06,3人目

「失礼いたします」


イリス・ケルトは、一礼して学園長室から退出する。


「申し訳御座いません、イリス様。私のような者の為、付き合わせてしまい――」


イリスに深々と頭を下げるのは、白髪の老人だった。


「何を言っているのですかライリー様。以前にお話した通り、私は貴方様のファンなのです。今年のチェス大会も、応援させていただきます」


2人は校内の玄関に向かうべく、歩き出す。


「それは大変光栄な事だ。しかし、もう私が優勝する事はないでしょう」


「それは、オリヴィア伯爵令嬢が居るからですか?」


「はい。あの子の読みは、常に私の数手先を読んでいる。既にあの子は、私より上だ」


「私と同い年で――それでは、彼女が負ける事は暫くないのでしょうね」


「いいえ。残念ではあるが、それはないでしょう」


「え?」


イリスは歩みを止め、ライリーに視線を移した。


「私の知る限りだと、彼女よりも強い人物を1人知っておりまして――」


老人もまた、歩みを止めて窓の外を眺める。


「ライリー様が認める強者。なのに、何故大会に出場しないのでしょうか?」


「理由は一つ。彼には興味がないのです」


「興味がない」


「彼の言葉を引用すれば『大会以上に成すべき事がある』との事で――」


イリスの脳裏のうりには、とある人物が浮かび出す。


「まさか、その御仁ごじんは――」


「お嬢!」


彼女たちの会話に割って入ってきたのは、金髪の男性で彼女と同じ制服を着ていた。


「ヨシア?何を慌てて」


呼吸を整えようと努力するも「例の、あの男が、オリヴィア、伯爵令嬢と、チェスの、対局を――」と、言葉が途切れ途切れになってしまう。


「何ですって」



チェスの対局は一悶着ひともんちゃくあったが、以降はとどこおりなく進み。現在、終盤へと差し掛かっていた。


「なぁ今どっちが勝っているんだ?」


「私に聞かないでよ」


「ほぼ互角だ」


ユリウスが目を細めながら、チェスの盤面を注意深く見渡す。


「それって凄いよな」


「凄いという言葉では片付かない」


「どういう事、ユリウス?」


「相手は首都で開催されているチェス大会で、5年連続優勝している『神童』のオリヴィア・カーライル様。去年も決勝で、彼女の師を相手にするも、終始圧勝する強さだと聞いている」


「って事は――」


「アルヴィスさんが互角であるのは――」


「異常だ」


(何故だ、何故だ、何故だ、何故だ。あの人の話によれば、この男はチェスに暫く触れていないと聞いていたのに――)


彼女は、左の親指の爪を噛む。


(あの女は互角と言っていたが、チェスは全てが同じ戦力で戦うモノ。違いがあるのは、先か後だけ。つまり、順番が遅い後手が有利な競技。だから、実質私が負けているようなモノ)


「貴女は何故、此処に入学したのですか?」


「急に何を――」


彼の言葉を冷静に聞けていないのか、目を泳がせながら、あらゆる箇所の盤面を見るオリヴィア。彼女は、恐る恐る駒を動かす。


「入学試験の折、自分が一番驚いたのは貴女が居た事。女性の貴族が軍事学校に入学する事は決して珍しくはない。しかし、それはあくまで、家の跡取りでない者のみ」


アルヴィスは、間髪入かんぱついれず次の一手を進めた。


「くっ!」


(両親と同じ事を――)


「しかし、貴女は長女で跡取りの筈。しかも、チェスで名声を得ている為、わざわざ危険な戦場におもむく必要などない」


「オマエに関係ない!」


「えぇ、関係ない。だから、私は貴女を無視した。貴女の事だ、何か深い理由があると思って――」


「――」


「だが、貴女は自分に接近した。その時に思ったのです。貴女の目的は“自分”なのだと」


「う、自惚うぬぼれるな!」


「そうでしょうか?」


「何?」


「では教えて下さい。何故一次試験で、自分をずっと睨んでいたのかを――」


「っ!」


「何故自身の二次試験が終えた後も、自分のチームを見ていたのかを――」


(何故?)


「何故、入学式に“あの人”が居たのかを――」


(何故、バレている?いや、あの方は自身の顔を知らない筈と――)


「あの人?」


「ルイス・ライリー様。自分とオリヴィア様、2人のチェスの師匠さ」


エヴァの質問に応えるアルヴィスは、チェス盤に視線を動かした。


(そんな馬鹿な――では、コイツが言った通り、師は勘違いしていたというのか?なら、私は何の為に――)


「そ、それは――」


「関係ないと?」


アルヴィスの言葉に、沈黙のまま、うつむくアルヴィス。


「それにしても、師は残酷だ。覚悟もない貴女を戦場に導いたのだから」


「覚悟がないだと?」


「ないでしょ?貴女はチェス盤の上では、敵なし。だがそれは、チェスのルールに守られているからこそ。実際、今の貴女は未熟の自分に互角、いや、数手前から自分が優勢」


「そうなのかユリウス?」


ヴォルトの問いにユリウスは、無言で頷いた。


「何故だと思います?」


(序盤は特に問題なかった。いつもと同じ調子で私が優勢に進んでいた。だけど、徐々に状況は悪化し、今や残された手はあとわずか)


彼女は険しい表情で、再び自身の指の爪を噛む。


(どこで、どこでだ?)


彼女の頭の中では、対局が開始した直前から、今までの流れを再現する。すると、とある一コマで、停止した。


『ヴォルトはチェスの経験は?』


オリヴィアは小さな声で「会話」と呟いた。


流石さすがです」


「どういう事?」


「俺に聞くなよ」


「2人は覚えておけ、人と言うのは同時に同じ事を行う事に慣れていない。何故ならば、そのような状況は本来遭遇しない。ご飯を食べる時はご飯を食べるし、勉強する時は勉強する」


「そんなの当たり前だろ?」


「でも、2次試験の時。いいえ、戦場のような何が起きるか分からない場所では、“目の前の敵”や“戦況”とか、同時に考える必要があるんじゃない?」


「エヴァは鋭い。その通り」


アルヴィスにめられた為か、彼女は「フフン」と胸を張りつつ、したり顔でヴォルトにアピールする。


「ない胸で胸張って――も!」


容赦のないエヴァ渾身こんしんのストレートは、ヴォルトのふところにクリーンヒットする。彼はお腹を押さえたまま、その場に倒れた。


「はぁ、デリカシーも教えないといけないのか」


泡を吹いて伸びたヴォルトを横目に、溜息をつくアルヴィスだったが、オリヴィアに向き直ると真剣な表情へと変貌する。


「貴女は強い。恐らく、大会の決勝で戦えば、自分は負けていた」


「だが、本当にそれだけなのか?」


「というと?」


「私は別にコミュニケーションが取れない訳ではない。雑談する程度、幾度もあった。自身で言って何だが、それだけとはとても――」


「ククククク」


「何だ?」


「いや、とても素晴らしいと思って――」


「馬鹿にしているのか?」


「とんでもない。むしろ、賞賛に値する」


「?」


「理由や原因を模索する際、それらしきモノが分かると人は、それだけしか見ない。だが、果たしてその原因は“一つ”だけなのだろうか?」


「他にもあると?」


「恐らく、それが本命かと」


「だが今の私には、それを知る術がない」


「それは対局が開始後までしかさかのぼってないからでは?」


「え?ちょっと待て、私はまだ何も――」


『君は単純だね、何がしたいか手を取るように分かってしまう』


「――成程、認めます。貴方は私の兄弟子であるアルヴィス・ゴードンです」


「認めていいのですか?」


「ええ、この対局も私の負けです。最早もはや、行う意味がない。私の負けです」


彼女の負けを告げた瞬間と共に、食堂内は歓声とどよめきにあふれかえった。


「頑張りましたね、オリヴィアさん」


ライリーは、ゆっくりと彼女の左肩に手を置いた。


「師匠!どうして――」


「先程、イリス様のお付きの人から二人がチェスの対局をしていると聞きまして――アルヴィスさんもお久し振りです」


「ご無沙汰しております――“師匠”」



5年連続優勝したチェスの女王が負けた。この事実に、食堂内は未だ騒ぎが治まらない。その混乱の中、一足先に退出するライリーとイリスとヨシアは、既に屋外まで辿り着いていた。


「お待ちを、少しお時間をいただけますか?」


その3名を呼び止めたのは、アルヴィスだった。彼の声で、3名は振り返り立ち止まる。


「申し訳ないが、見送りはここまでで」


ライリーの言葉に対し「畏まりました」と、一礼するイリスは、ヨシアと共に校内へと戻る為、アルヴィスを横切ろうとする。


「次は“オリエンテーション”で」


イリスはそうアルヴィスにささやき、その場を後にした。


「ありがとうございました」


2人だけになると、アルヴィスはライリーに対し、一礼する。


「一体、何の事でしょうか?」


惚けた表情で、空を見上げるライリー。


「貴方も私と同類のようですね?」


顔を上げながら苦笑するアルヴィスは、頭を掻く。


「いやいや、君には遠く及ばないさ。だって君は――“ワイズマン”なのだから」

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