あの暖かさが心地よかった

@edamame050

あの暖かさが心地よかった

 春の陽光が冬の終わりを告げるように暖かな季節を演出した。

 目映いほどの青は時々雲をまぶしながら大空を爽快な色に染め上げている。

 雑木林の隙間から二羽の鳥が片方が片方を追いかけるように飛び立った。

 広い草原の片隅に咲いたゆらゆらと揺れるたんぽぽの綿毛たちは止まり木を失い、風に乗せられどこかへと旅立っていく。

 その様はいつまでも同じところには留まってはいられないことを示唆しているようにも感じれた。

 瞼を閉じればあの頃の思い出が輝かしかった日々が鮮明に浮かび上がる。


 先輩との出会いは三年前の春にまで遡る。入学式を終えた放課後、どんな部活があるのか知りたくて校内を散策していた時のことだ。

 部活の勧誘もなくなり、行き交う生徒がすっかり見られなくなった東棟の渡り廊下。なんとなくで歩いていた私はそこに迷い込んでいた。 突き当たりまで行ってそこでUターンする。マップを埋めるゲーム感覚でそんな漠然とした考えがふと湧き上がっていた。

 終着点に差し掛かると耳元に誰かの声とギターの音色が聞こえてきてドキリとした。こんなところに人がいるなんて驚きだった。

 ただもっと驚いたのは演奏されてる曲は私の良く聞く洋楽で、あまりメジャーなものではないにも関わらず、まさかここで聴くとは思っていなかったからだ。

 紡がれる歌詞に乗せたひとつひとつの思いが扉越しに伝わってくる。そのメロディをもっと身近に感じたくて、目の前の一枚の木の板が邪魔に感じれて夢中で引き戸を引いてしまう。

「あ」

 私の鳴らしてしまった無粋な音によって、演奏は中断され、代わりに椅子に腰掛けギターを手にした演奏者からは不審な目を浴びせられることになる。

「演奏の邪魔しちゃってすみません! あまりに綺麗な歌声が聞こえてきたものですから!」

 大慌てで弁解する私をまん丸な瞳でジッと見つめる彼女。しばらくすると彼女はこくりと頷き口を開いた。

「そ。ありがと。邪魔だから出てってくれない?」

 素っ気ない態度に愕然とするが、邪魔をしてしまったのは事実なので何も言い返せない。それでもなんとかここに居座る理由が欲しくて自分も知ってるんだとアピールすることにした。

「この曲ってジェレミー・ザッカーとチェルシー・カトラーのbetter offですよね!」

 再び弦を弾こうとした彼女の手がピクリと止まる。

「知ってるんだ?」

「はい!」

 そこで初めて彼女は私に興味を持ったかのような顔になり、暫く私たちは意気投合して語り合った。

 彼女の名前は楠木 楓というらしく、私より二個上の三年生の先輩だった。

 どこか影のあるクールな人かと思ったら、音楽のことになるとすごい熱量をもって語り出したものだから最初は驚いた。

「よかったらさ、この曲も聴いてみてくれない?」

 奏でられたメロディはどこか切なくてしんみりとしていた。歌詞もそれに沿った辛く悲しげなもので何かに縋ってるようにも感じれた。そして最後はそれでも前を向いていこうという気持ちにさせてくれる曲だった。

「はじめて聴く曲です・・・・・・なんていうんですか?」

「題名はないよ。ただその時の気持ちを歌詞にしただけだから」

「自分で作ったんですか!?」

「うん」

 さも何でもないように先輩は頷いたが、その歌はとても完成度が高く、何も知らず聴いただけではプロが作詞作曲したかに思えるほどのクオリティだった。

「すごいですよ! 先輩ならプロになれますよ!」

 私の言葉にはにかみながらも先輩は「一応、目指してる」と小さな声で言った。

「わたしね、自分の歌ですこしでも多くの人を笑顔に出来るようにしたいんだ」

 気恥ずかしくしつつも将来はどうしたいかと語る先輩は、しっかりとした目標をもっていて、まっすぐ目を向けてる姿はとてもかっこよく映った。

 先輩の使ってる部室は元はオカルト研究部という名前で使わせて貰っていて、ほかの部員は名前だけ借りて顔も出さないため、実質先輩一人の部活のようだった。

 そして私が先輩のいるオカルト研究部に入ることはとても自然なことだった(理由は不純だが)。

 私たちはお互いのことをよく話した。何が好きとか、何の曲を良く聴くとか、好きなバンドはどこかとか。不思議なほど嗜好は一致して話題はいつもかみ合った。

 どうしてそんなに音楽に熱意を持てるのか聞いたことがある。

 なんでも先輩には病気がちの燕という名前の妹がいたらしく、歌もその子に聞いて貰うために始めたらしい。いたらしくというのも、妹さんは去年亡くなったそうだ。

 ならどうして今も歌ってるんですかと訊こうとして、そういえば前に言ったことを思い出した。先輩は今も追いかけてるのかもしれない。

 季節は移って秋になった。

 先輩は部活を引退したあとも、私がいるからと週に一回程度は部室に通ってくれた。

 週に一回と言わずに土日を除いて毎日来てくれてもいいのにと思ったりもした。

 先輩は卒業したら、プロになるために東京に行くと話していた。いつかは遠くに行ってしまうことがわかって寂しかったが、先輩の夢だから素直に応援した。

 そうして卒業を間近に控えた頃、屋上にて。

「私ね、やっぱり東京に行くのやめようと思う」

 先輩の口からなにげなく放たれた言葉に私は耳を疑った。

「だってほら、私レベルの人って世の中腐るほどいると思うんだ、だからここらで現実見ておこうかなって」

 急すぎる宣告になにも言えずにいると取り繕うように先輩は続けた。 正直嬉しかった。大好きな先輩がこの先も私のそばにいてくれるんだと思えたから。でもそれ以上に何かを押し殺してまで言い訳をする先輩がいたたまれなかった。だから私は・・・・・・

「それに気づいたんだ、私、貴女のことが・・・・・・」

「・・・・・・ないで」

「え?」

「ふざけないでください!!」

 先輩はなにか重要な告白をしようとして、私はそれを遮った。

「なんでヘラヘラして、そんな簡単に自分の大切な思いを捨てようとしてるんですか!その程度だったんですか!先輩の夢ってもっと重くて大事なものだったはずでしょ!いつも言ってたじゃないですか、将来は一人でも多くの人を幸せな気持ちに出来る音楽を作っていきたいって!好きだったんですよ、そんなこと言って照れくさそうにする貴女が。大好きだったんです、誰よりも熱意をもって真剣に夢に向かって走って行こうとする貴女の姿が。壊さないでください!私に夢を見させてくれた貴女がそんな言葉で私の大好きな人の夢を終わらせようとしないでください!」

 無意識だった、あふれ出る感情の洪水によって出来た波が私にありったけの思いを先輩にぶつけさせた。

 先輩は口を軽く開いて閉じては何かを伝えようとしてるが、それは音にならずに私の耳元には届かない。

 瞳孔は不規則に揺れ動いて先輩の気持ちを代弁してるようにも感じれた。

「こんな様子じゃ死んだ燕ちゃんも浮かばれませんよ。あーあ、こんなお姉ちゃん見たくなかったって、きっと今頃嘆いてるだろうな。可哀想に」

 それは先輩の前では決して言ってはいけないことだった。瞬間、熱が冷めて、しまったと後悔する頃には頬に熱い刺激が訪れていた。

「燕は関係ないでしょ。いくら紗奈ちゃんでも言っていいことと悪いことがあるよ」

 冷ややかな声をもって告げる先輩の顔は今まで見せたことのない冷徹さを帯びていた。 

 私がどれくらい大きな地雷を踏み抜いたかを判断するにはそれだけで十分すぎた。

 謝罪をしようと口を開けるが、自分が先刻言ってしまったことへの罪悪感と初めて向けられた先輩からの敵意に呂律の機能が正しさを失っていた。

 早く謝らなきゃと思えば思うほど思考はヒリヒリとした頬の痛みも相まってぐちゃぐちゃにかき乱されていく。

「叩いたりしてごめんね、さようなら」

 自分が起こしてしまった事態を収めたくて内心四苦八苦していると無情にも幕引きの言辞がかかる。

 先輩はこちらにはもう目もくれずスタスタと屋上から出て行ってしまった。

 その日の夕焼けは溺れてるように見えた。

 

 風の噂で聞くとあれから先輩は卒業した後、上京してメジャーデビューを果たしたようだった。いまや楠木 楓という名前を知らない若者はいないくらいという人気ぶりだった。

 先輩は前に進んだ。私だけがあの頃に取り残されたまま今も彼女の思い出に縋っている。

 そろそろ私も前を向くべきなのかもしれない。彼女があの日歌ってくれた歌に勝手に題名をつけて私は口ずさんだ。

 


 

 

 

 

 

 

 

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