レベッカside 自分の役目
アブルは死んだ。
シンの手には首を切り落とした感覚と生温かい返り血による不快感が残っていた。
初めて魔族とはいえ人の命を奪ったのだ。前世なら卒倒するほどの光景が目の前に広がっている。
転がる首。水溜りのように広がる血。さっきまでそこにあった命が一瞬にしてモノに変わった。
そんな光景を自身の手によって生み出したにもかかわらず、シンは平静を保っていた。
何も感じていないわけではない。敵ではあるが他者の命を奪った自覚はある。魔物や動物を殺すのとは決定的に違うのだ。しかし、吐き気を催すことや罪悪感に襲われることは無かった。
異世界に来て肉体と同時に精神力までもが変化したのだろうか。
言い表せない複雑な感情を整理しているとレベッカが駆け寄ってきた。
「無事か、シン殿!」
レベッカはシンの様子が心配のようだった。
「あぁ、レベッカさん…大丈夫です!目立ったケガもしてませんし多少の疲労以外は…」
「そうじゃない!」
レベッカの叫び声が響いた。シンは面を食らったような顔になる。
「貴方の心の話だ。その様子からして初めて他人を殺めたのだろう?敵とはいえ人を殺したのだ。私はそのことを心配している…」
心配そうに話すレベッカにシンは正直に言った。
「…確かに初めて人を殺しました。何も感じていないわけではないです。…でも、後悔も罪悪感も感じていません。…僕は、自分が正しいと思ったことをしました。」
はっきりと口にしたシンにレベッカはただ頷いた。
「…わかった。やはり貴方は強い人だ。私からも肯定させてもらう。貴方の行いは正しい。もし、躊躇していればここにいる全員の命が無かったかもしれない。本当にありがとう。」
レベッカに続いて他の騎士や冒険者もシンを称えて労った。
「…お、俺からも礼を言うぜ…シン、ありがとな…」
ボロボロの体を引きずってロイドがやってきた。
「ロイドさんっ!」
シンはロイドに肩を貸した。
「へへっ、引退したおっさんにはちときつかったな。全身ボロボロだぜ…」
ロイドは黒霧を受けて内部にダメージを受けていた。
とてもすぐに動ける状態では無かったが、レベッカにありったけのポーションをもらい無理やり飛び出したのだ。ポーションは気休め程度にしかならず、何とか動くことができたのは鍛え抜かれた肉体とギルド長としてのプライドによるものだろうか。
「ありがとうございますロイドさん、貴方がいなければ勝てませんでした。」
「俺だけじゃないぞ。なぁ騎士団長代理殿。」
自分の名前が呼ばれたことにレベッカは驚いた。
「い、いや私は何も。結局魔族との戦いに割り込むこともできなかった。シン殿を守ると言っておきながらこの有様だ…」
ロイドが笑った。
「なに言ってんだ。あんたが皆に指示を出したおかげで俺やシンは全力で魔族の相手ができたんじゃねぇか!それにあんたは指揮官だ。前線に出ることだけが仕事じゃないだろ。後衛でどんと構えて見てくれるほうが前線は安心できるんだよ!」
ロイドの言葉に賛同するように周りの人間も頷き、拍手した。
「僕もロイドさんの言う通りだと思いますよ、レベッカさん。貴女のおかげで犠牲を最小限に抑えることができました。」
「ロイド殿…シン殿…」
レベッカは以前の緑竜戦でのことをまだ引きずっていた。そのため今回の戦いでは誰よりも責任感を持って臨んでいたのだろう。
レベッカは実力的に自分よりシンの方が適していると判断してシンにアブルの相手を任せた。この判断自体は間違っていないと自負している。しかし、そこに自分も共に戦うという選択肢がないことに悔しさを感じていた。
レベッカの今の実力では足手まといになることを自身が一番理解していた。レベッカは冷静に状況を把握し対処することに長けている。団長代理に任命されたのもこの能力が騎士団長に買われてのことだが、本人に自覚はない。
幼いころからレベッカはガリアによって厳しい訓練を課されていた。それに不満はなく、ブレイズ家として生まれたからには国を担う存在にならなければならないと常に思っていた。
しかし、どんなに訓練を続けてもガリアのような力を得ることはできなかった。そんな中、団長が王子と共に王都を長期間離れることになった。代わりのまとめ役として自分が選ばれたが、これは実力ではなく家柄による忖度だと思っていた。
団長代理というのは名ばかりの肩書に過ぎず、自分にはそれに見合う力も才能もないと思い悩む日々が続いた。
しかし、レベッカの悩みは杞憂だったと気付かされた。
自分は皆を率いる指揮官。優先すべきは前線で武功を上げることではなく、団の皆の命と国を守ること。自分の役割を理解して最善を尽くすこと。ロイドとシンの言葉はレベッカを前に向かわせた。
「ありがとう、私は少々思い違いをしていたようだな…私には私の役割がある。よし、…皆の者!この勝利は私達全員で勝ち取った勝利だっ!」
「「うおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」」
レベッカが勝ち名乗りを上げ全員が叫び、拳を空に突き出した。
レベッカはこれからより優秀な騎士になるだろう。剣ではなく言葉で皆を導く騎士団の柱に。
この戦いはイスタリア王国に新たな英雄を生んだきっかけとして歴史に刻まれる。
後に「紅の戦乙女」として語られる一人の気高き騎士の物語の序章として…
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