第7話 もちろん、あなたと同じ気持ちよ?


 

 トール……じゃなかった。

 柚月くんと契約を交わした翌日のお昼休み。



 私は柚月くんを探して目的地に向かうために廊下を歩いていた。


 

 彼はお昼になると忽然と姿を消す。



 その理由は私には推測することはできない。

 恐らく深い訳があるのだろう。


 

 けれど、彼の居場所には心当たりがある。


 

「きっと、屋上ね」


 

 近頃、柚月くんを屋上で一瞬だけ見たという噂が校内で広まっている。

 一瞬だけ、と普通の人が聞けばなんとも不思議な話だけど、転生者である私にはピンとくる。

 転移魔法や不可視の魔法、それに類する能力を使っているに違いない。


 

 私の元いた世界では転移魔法は御伽噺にだけ存在する伝説の魔法だ。



 しかし、あれは御伽噺などではなく事実だったということをエルフとして永く生きた私は知っている。

 大賢者トール、転移魔法を行使出来たただ一人の人間だ。


 

 それと同時に驚愕する。

 魔力の薄いこの世界で、しかも頻繁に使っているとなると理解が追いつかない。

 

 

 彼は私の魔力探知に引っかからないから、探し出すためにはこうして噂にすがるしかない。

 

 

 私がなぜ彼を探しているかというと、一緒にお昼ご飯を食べるため。



 だって……、一応契約とはいえ付き合ってるんだし?

 普通の女の子なら、付き合ったらお昼は一緒に食べるものでしょ?



 歩きながら、胸の高鳴りを鎮めるために胸元をぎゅっと握り込む。

 これはきっと緊張しているだけ、家族以外にご飯を一緒に食べたことがないから。

 


 

 私は転移魔法は使えないけど存在を隠すための魔法くらいなら使える。

 私の見た目は否応にも目立ってしまうからこの魔法は重宝している。

 

 

 今も闇の精霊の力を借りて魔法を使っている。

 相手の視覚に作用するのではなく、存在感を極限にまで希薄にして気づかれないようにする。



 だから、廊下で向かい合って談笑している男子二人の顔の間で、こうして手を振っても気づかれることはない。


 

 男子二人から離れて、私は力のない足取りで歩みを進める。

 


「気づかれることはない、か……」

 


 存在感を希薄にしても音は耳に入るので、誰にも聞こえないように私は一人呟く。

 

 この魔法は便利だけど、とても寂しく思う。

 だって私には目立って騒がれるか、気づかれないかの極端な二択しかないのだ。



 


 そして、屋上に続く扉の前にたどり着いた私は、ドアノブを掴んでは離して一人でもじもじと手をこまねいていた。


 

 こういうときってどうすればいいの?!



 もしドアを開けて彼がいなかったから私が馬鹿みたいだし。

 居たとしても、魔法で気づかれないようにしてるから彼の前に急に現れることになる。

 驚かせるつもりもないのに「びっくりした」って言われるのは気分良くない。

 

 でも、そうしている間にお昼休みの時間が過ぎていっちゃう。

 意を決して右手でドアノブに掴もうとするが、左手が右手首を掴んで阻止する。

 うーん、どうしよう。


  

「キミだね」


 

 頭悩ませていると、透明感のある神秘的な声がした。


 この声は、柚月くんの声だ。

 ミステリアスで唯一無二の声なのに、耳にすっと馴染む不思議な響き。

 

 頭上からしたその声は神の信託のように思えた。

 

 

 私は観念してドアを開けた。


 

「なんでもお見通しなのね」


 

 きっと私が来ていることは前から気づいていたのだ。

 なのに一人で悶絶していて恥ずかしさを覚える。


 

 でも、彼が私に気づいてくれたことにとても嬉しくなる。

 騒ぐでも気づかないでもなく、さして気にしないその普通な反応に心が踊った。



 屋上に入って後ろを振り向いて、給水タンクのある場所に座っている彼を見上げていう。


 

「お昼一緒に過ごしましょ」


「……ええ?」

 


 逆光になっていて彼の表情が見えないけど、ええ、と承諾してくれたのは分かった。

 私は梯子を登って彼の隣に座り、手にしていたお弁当を広げる。

  

 

 いただきます、と手を合わせる。

 この所作はこの国の文化、案外嫌いじゃない。



 恵みに感謝して食べるというのは良いことだ。

 だからこの地には精霊が多いのだろう。


 

 お弁当は家政婦が作ってくれる、野菜中心の健康的なメニュー。


 

 エルフであった私は野菜や穀物を好んで食べる。

 肉や魚が苦手というよりそもそも口にしたことがない。

 いわゆる食わず嫌いなのだ。

 


「柚月くん、あなたいつもお昼ご飯を食べていないのはどうして?」



 私は昼休みなのにお弁当を出していない柚月くんに質問を投げかける。

 

 これは彼を数日観測して気づいた疑問だ。

 お弁当以外におにぎりやパンなどの包装紙すらないので既に食べ終えたということも考えづらい。

 


 彼は少しだけ陰りのある表情を見せたあと、なんでもないように言った。

 

 

「ちょっと食事に不自由しててね」

 


 不自由している。

 その言葉は深く私の胸に響いた。

 


 単に金銭的な不自由という意味ではないだろう。


 

 大賢者という神にも等しい存在から転生した彼は、食事による栄養補給が不要なのではないかと推測する。

 エルフだった時の私の食事頻度はとても少なかった。


 

 それを転生者である私だから打ち明けてくれたのだ。

 

 

「ごめんなさい、変なことを聞いてしまって……」


「いいんだ。良かったら君のおかずを一品くれないか?」



 そういって柚月くんが指さしたのは大豆ハンバーグだった。


「ええ、どうぞ」


 

 私がそう言うや否や、ひょい、と手に取って無邪気に食べる柚月くん。


「とっても美味しいね」 


 生き返るよ、と大袈裟に目を輝かせる彼に、私は思わず微笑ましくなって顔を綻ばせる。

 私が一人で食事をするのに気を遣わせないために演技をしてくれている。

 

 これまでは他の人にも気を遣って一緒に食事をせずに一人孤独に過ごしていたのだろう。優しい人だ。

 


「もっと食べてもいいかな?」


「ええ、あなたが望むのなら」

 

 

 それから彼は私のお弁当を半分以上も食べるのだった。

 私はその様子を涙を堪えながら見守った。

 

  

「森姫さん、ありがとう」



 ふう、と満足そうな顔を浮かべる柚月くん。

 常人では理解できない不自由を抱えながら、一般人のように振る舞う彼をとても儚く感じた。

 転生者である私なら理解できることがあるかもしれない。



「そういえば、柚月くんって私のこと名前で呼んでくれるわよね。みんなみたいな呼び方じゃなくて」


 花冠のエルフ姫。

 みんなは好きにそう呼ぶが、私には過ぎた名前だ。


 朝、挨拶されて彼に名前を呼ばれて嬉しかったを思い出す。

 

 

「僕が呼ぶ訳ないじゃないかあんな名前で」


 

 柚月くんの声に、なにかを断絶するかのような強い意志を感じ、私は息を呑む。


 

 名前というのは大切なもの。

 彼はこの世界に生きるエルフではない私を尊重してくれているというのに他ならない。


 

「森姫さんも僕のこと名前で呼ぶのはどうして?」


 

 柚月くんの質問が飛んでくる。

 窓際の席で物憂げに空を見上げる一枚の絵画にでもなり得るその姿から『深窓の貴公子』と呼ばれている。


 

 そして、屋上で姿が消える噂が立ってから『蜃気楼の魔術師』とも呼ばれ初めている。

 当然、彼は知っているはず。


 

 そんな不機嫌になることを、今あえて言う必要もないわね。


 

 それに、私があなたを名前で呼ぶ理由なんて、なんでもお見通しのあなたなら分かってるくせに。


 

「もちろん、あなたと同じ気持ちよ?」



 満面の笑みで私は告げる。 



 瞬間、柚月くんの眉毛がぴくりと動いたように見えたけれど、気のせいかしら。

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