

「他者からの批判は恐れるに足りないと?」

「百人の人間がいれば百通りの考え方がある。批判や意見の相違がない社会を目指すのならば、人間がロボットになるしかあるまい」

 そんなSF映画や小説がありそうだな、と空想しながら幕の内弁当を頬張る。

「先生は、市民の代表として様々な会議に参加されて物事を決断されていますよね。意見の相違から議論が進まない、なんて場面は日常茶飯事では」

「誰もが百パーセント納得のいく結論なぞ出やしないさ。表面上は賛成を装っていても、反対意見を抱く者は一定数存在する。にも関わらず、なぜ議論がきちんと終結するのか。それは議論の場に優秀な調整者フィクサーがいるからだよ」

「調整者、ですか」

「場の空気や話の流れを読む力に長け、多数の意見を頭の中で整理する能力に秀でている。そして、それらの意見の中立点を見出して提案する……それは何も、進行役やリーダーに限らない。目立たない場面で調整者の能力を発揮して諍いを丸く収めている人間もいる。それに、調整者はあらゆる業界に存在していると私は思うがね。例えば、君たちもそうだよ」

「警察官が?」

「君たち警察は、人々のあらゆる揉め事に介入して収拾をつける専門家プロフェッショナルだ。異なる思想や価値観を持つ人間がこれだけ共存する世界で、それでも社会が混沌とせずに調和を保ち続けているのは、君たち警察が社会の調整者として機能しているからにほかならない。違うかね」

 あまりに真っ直ぐな声と愚直な眼差しに、つい疑問をぶつけた。

「金澤先生は、どうしてそこまで警察を信頼できるのですか」

 氏は微笑すると、ボディガードの問いには答えぬまま焼肉弁当の蓋を開いた。

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