第11話 ひび割れた写真立て


 滅茶苦茶になったリビングで、嫁が床に座り込みながら泣いていた。

背中を丸め、まるで自分を抱きしめるかのようにして肩を震わせていた。


「うっ……ううぅぅ。写真立てが割れちゃったよぉ……」


 彼女はこっちを振り返りながら、ガラスの割れた写真立てを俺に見せてきた。

娘の七五三の時に三人で撮った記念写真。

リビングに飾っていたそれは、ガラスが割れ大きなヒビが入っていた。

まさに今の家族を象徴しているかのように。


「怪我はないか……?」


 自然とそんな言葉が真っ先に出た。もしかして昨日は寝てないのだろうか。

嫁の顔色は悪く、目の下にはクマも出来ている。

髪もぼさぼさで服も昨日と同じような気がする。


「ごめんなさい、あなた……ごめんなさい」


 写真立てを抱きしめるように胸元で握りしめながら、嫁は涙を流していた。

思えば嫁が謝罪の言葉を口にしたのはこれが初めてかもしれない。

最初はフライパンでスマホを叩き割り、次にタブレットを踏み壊した。

その時は俺に謝ってなどいなかった。

ようやく彼女も自分がした事に気が付いたのだろう。



「ユウコ……聞かせてくれ。どうして浮気なんてしたんだ?俺に不満があったのか?」


 彼女はすぐに激しく頭を横に振った。


「そんな事ない!そんな事ない!」


「じゃあどうして……?」


「本当に遊びのつもりでした。若い頃に戻った気がして、ただふざけていただけでした」


「それで俺が傷つくとは思わなかったのか?俺や娘に悪いとは思わなかったのか?」


「ごめんなさい!ごめんなさい!離婚だけはしないで!お願いします!」


 彼女は床を這いつくばるようにして俺に近付いた。

そして足元に縋りつきながら必死に何度も謝罪を繰り返した。


 そんな彼女の姿がとても哀れに見えた。

でも同時に、間男との情事に耽っている嫁の顔がフラッシュバックする。

再び夫婦として、そして家族としてやり直す事などもはや不可能だろう。



「ユウコ……」


 俺は嫁を抱き起し、そしてソファーに座らせた。

彼女の前にしゃがみ込み、その目をしっかりと見つめた。


「君がやった事はもう取り消せはしない。例え画像や動画を消したとしても、俺の頭にはしっかりと残っている。それを思い出す度に、怒りや憎しみが湧いてくる。

それが俺にとってはなによりも辛く苦しい。

この先、そんな思いを持ったまま生活していたら俺はいつか壊れてしまう。

それはきっと君にも言える。そんな家庭で育つ娘の事を考えてみてくれ」



 彼女の涙はすでに止まっていた。

さっきまでその目のあった怯えや恐怖はもう消え去っていた。

そして彼女はゆっくりと床に手をつき、そして深く頭を下げた。


「家族を壊してしまった責任は私にあります。本当にすみませんでした……」


 泣くのをを堪えるかのように彼女は体を震わせていた。

床に置かれた写真立てに涙がぽつりぽつりと落ちていった。




◆ ◆




 その後、二人でぐちゃぐちゃになった部屋を掃除した。

お互い何も喋らず、割れたガラスを集める音だけが聞こえてくる。


 大方片付いた後、キッチンのテーブルで話をした。

慰謝料や財産分与、そして親権の事など彼女は全て俺の希望通りに了承した。

念のため用意しておいた離婚届けにも、彼女は拒む事無くサインした。

そして震える手で自分の名前を書いた後、彼女は両手で顔を覆った。


「少し休んだ方がいい」


 俺がそう言うと、彼女は一度頷いてから寝室へと向かった。

バタンと閉められたドアの向こうから、また微かに泣き声が聞こえてきた。

俺は大きく息を吐き離婚届をカバンに仕舞った。


 電気を消して玄関へと向かう。

靴をはこうとした時に、間男が忘れていった靴が目に留まった。

俺はそれを拾い上げて外へと出た。


「忘れ物は届けてやらないとな」


 道路に残された血の跡を辿るようにして、俺は間男の家を目指して歩き始めた。


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