元社畜、本気で戦う

「くっ…!何故私はあそこにいない…!」


シンとアブルの戦いが始まり、周囲の騎士や冒険者が残った魔物の討伐を進める中、レベッカは全体を指揮しながらシンの戦いを悔しそうに見ていた。


シンに命を救われた時から今度は自分がシンを助けるのだと心に決めていたにも関わらず、またしても自分はシンに助けられ、その戦いを見ているだけの自分に怒りを感じていた。


「私は指揮官だ。私の指示一つが全員の命を左右する。そんなことは理解している。でも、目の前で戦う恩人の隣に立てないことがこんなに悔しいとは…!」


しばらくシンの様子を注視していると違和感に気付く。シンは主に徒手と短剣で戦っているが、どこか動きづらそうにしている。それが相手の強さによるものではないとレベッカは感づいた。


すぐさま全体に指示を出す。


「総員シン殿から距離をとれ!私たちが近くにいるとシン殿は全力で戦うことができない!魔物を引き付けつつ陣形を広げろ!」


そしてレベッカはシンの近くで倒れるロイドを後衛まで連れて戻った。


「すまねぇ、情けねぇ姿晒しちまった…」


「いいえ、貴方の活躍はこの場の人間全ての目に焼き付いております。誰もが貴方を英雄だと称えるでしょう。あとはシン殿に託しましょう。」


レベッカのおかげで戦いやすくなったシンは速度を上げた。


「ありがとうレベッカさん……アブルここからが本番だ!」


「そうこないとね、シン君。このまま終わるんじゃつまらない」


魔法による攻撃で隙を作り、剣で斬りこむ。ここ数日で確立されつつあるシンのスタイルはアブルにも通用している。…だが、


「それじゃダメだよシン君。狙いは良いけど肝心の威力が足りない。」


シンの剣術ではアブルにダメージを与えられなかった。ロイドの渾身の一撃でさえ余裕で受け止めるアブルには物理的なダメージが見込めないことをシンは悟った。


(くそっ、まだ僕の剣じゃ勝てない。)


シンが攻めあぐねているとアブルが動き出す。


「君のスピードは素晴らしいね。僕じゃとても追いつけないよ。…だから止めるね」


アブルは体から黒い魔力を放つ


「いくよ『黒霧クロギリ』。これなら君を捕まえられるよね。」


黒霧は相手の動きを封じる魔法。シンはロイドとの戦闘で黒霧を見た際にルリから仕組みを教えられた。


「(あの魔法は相手の体内に侵入して対象の魔力のバランスを乱し内側から破壊するようじゃな。吸い込まぬようにせい)」


そして放たれた黒霧がシンに向かって伸びてくる。勝ちを確信したアブルの口角が上がるが、結果はアブルの予想とは違った。



「どういうこと?黒霧の軌道が変わった?」


驚いたアブルがシンの周りを注意深く観察すると答えが分かった。


「なるほど、か」


「正解」


シンは自身の周囲に風を起こし、それを鎧のように纏うことで黒霧を寄せ付けないようにしたのである。


「『木枯らし』を応用した簡易的な対策だけど、効果覿面だね。」


黒霧を破られたアブルだが、依然として余裕の表情を崩さなかった。


「まさかこんな形で黒霧が破られるとは。シン君、君は面白い子だね。」


シンはアブルの手札を封じることには成功したが、安心は全くできない。


(黒霧は封じたから、速度で僕が負けることはない。でも、アブルを倒せる程の攻撃手段が僕にはない)


シンは規格外の魔力量と魔法適性を持っている。しかし、シンが現時点で使える魔法の種類は多くない。いくら精霊魔法で威力を上げても今の実力では致命傷にはならないことを自覚していた。


アブルの強さは黒霧による妨害と洗練された身体強化ブーストによる防御と攻撃。シンプルだが、強力かつ長期戦にも適している。一方でシンは機動力を駆使しながらの精霊魔法と未熟な短剣術。


このまま膠着状態が続けばシンの方が先に限界が来てしまう。


「どうしたのシン君?来ないの?黒霧が使えなくても僕には身体強化がある。これでも十分君を殺すことはできるよ?君とは違ってね。」


シンが攻め手に欠けていることをアブルは見抜いていた。アブルは身体強化で鋼のように硬化した肉体でシンの攻撃を受け、シンが疲れ切ったところで止めを刺せば良い。勝利までの道筋が明確に決まっているのだ。


「もう少し君と遊んでもよかったけど、僕も仕事があるからね。残念だけど殺すことにするよ。」


アブルの猛攻が始まった。


シンは速度を活かして何とか回避を続ける。体力の消耗を抑えるためにできるだけ小さい動作で回避することに努めた。


空を切ったアブルの拳はシンのはるか後方までも撃ち抜く威力で距離を間違えれば一巻の終わりである。


そんな極限状態の中でシンは自身の感覚がさらに研ぎ澄まされていくのを感じていた。


「(どうするシンよ、我が手を貸そうか?)」


「(いや、ルリは見守っていて。こんな時に変だけど、ここを乗り切れば僕はもっと強くなる気がするんだ!)」


シンの覚悟にルリは従った。


「(承知した。では好きにするが良い。弟子の成長を見守るのも師匠の務めじゃからな!)」


シンは回避しながらアブルを倒す手段を模索した。加速する思考の中でシンはふと思い出した。


―あの魔法は相手の体内に侵入して対象の魔力のバランスを乱し内側から破壊するようじゃな。―


ルリが言っていた黒霧の効果。体を内側から破壊する魔法。アブルの強固な身体強化を突破するのではなく、内部への攻撃なら有効なのではないか?


シンは闇属性魔法は使えない。だが、


(これならいける!)


突破口を見出したシンはすぐさま行動に移した。


先ほどまでギリギリで回避していたシンは大きくアブルから距離を取った。


「どうしたのシン君?なにか秘策でも思いついた?」


「さぁ?どうかな。」


シンの様子の変化にわずかに警戒するアブル。そんなアブルに向かってシンは攻撃を再開した。


「『石礫!ストーンショット』」


シンが放った石礫は真っ直ぐアブルに飛んでいく。アブルは放たれた石礫を呆れた表情で軽々しく撃ち落とした。


「何のつもり?打つ手がなくて自棄になったの?はぁ、君には失望したよ。」


シンはアブルの言葉を無視して攻撃を続ける。


シンの無駄とも思える攻撃に嫌気が差したアブルは、シンに止めを刺そうと突進した。


「何もないならこれで終わりにしてあげるよシン君!」


魔法攻撃をものともしないアブルは真っ直ぐシンに迫る。


「今だっ!」


シンはタイミングを見計らって自身とアブルの間に土魔法の泥沼を生成した。


シンの狙いは完璧かのように思われた。しかし、戦闘経験豊富なアブルはシンの思い通りには動かなかった。


泥沼に足を踏み入れる寸前でアブルはシンの頭上に跳躍したのだ。


「なにっ!?」


「ハハッ!君が何か狙っているのはわかっていたよ。僕に騙し討ちは通用しない。」


シンの読みは外れてしまった。もうアブルの隙を突くチャンスは二度と訪れないだろう。


半ば諦めかけたシンがアブルを見上げると…


「俺のことを忘れてもらっちゃ困るぜーーー!!!!!」


なんと口から血を流し、満身創痍のロイドがアブルの跳躍に合わせて跳び大剣を振り下ろしていた。


「なにっ!?」


バキッ!


完全に意識の外にいたロイドの一撃をアベルは受けてしまった。ダメージこそ無いものの空中で踏ん張ることができないアブルは地上の泥沼に叩き落された。


「…くっ、しまった、た、立てないっ…」


シンが生成した泥沼は土属性の中位魔法『大地の牢獄アース・バインド』は、一度入ってしまえば抜け出すことは出来ない。もがけばもがくほど沈んでしまう恐ろしい魔法だ。欠点は範囲が狭く、一人を捉えるのが限界だということだ。


「シン!やれ!」


ロイドが作ってくれた千載一遇のチャンス。これを逃すわけにはいかない。シンは身動きが取れないアブルの顔に触れて集中する。


「や、やめろ!何をする気なんだ!」


「…これで終わりだ、アブル。」


シンが持つアブルには無い強力な武器。それは魔力量だった。


シンはアブルの体に自身の膨大な魔力を流し込んだ。


以前騎士団の治療を行った際に他者の体に魔力を流す感覚を覚えていたシンはアブルの全身に魔力を行き渡らせた。


「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!」


シンがやろうとしていることは黒霧の原理を参考にしているが、もっと強力かつ凶悪だ。


この世界に来た時にルリに教えてもらったことがある。



シンの魔力量は規格外である。そんなものを一気に流し込まれれば体はひとたまりもない。


「あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」


アブルの全身から血が噴き出した。体内の魔力の通り道もズタズタに破壊されたため、魔法が使えず身体強化も維持できなくなった。


沼にアブルの血が混ざり、赤黒い血溜まりが広がるとともにアブルの目から光が消えつつあった。


「苦しめるのは好きじゃないんだ。だからこれで終わりにするよ。」


シンは短剣を握った。身体強化が使えないアブルの今の体ならば物理攻撃も有効だ。


長く苦しませないためにシンは一撃でアブルの首を刎ねた。


死闘を制したのはシンだった。


そしてこの日、シンは生まれて初めて人の命を奪った。

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