第9話 消えゆく家族
ガチャンとドアの閉まる金属音が部屋に響いた。
一人取り残された私は、うずくまったまま起き上がる事が出来なかった。
夫の冷たい視線と投げつけられた言葉が何度も頭の中でループする。
これまで何度か喧嘩した事があったけど、いつもだいたい夫が折れて許してくれていた。前回スマホを壊した時も、ちょっと呆れていたみたいだけど最後は許してくれた。だから私は甘えてしまったんだ。
◆ ◆
「旦那にバレたから、もうチャットはしないよ」
新しいスマホにデータを移した後、私はケイスケくんに電話を掛けた。
バレてしまった事に彼は最初はビクついていたけど、私がスマホを叩き割った事を伝えると愉快そうに笑った。
「ははっ!すげー!ユウコちゃんも思い切った事するねー。それで許してくれたんだ」
「いきなりでびっくりしたしね。自然と体が動いちゃった。もう連絡取り合うのは無しね。LINЁの登録も消したからね」
「えー寂しいなぁ。てかバレなきゃいいんでしょ?俺に良い作戦があるよ」
そう言って後日、ケイスケくんは私用にタブレットを買ってくれた。
確かにいい方法だと思った。
スマホを堂々と見せても平気だし、なによりスリルがあって楽しい。
浮気への罪悪感よりも、夫を巧く騙せている高揚感みたいなものがあった。
「どお?うまくいってるでしょ?」
「うん完璧!やっぱGPSが効いてるよね」
昼間はケイスケくんとホテルに行き、家に帰れば良き妻を演じる。
まるでゲームでもしているかのように毎日が楽しかった。
ホテルにいる時もチャットを返したり電話に出たりする。
バレてしまわないかという心配よりも、ドキドキ感の方が勝ってしまう。
「もしもし?どうしたの?」
夫からの電話に返事をするとケイスケくんが寝転がっている私の肩をトントンと叩いた。そして「スピーカーにして」と口パクで伝えてくる。
私は無言で首を横に振るがケイスケくんは拝むように手を合わせている。
「ちょっと今日は遅くなるかもしれないから連絡したんだ」
スピーカーに切り替えると夫の声が部屋に響いた。
「そうなの?LINЁで教えてくれればよかったのに。あっ、ん……」
突然、ケイスケくんが後から覆い被さってきた。
私は思わず口を押さえる。
「どうした?」
「あっうん大丈夫。やん、ちょっ……」
ベッドが軋み始め、私は慌ててタブレットを枕の下に滑らせる。
背徳感というやつだろうか。いつもよりも興奮してしまう。
なんとか誤魔化して電話は切ったが、その余韻だけでも十分刺激的だった。
帰ってから本当にバレてないか不安だったが、夫はいつもと変わらない様子だった。だから私達は調子に乗ってしまった。
◆ ◆
夫はとっくに気付いていたんだ。
嘲笑っていたのは私達じゃなく夫の方だった。
その時スマホが鳴った。
名前は表示されてないが、誰が掛けてきたのかは分かる。
「もしもし?どうだった?うまく誤魔化せた?」
ケイスケくんが呑気な声でそう言った。
「……全部バレてたよ。たぶんうちは離婚すると思う」
「えっ!?マジで!ちょっと勘弁してよぉ、冗談きついって」
ほんと……これが冗談や悪い夢ならどんなにいいか。
でも事実はもう変わる事なんてない。
チャットのみならず、彼が撮った画像や動画も夫は見ているだろう。
ケイスケくんのあからさまな態度に、逆に私は冷静になれた。
「弁護士雇うって言ってた。そのうち連絡がいくと思う。私もジュンちゃんに謝らないと……」
「いやいやちょっと待てって!嫁さんにバレるのはまずいって!俺がなんとか――」
私は通話を切ってそのまま電源をオフにした。
そしてソファーにスマホを放り投げて座り込んだ。
ふとその時、リビングに飾ってあった写真立てが目に入る。
家族三人で撮った記念写真。
それは窓から差し込む夕日に照らされていた。にこやかに笑う夫と娘の姿。
その横にいるはずの私の顔だけが、光の反射で見えなくなっていた。
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