第13話 静かなる怒り
「人は見かけによらぬもの」
そんなありふれた言葉の意味が今ようやく分かった気がする。
これまでジュンコさんとは娘の友達のママさんという事もあって、それなりには親しくしていたつもりだ。普段からほんわかとしたタイプの女性で、きっと優しいお母さんなんだろうと想像していた。
今回の旦那の浮気を知ってしまったら、きっと泣き崩れてしまうのではないか?
俺はそんな風に考えながらこの家にやって来た。はずだったが……
今、目の前のジュンコさんは結んでいた髪を下ろし、両腕と脚を組みながら俺の言葉を待っていた。
ジト目で俺を見据えるその
そしてその迫力は、まるで仁王様を後ろに控えさせているかのようだった。
「えっと……まずはこれが二人のチャットのやり取りです」
俺はチャットの履歴をプリントアウトしていたものをジュンコさんに差し出した。
なぜ俺まで緊張しなければならないのか……横目で間男を見ると、青ざめた表情で小刻みに震えている。
「拝見します」
分厚い紙の束を手に取り、彼女は無表情でしばらくそれを読んでいた。
まるで地下牢にでもいるかのようにリビングは静まり返っている。
間男が生唾をゴクリと飲み込む音さえ、はっきりと聞こえてきた。
「声に出して読め」
四枚目の紙を読み終えたあたりで、ジュンコさんが紙の束を間男へ押し付けた。
下を向いていた間男がハッとして顔を上げる。
「えっ……いや、あの、その……」
ジュンコさんは無言で座ったまま、いきなり間男の胸に蹴りを入れた。
いわゆる喧嘩キックというやつだろうか。
「ごふぉおぉっ!」
綺麗に正座の姿勢を保ったまま、間男は後ろへと倒れた。
俺は思わず「あっ」と声が出てしまった。
ジュンコさんが再び腕を伸ばしながら「早く受け取れ」と言わんばかりに紙の束をバサバサと揺らした。
間男は体を起こし、四つん這いで彼女の方へと近付きそれを受け取る。
そしてまた正座をしながら、震える両手でその紙を広げた。
「何回も言わせんな。早く読めよ」
組んだ脚を軽く揺らしながら、彼女は間男を見下ろしていた。
「……ユウコさん……昨日はとても楽しかったです……きょ――」
「おい。勝手に文章変えんな。書いてある通り読めや」
「ユ、ユウコたん。昨日は――」
「感情込めろ」
「ユウコた~ん。昨日はめっちゃ気持ちよかったよぉ!今日はどんな下着はいてるのかな~?そうなんだ~見たいなぁ」
「相手のも読めよ」
顔から大量の汗、そして涙と鼻水を垂らしながら間男は朗読を続けた。
「黒のスケスケのやつだよ~ケイスケくんの好きなTバック。
そうなんだ~見たいなぁ。写真撮って送ってよ~。
えぇ~どうしよっかなぁ?
朝からそんなの見たら興奮して仕事にならないんじゃないの?
逆に元気になるよ~なんなら下着なしでもいいよ!
え~しょうがないなぁ――」
うちのバカ嫁の分まで声に出して読まれ、なんだか俺まで恥ずかしくなってしまった。ジュンコさんを見ると相変わらず無表情で間男を見ていた。
「そういえば明日嫁さんが夜までいないんだぁ。仕事休むからうちでやんない?
え~それはなんか気が引けるなぁ。
大丈夫大丈夫。ベッド使わなきゃ分からないから。ソファーとかでやろうよ」
ジュンコさんの顔が初めて曇った。
眉間に皺を寄せ、座っているソファーを見ながら「ちっ」と舌打ちをした。
「すみません……」
なぜか俺は条件反射的に頭を下げた。
「いえ、森さんが悪い訳じゃありませんから。じゃ続き」
それから全てを読み終わるまで軽く2時間近く掛かった。
途中、ジュンコさんはどこかへ電話をかけて子供のお迎えを頼んでいた。
その時に今回の浮気の事も少し話しているようだったが、間男の怯え方が尋常じゃなかった。
もしかしたらジュンコさんの御実家はその筋の人なのだろうか、と俺はじっとりと背中に冷や汗をかいた。
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