第8話 帰りたくなんかありません。
夜。
営業時間が終わった後、お店の奥にあるお茶の間で、私とコウキさんは向かい合って座っている。
「……というわけで、なんやかんやあって手続きが上手くいったそうだ。数日中には、元の世界に帰ることができるぞ」
「そ、そうなんですね……」
なんか最初に聞いていた話とはだいぶ違うけど。
かなりのお金やら時間やらがかかるって言ってたのは何だったのか。いい加減すぎません?
けどとにかく、帰れるのは本当みたい。
あ、あはは、良かったなあ。向こうでなら、欲しい本を発売日に買うことができるや。
……ここを出たら無職になっちゃうから、買うお金があるかはわからないけど。
って、あ、そうか。
私ってばきっと無意識のうちに、無職に逆戻りすることを心配してたんだ。
だって元の世界に帰れるのは嬉しいはずなのに、昼間から胸がチクチク痛かったんだもん。
そしてどうやらそんな私の気持ちは、顔にも出ていたみたい。
「どうした、嬉しくないのか?」
「う、嬉しいですよー。嬉しすぎて、小躍りしたいくらいです。で、でも考えてみたら、帰った後ちゃんとやっていけるか心配で……」
「そういえばお前、会社が潰れたばかりだって言ってたな。なるほど、無職になるわけか」
うーんと悩むコウキさん
よけいな心配をかけちゃったかな?
「わかった。オレもできる限り退職金を払う」
「そんな、悪いですよ。私、1ヶ月も働いてないのに」
「遠慮するな。もし金がなくなってのたれ死んだりしたら、そっちの方が後味悪い。こっちに来てから飯しっかり食うようになって少しは肥えてきたってのに、逆戻りさせるわけにはいかないからな」
「言い方! 『肥えてきた』ってなんですか!」
「悪い、言葉のアヤだ。少しは肉ついてきたけど、まだまだ貧相だもんな」
「貧相って言い方も止めてください!」
もう、コウキさんって本当に、デリカシーの欠片もないんだから。
……でも、どうしてかな。この毒舌ももうすぐ聞けなくなるって思うと、寂しい。
「あの、でも私が辞めて、お店の方は大丈夫何でしょうか? 一人だと、負担が大きいんじゃ」
「心配するな。元々一人で回していたんだ。何とかなる」
「……何とかならなかったから、私が人間だって気づけなかったんじゃ?」
「い、いいんだよ、そんなことはどうでも。もし無理があるようなら代わりを雇えばいいんだから、お前が辞めても何の問題もない」
たしかにその通り。元々私は、こちらの世界にとっては異物。
コウキさんだって人間を雇うよりも、妖怪の従業員を置いた方がやりやすいかも。
けど、代わりを雇えばいい、辞めても問題もない、ですか。
そんな言い方をされると、なんだか私のことなんて要らないって言われてる気がして……。
「……コウキさんのバカ」
「は? なぜいきなり悪口? おい、何が言いたいんだよ」
「知りません! 私、もう行きますね!」
問答無用で話を終わらせて、部屋を出る。
我ながら、まるで子供みたいな拗ね方だと思うけど、今はこれ以上コウキさんと話したくないんだもの。
コウキさん、ちょっとくらい引き留めてくれてもいいのに……。
それからお風呂に入って、上がった後もろくに顔を合わせないまま就寝。
あーあ、ここにいられる時間はもうそんなにないのに、なにやってるんだろう?
最初は早く帰りたいって思ってたのに、いざ帰れるってなったら名残惜しいから不思議。
そして朝になって。
コウキさんはまだ寝ていたけど、私は着替えてから外に出て、その辺を散歩することにした。
短い間だったけど、暮らした町。
思えば、みんないい人ばかりだったなあ。
人間の私をちゃんと受け入れてくれて、優しくしてくれたんだもの。
特にコウキさん。
デリカシーがなくて、怒ることも多いけど、一番お世話になったのは、やっぱりコウキさんなんだもの。
それに彼、しっかりしているようで意外とドジなとこあるから、何かあったら手助けできればって思っていたのに。
帰ったらそれも、できなくなっちゃうんだよね。
それどころか、もう二度と会えないかも。
橋の上から小川を見下ろして、「ハァ」とため息をつく。
「帰りたくないなあ……」
「そうかいそうかい。だったらそれを、コウキくんに言ったらどうだい」
「えー、無理ですよそんなの……って、え?」
つい返事をしちゃったけど、誰と喋ってたっけ?
慌てて横を見ると、そこには猫の頭……もといコリンさんが立っていた。
「コ、コリンさん。どうして?」
「なあに、朝の散歩をしてたら、サオリちゃんを見かけてね。それより帰りたくないって、コウキくんに言ってないんだろう。大事なことなんだから、ちゃんと話さなきゃ」
「で、でも、わがままを言うわけには。いつまでも居座ったって、迷惑でしょうから」
「迷惑かどうかを決めるのはサオリちゃんじゃない、コウキくんだよ。それにコウキくん、抜けてるところあるからねえ。あたしとしては、サオリちゃんみたいな子が支えてあげるくらいが、丁度いいと思うんだけどなあ」
私がいた方がいいかはともかく、コウキさんを案外ドジって思ってるのは、私と同じみたい。
「何より大事なのは、サオリちゃんの気持ちさ。いいんだよ、わがまま言っても。ここに残りたいなら、そう言えばいい」
「でも、私は人間ですし。この町にいるのは、おかしいですよ」
「なに言ってるんだい。誰もそんなこと気にしちゃいないよ。それとも、人間は出ていけなんて言ったやつがいたのかい? もし言われたのなら、あたしがそいつをとっちめてやるよ」
「いえ、言われてはいませんけど……」
「だったら気にすることはない。コウキくんにも、ちゃんと気持ちを伝えてみなさい。どうせ
言うだけならタダなんだから」
そんな軽い気持ちで言っていいのかなあって気が、しないでもないけど。
でも、間違ってはいないかも。
どうせケンカしたままなんて嫌だし、だったら……。
「わかりました……ありがとうございます、コリンさん」
私は、素直な気持ちで頷いた。
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