第12話 修羅の目覚め


 血の足跡はすぐに消えていたが間男の家は分かっているので問題なかった。

インターホンを鳴らすとすぐに女性の声が返ってきた。


「はい。どちら様でしょう?」


「どうも森です。こんにちは」


 カメラに向かって俺は笑顔で挨拶した。

もちろん向こうの奥さんは俺の顔を知っている。


「あー森さん、こんにちは。ちょっと待ってくださいね」


 玄関のドアがガチャリと開いて、中からジュンコさんがお辞儀をしながら出てきた。夕飯の準備でもしていたのだろうか?

彼女は花柄の可愛らしいエプロンをしていた。


「そろそろ保育園のお迎えに行こうとしていた所なんですよ。あれ?でも今日ユイちゃんってお休みだって聞いてるんですけど……」


「ええ、娘はしばらく保育園は休む事になってます。ところでご主人は家にいらっしゃいますかね?」


「えっと……はい、おりますけど。どうかされました?」


 ジュンコさんは俺が不自然に靴を持っている事に気が付いたようだ。

たぶんなんとなく見覚えのある皮靴だと思ったのだろう。


「よかった。今日はお仕事お休みだったんですかね?」


「なんか早退してきたみたいでして。昼過ぎにパートから帰ったら家にいたんでびっくりしたんですけど……。あの、主人になにか御用でしょうか?」


「実はうちに靴を忘れて帰られたのでお返しに伺いました」


 そう言って俺は靴を持ち上げてみせた。

ジュンコさんは更に困惑した表情で、俺が手にしている革靴をまじまじと見た。


「靴を忘れて帰った……?」


「ここでお話しするのもなんなので、良ければ少しお邪魔してもいいですか?」


「そ、そうですね。どうぞ」


 玄関から中に入ると、俺は靴を丁寧に並べて置いた。


「これ、ご主人ので間違いないですよね?」


「えーっと、はい。たぶん主人のですけど……ごめんなさい、どういう事なのかよく分からないんですけど?」


「少し前までご主人はうちにいらっしゃってたんです。

単刀直入に言いますね。ご主人はうちの嫁と浮気してたんですよ」


「え?」


 いきなりそんな事言われて信じられなかったのだろう。

ジュンコさんは目をぱちくりさせながら俺の顔を見ていた。


「一応いくつか証拠もありますんで、良かったらご覧になります?」


「……とりあえずお上がりください。今主人を呼んできますので」



 リビングへと通され、俺はソファーに腰を下ろした。

ジュンコさんが奥の部屋へと行くと、なにやら話し声が聞こえてきた。


「森さんのご主人がいらっしゃってるんだけど……あなた浮気したってほんとなの?」


「えっ!いや誤解なんだよこれは!俺はなんもしてない!」


「とりあえず今お見えになってるから、ちょっと来てよ。あっ!ちょっと!」


 彼女が叫ぶと同時に、間男が部屋から転がるようにして飛び出してきた。

さっきも見たような光景だが、こいつは逃げ癖でもあるのだろうか。

俺は急いで立ち上がると間男の行く手を遮るように両手を広げ廊下に立ち塞がった。


 さすがに観念したのか、間男は片足を庇うようにしながら立ち止まった。

そしてすぐに、後からやってきた奥さんが男の肩をパンと叩いた。


「もう恥ずかしい事しないでよ。ほら行って」


「いや、ほんとに誤解なんだって。俺はなんもしてないんだって!」


「逃げた時点で白状したようなもんだろうが。早く行けよ」


 ジュンコさんの口調が急に変わった。

えらくドスの効いた声で間男の腕を掴むとリビングの方へと歩き出した。

心なしか彼女から殺気のようなものが感じられる。

俺もそそくさと道を開けながら小走りで先にソファーへと座った。


 間男を引きずるようにしてやってきたジュンコさんが、俺の正面にドカッと腰を下ろした。間男が彼女の横に座ろうとすると、それを手で制しながら彼女はキッと睨みつけた。


「おめぇは床だよ。正座しろ」


 間男の体が一瞬固まり、そして一歩さがりながら床に正座した。

こいつが逃げ出そうとした意味がなんとなく分かった気がする。

今から始まる修羅場を予想しながら、俺は背筋をピンと伸ばした。


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