第4話 カラス


 同日の夜。警護任務の報告書を提出した時也は、残務処理で公安課室に残っていた。尤も、一番の目的は議員失踪事件の捜査について予備知識を仕入れておくこと。任務に必要な情報データは持ち出し厳禁の業務用タブレットに入っており、庁舎外への持ち出しは無論データのコピーも固く禁じられている。故に、情報はすべて頭の中に叩き込む必要があった。

「捜索部隊の作業状況は捗々しくないな」

 画面を物凄いスピードでスライドしながら、ぼそりと呟く。公安課に配属されてから習得した速読術は、公私を問わずあらゆる場面で活躍していた。ものの数分で通読した資料によれば、最初に失踪したのは立浜市議会議員の青木信一。去る六月二十七日の金曜日、出勤時間を過ぎても事務所に現れない青木氏を心配した職員が、彼の携帯に電話をかけたことが端緒となり事案が発覚した。翌日になっても姿を見せない息子の身を案じ、国会議員の父親が捜索願を出している。

 七月二日の水曜日。一週間の間を空けず、二人目の失踪者が出た。名前は小山内櫻子、青木氏と同じ立浜市の市議会議員だ。仕事を終えて事務所を出たまま、家に戻らずそのまま忽然と姿を消した。

 八日の火曜日。三人目の失踪者は、任期七期目に突入していた難波秀基市議会議員。二人目までと同様、何の兆候もなく突然消息を絶った。捜索願を出したのは妻で、退勤後に「もうすぐ帰る」とメールをもらってから一晩明けても帰宅しなかったため警察に連絡した。

 公安一課では、本件を受け議員捜索のための特別部隊を密かに結成。周辺関係者への聞き込みは勿論、誘拐事件の可能性も考慮して市内で人を監禁できそうな廃ビルや廃倉庫、空き家などを手当たり次第に捜索している。だが、三人目の失踪から十四日が経った現在まで彼らの行方はおろかその生死さえ判明していない。

 捜索部隊が議員の親族から得た証言によると、三人が自ら姿を眩ますような理由も前兆も心当たりがないという。また、SNS上でこそゴブリンお掃除隊から誹謗中傷を受けていたものの、自宅やオフィスに脅迫文書の類が届いたり無言電話等の悪戯をされたりすることもなかった。

「最後の失踪事件から十四日か……身の代金誘拐の可能性は限りなく低いだろうな」

 身の代金目的の誘拐事案において、犯人との交渉成否にかける時間は七十二時間、交渉の最大タイムリミットは一週間が定石だ。日本における身代の金誘拐事件では、誘拐から一週間以内に被害者が殺される事例は少なくない。気早な犯人に至っては、誘拐直後に被害者を足手纏いと判断して即座に殺害し、被害者が生きているように装って金銭を要求するケースもある。「誘拐事件は初動捜査が命」と言われる所以だ。

 今回の失踪事件は、最後に姿を消した難波氏の捜索願が提出されてから既に十三日が過ぎている。誘拐事案において犯人が身の代金を要求するのは、言うまでもなく犯人が金銭を欲しているからだ。それも可能な限り早急に。誘拐から身の代金の連絡まで何日も時間を空ける合理的な意味は、少なくとも時也には考えつかない。政治的要求の場合でも同様だ。目的達成までの時間や労力がかかるほどに、犯人の欲求度合いは下がってくる。長期戦の誘拐は被害者にとっては勿論、犯人側にもデメリットばかりなのだ。

 市議会議員の失踪について、時也は身の代金誘拐以外の可能性を頭に浮かべていた。彼らの失踪が自作自演である仮説だ。だがそれも、思考を巡らせるうちに「ゼロではないが限りなく無いに等しい」の結論に帰結する。

「自作自演ならやはり身の代金目的の線を疑うべきだろうが、犯人を名乗る人物からコンタクトが一切ないとなればその線も消える。あとは……現実逃避の失踪か? だったら書き置きのひとつでも残してバカンスにでも行けばいい。あるいは注目を集めたいがための狂言誘拐か。いや、それもないな。姿を消すにしても日数が経ち過ぎているし、犯人からの連絡も何もない状態だとそもそも誘拐とすら思われないかもしれない。計画としてあまりに杜撰だ」

 独り言ちながら、タブレットの画面を睨みつける。捜索部隊は市内で監禁場所になりそうな建物を総当たりしているが、人海戦術をこなすには人手が少なすぎる。空き家だけでも市内に二百戸近くあるうえに、犯人が独り暮らしで自宅を監禁場所にしているともなればいくら公安警察といえどもお手上げだ。

「せめて、骨にならないうちに見つけられたら御の字だな」

 自分の口から飛び出た不吉な一言に、思わず顔を顰めるのだった。



 金澤幸男市議会議員の警護を始めて三日目。この日、氏は貧困世帯をサポートする市民団体との座談会に出席していた。時也は座談会が終了するまで、会場である市民会館の廊下で待機する手筈になっている。

 洒落た長椅子を設た廊下には人っ子一人おらず、考え事に耽るにはお誂え向きの空間だ。都会の喧騒は慣れてしまえば生活の一部になるが、時折こうした静寂が恋しくなる瞬間もある。遠くから聞こえる誰かの靴音は、思考を邪魔しない程度の心地よいBGMになっていた。

「議員失踪の案件が直接公安一課に降りてきたということは、間違いなくからの密命だろうな」

〈カラス〉は、警察庁警備局警備企画課に属する係の通称だ。警備局は警視庁をはじめとする全国の公安警察組織に直接指示を与える。警視庁公安部や各道府県警の警備課の予算は警備局が握っており、故に捜査の指示も警備局からダイレクトに送られるのが公安警察組織の仕組みだ。

 中でも〈カラス〉と呼ばれる係は、公安警察の中でも特に重要な任務である協力者獲得作業を統括する。捜査対象である組織内に、組織の情報を提供してくれる協力者——いわゆるスパイをつくるのが協力者獲得作業だ。協力者の獲得および運営を指揮するのがカラスであり、警視庁や道府県警に配置されたカラスの直属部隊がその実行にあたる。

 本来であれば、都道府県警の本部長や各所轄署の署長はカラスの指示系統の中には含まれない。カラスからの指示は、都道府県警や所轄署の公安担当へ直に飛んでくる。だが、K県警の本部長は公安畑の出身であり、公安警察の内情に精通している。今回の市議会議員失踪事案も、カラスから本部長へ、そして本部長から公安一課へと指示が流れているのは明白だった。

「ゾディアック団の件といい、どうして公安一課にはややこしい案件ばかりが降ってくるんだ」

 無意識に頭髪を掻きながら文句を垂れる。議員秘書に暴力団、そして新組織が複雑に絡み合ったゾディアック団事件は、大規模な合同捜査の末に組織メンバーの半数近くが逮捕検挙されて一応の終結を見た。だが、殺人の主犯である男女は未だ逃走中で、公安一課が目を皿のようにしてその行方を追跡している。今回の市議会議員失踪も、単なる行方不明事件に収まらない嫌な予感が時也の胸中に渦巻いていた。ゾディアック団事件に匹敵する、深く暗い闇が目の前に広がっているような——。

「もし三人が誘拐事件に巻き込まれ、その実行犯がゴブリンお掃除隊だとすれば、もっとアクションの痕跡が残るはずだ。脅迫や誘拐を仄めかす手紙、金銭や政治的要求……だが、ゴブリンお掃除隊の三人への攻撃はSNS上だけで完結している。その内容も、稚拙な誹謗中傷を繰り返しているだけだ。あるいは、ゴブリンお掃除隊とは無関係の第三者が彼らを攫ったのか」

 ぶつぶつと独り言ちながら、スマホ上で件のSNSアプリを開く。Sharingでは記事を投稿するだけではなく投稿された記事に対してコメントできる機能も備わっていて、ゴブリンお掃除隊は失踪した議員の記事に根拠のない誹謗中傷や過激な発言を連投していた。だがその中身は「人間のゴミ」「無能な政治家」「地球の害虫」などといった小学生レベルの謗り文句で、相手にするだけ無駄だと一目で判断できる内容だ。実際、三人の議員はゴブリンお掃除隊の中傷に対して一切反応していない。

「それが火に油を注ぐ結果となり誘拐に発展したのか……それも釈然としないな」

 過去の投稿を遡ると、最後にコメントが残されたのは七月八日。三番目に失踪した議員の記事に「愚かな政治家ども」「立浜の害虫」などの暴言を吐いている。対象の記事は、市内に建設予定の立浜ネクストワールドに触れたものだ。

 実は、失踪した三人の議員にはある共通項があった。事件との直接の関連性は不明だがその共通項は金澤氏にも該当する。故に時也は、単なる偶然ではないと睨んでいるのだが。

 迷った末、業務用のスマートフォンからボスに電話をかけた。自分の頭の中だけで考えていても埒が明かない。事件解決の突破口は他者の言の中にあると、刑事になってから実感した。

『——東海林だ』

 通話ボタンを押し、三コールで応答があった。

「ボス、ちょっと気になっていることがあるのですが。失踪した三人の議員と金澤氏、四人にはある共通点があるのではないかと思いまして」

 周囲に人の気配がないか確かめながら、慎重に言葉を選ぶ。

「四人は立浜ネクストワールドの建設計画に関わっています。SNSでも関連する記事を定期的に投稿していました。それに例のアカウントですが、立浜ネクストワールドに関する記事に対して集中的に悪質なコメントを残しています」

『ゴブリンお掃除隊の目的は、テーマパーク建設の中断だと?』

「そこまではまだ何とも……ただ、市議会議員という共通項以外で四人を繋ぐ大きな接点のひとつではあります」

 電話口で低い唸り声がする。数秒ほどの沈黙が続いた後、ボスはおもむろに口を開いた。

『今夜、警護を交代した後でいい。本庁へ来てくれないか。至急共有したい話がある』

 仔細は追求せずに「了解です」と短く応える。電話を切ったタイミングで会議室の扉が開き、金澤氏がひょこりと顔を出した。

「ようやく終わったよ。予定より一時間も押してしまった」

 腕時計を見ると、たしかに知らされていた終了時刻より大幅にオーバーしていた。金澤氏は予定が狂うことを嫌う。分単位での行動に拘り、電車やバスが数分遅れただけで不機嫌になる——とは、事務所スタッフから小耳に挟んだ情報だ。氏が移動手段に公共交通機関を選ばないのはそのためでもある。いつも時間ぴったりに車を動かす専属運転手は、主人から絶大な信頼を寄せられていた。

「これから事務所に戻って書類作成をしなければならない。事務作業が溜まりに溜まっているんだ」

 体の凝りをほぐすように、金澤氏は肩をぐるぐると回す。

「承知しました。既に夜間の警護担当が事務所付近で待機しているはずです。そこまでご同行いたしましょう」

 市民会館の外へ出ると、建物から数メートル離れたところに黒塗りベンツが停車し、専属ドライバーが無駄のない動きで運転席から出てきた。

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