第8話 僕の貸出はやってないのに



 放課後の図書室。

 利用者が少なく、読書のために来ているようなこの場所で、僕は座って本を片手に開きながら思考は別にあった。

 


『もちろん、あなたと同じ気持ちだからよ?』



 森姫さんの言葉が頭の中で繰り返される。

 

 

 僕は彼女のことを二つ名で呼ぶことは絶対しないと決めていた。

 なんと、それが相手も同じ気持ちだったなんて知らなかった。

 彼女も自分以外がかっこいい二つ名で呼ばれるのが悔しいらしい。


 

 それに加えてのあの満面の笑み。

 教室にいる時には見せたこともない咲き誇る花ような表情、クラスメイトが見れば男女問わず歓声が上がることだろう。


 

 だけど、皮肉を込められた醜悪な物だったなら見え方が大きく変わってしまう。

 お弁当を沢山くれたから優しいなと思ってたのに、最後にとんだ一撃を喰らってしまった。



 『深窓の貴公子』より『花冠のエルフ姫』の方がちょっぴりかっこいいのは認めよう。



 でも、待てよ。

 僕の二つ名を呼ばないということは、彼女は僕の二つ名をかっこいいと思っている訳だ。



 お互いに相手の二つ名をかっこいいと思っているなら、この二つ名バトルは引き分けだ。


 

「……きくん、柚月くん」


 

 声がして、僕の思考は引き戻される。

 そこには隣の席に座っている同じクラスの図書委員である佐藤さんが、僕の顔を遠慮がちに覗き込んでいた。



「どうしたんだい佐藤さん?」


「そろそろ戸締りする時間だよ」


「ああ、もうそんな時間か」


 

 辺りを見ると、窓からは夕陽が差し込んでいて図書室を紅に染めていた。


 

「柚月くん何度声をかけても反応がないから、ちょっと心配になっちゃった」



 でも、なんともなさそうでよかった、と胸をなで下ろす佐藤さん。



 お昼の森姫さんに言われたことを思い出して、そこから脱線してどっちの二つ名がかっこいいかを考えていたなんて言えない。


 

「心配かけてしまって悪いね。この本が面白くて、集中してしまったよ」



 本を小さく掲げながらそう告げると、感心したような佐藤さんがぽつりと溢した。


 

「上下逆さまなのによく読めるね。さすが柚月くん」



 え、と僕は本を見ると上下逆さまだった。

 パタンと本を閉じて立ち上がっていう。



「物事は一つの捉え方だけではいけない。見方を変えると新たな発見があるんだ。それは本においても、ね」

 

「へー、すごい! 思考じゃなくて実際に見方を変える方法もあるんだ。今度、私もやってみようかな」



 目をきらきらとさせた佐藤さんが僕を見上げる。



「あ、うん。でもこれは集中力を要するからあまり人前ではやらないのをおすすめするよ」


 

 そして僕らは後片付けをして、戸締りをするために図書室を一歩出たそのときだった。



「遅い」



 腕を組みながら、人差し指をとんとんとしきりに動かしている森姫さんがいた。

 夕日に照らされた銀髪が煌めきを放ちながら輝いている。



 僕も負けじと髪の輝きが分かりやすくなるように、やれやれと頭を振りながらいう。



「ごめん森姫さん、図書室はもう締めるんだ。借りたい本があるなら明日にしてくれないかな」


「本が借りたくてここに来たわけじゃないの」



 少し間を開けて森姫さんは口を開く。


 

「この人、借りていくわね?」



 この人、と森姫さんは僕を指差しながら、佐藤さんを睨んでいた。


 

「お、お姫様っ!? ど、どうぞ! ……私はカギを返してくるので」



 僕と森姫さんを交互に見た後、佐藤さんはささっと鍵を閉めてからこの場を去った。

 僕の貸出はやってないのに。


 



 帰り道。

 僕は森姫さんと並んで通学路を歩いている。

 特に会話もなく数分が経っていた。



「そろそろ離してくれないかな」


「あ、……ごめんなさい」



 その間、森姫さんはずっと僕の制服の裾を引っ張っていた。

 自分の行動に初めて気づいたみたいに、彼女はパッと手を離した。



「柚月くん、佐藤さんとは仲良いの?」



 突然、森姫さんはこちらを見ずにいう。

 話すことがないからさっき会った佐藤さんのことを話題にしたのだろう。



「どうだろうね。委員が一緒で話す機会は多いけど」


「へー、そうなの」



 聞いてきた割に興味なさげだ。


 

「ところで森姫さんはどうして僕を待ってたのかな」


「契約したでしょ」


 森姫さんは口を尖らせていう。



「契約の中に一緒に帰るのも含まれていたんだね」


「そうよ。普通の女の子は誰かと一緒に帰るものなの」



 普通の女の子はそうなのか。

 僕の身近にいた女の子は幼馴染しかいなかったけど、あの子とはたしかに一緒に帰っていたっけ。



「僕の委員会が終わるまでだったら、結構待たせてしまったんじゃないのかな」


「部活があったらそうでもないわ」


「なら、良かったよ」


  

 あんまり待っていないなら「遅い」といっていたのはなんだったんだろう。

 そう思ったけれど、不機嫌そうだし口にするのはよそう。 



 もしかしたら、お昼に僕と一緒にご飯を食べたのものこの契約の内容のひとつということだったのか。


 

「これからはお昼も帰り道も一緒に過ごすということでいいのかな?」


「ええ、そうして頂戴」


「分かった。そうしようか」



 普通の女の子になるって言ってたけど、その方法はこんな感じで良いんだ。


 

 これを続けたら普通の女の子になれるのだろうか、という考えが頭をよぎったけど、一人で誰もいないところに向かっている喋っている姿を思い出し、それよりよっぽど普通だと思った。


  

「そうだ。屋上で一緒に食べたの、初めてだったから結構良かったよ。ありがとう」

 

 

 今日頂いたお弁当の感想をいう。

 大豆ハンバーグなんて初めて食べた、肉とは違ってさっぱりとした味がした。


 

「え、初めてだったの?」



 翡翠色の瞳を丸くしながら森姫さんは驚く。


 

「ああ、君と食べたのが、初めてになる」

 

「ふふん」



 そして、森姫さんは鼻を鳴らしてから腕を組み、どこか上機嫌になった。

 家政婦さんが作ってくれたお弁当を褒められて嬉しいのだろう。


 

 ふと、頬に水滴が落ちる。


 

「ん?」


 

 頬に手を触れてから、見上げると鈍色の雲が空にふたをしていた。


 

「にわか雨が降りそうだね。森姫さん傘は持ってるかな」


「いいえ、あいにく持ち合わせてないわ」



 苦々しい顔で森姫さんは言葉を落とす。


 

「僕もだ」



 束の間、雨が勢いを徐々に増していく。

 これはゆっくり歩いていられないな。

 

「森姫さん行くよ」

 

「え、ちょっと……!」



 僕は森姫さんの手を取って走り出した。

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