第10話 平日の朝
翌日。
「んんっ~~~! はぁ……うん、今日もいい天気!」
いつも通りに目が覚め、そして窓から差し込む暖かな春の日差しを受けながら、祈は窓を開けてそう口にする。
男から女に変わって二日目の朝、祈は特に困惑することも、『ゆ、夢じゃない!』的なド定番なネタをすることもなく、なんでもない日常のように一日を始める。
ちなみに、エヴァリアは別の部屋で寝ている。
襲わない自信がないとかで、今は祈の隣の部屋で睡眠中で、エヴァリアが寝ている部屋は、同棲が決まった後に与えた暫定的な部屋だ。
その部屋に、来客用の布団を持って来ようとしたら、エヴァリアにやんわりと止められ、きょとんとした祈が見たのは、どこからともなく出現した、シンプルながらも高品質であり、高級感が漂うベッドであった。
突然のことに驚く祈だったが、すぐにエヴァリアを褒め、どういうことか説明を受けた。
その結果、エヴァリアが行ったのは、生成魔法という、魔力を物質に変換し、オブジェクトを生成するという魔法だった。
祈はそれを聞いて、魔法って何でもできるんだね、と柔らかな笑みと共に言っていたが、それは間違いである。
魔法とて、そんな便利な物ではない。
特に、魔力のみの消費だけで、物質を生成するのはかなり異常なのである。
……まあ、エヴァリアはそのことを言わず、軽く笑っただけで済ませたが。
ともあれ、朝は快調。
祈はYシャツと中学生時代のハーフパンツに着替えると、リビングに降りて朝食を作り出す。
今日は水曜日。
余裕で平日であり、祈はこれから学校へ行こう、そう思っている。
……のだが。
『学園へ行くな』
「なんで!?」
朝、大雅から電話があり、今日は学園へ行くよ~、と柔らかく可愛らしい声で言ったら、溜息の後、学園へ行くなとドストレートに告げられた。
これには祈も大きな声を出し、手に持っていたお玉を落とした。
カラン、という音が朝の台所に響く。
『当たり前だ。今のお前は女だ。この世界において、霊力という不思議な力はあっても、性別を人の手無しで変えるなんて奇跡のようなこと、まず起こらねーんだよ』
「そ、そうだけど……で、でも、エヴァちゃんは魔法で……」
『そりゃ異世界の話だ。現状、祈はちっとまずい立場だ。さすがに、女になっちまった、なんてのは『異戦武家』でも、過去に例がない。ってか、魔王と友好関係を築けた、なんてこともまずねぇ。だから、お前はしばらく学園を休め』
「え、えぇぇぇ……ぼく、学園行きたいよぉ……」
大雅の説明に、祈は悲し気な声でもって答えた。
祈は学校が好きである。
というより、人との繋がりが好きである祈にとって、学園とはまさに天国のような場所なのだ。
友達と何気ない会話をし、昼食を食べ、時に行事で非日常を体験する。
祈にとっては、何気ない日常が最も大好きなことなのだ。
そのため、それはもう、祈は悲しんだ。
『ちょっ、そんな声出すなって! 今柊華さんが近くに……って、ち、違うって柊華さん! オレ、別に祈をいじめてたわけじゃぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!』
焦ったような声が聞こえてきたと思ったら、断末魔のような叫びが聞こえて来て、音が消えた。
「た、大雅くん? どうしたの? 大雅くん?」
何かあったのかと心配になった祈は、電話の向こうにいる大雅に声をかける。
が、その声に応じたのは別の人物だった。
『もしもし、祈? 私よ』
「あれ? 柊華お姉ちゃん? 大雅くんは?」
『大雅はちょっとお腹が痛いって言ってトイレに行ってるわ』
「あ、そうなんだ。よかったぁ……」
柊華の説明に、ほっと胸をなでおろす祈。
……しかし、電話の向こうでは、柊華の居合術により床に倒れている大雅がいるが、祈には知る由もない。
「そうだ。柊華お姉ちゃん、ぼく、どうして学園に行けないの?」
『あぁ、それ? 大雅も言ってたと思うんだけど、今の姿の祈が行くと大騒ぎになるのは明白。一応、この街はそこまで有名ではないし、どちらかと言えば田舎。でも、どこから情報が外部に漏れるかわからないわ。しかも、祈は異世界や霊力のことを知らない人たちからすれば、まさに研究対象のような存在。人の手以外で性転換を成し遂げるとか、現実的に考えてあり得ない。そうなったら、『異戦武家』の方も大きく動かなきゃいけないのよ』
「なる、ほど?」
柊華の説明を受けても、あまりピンと来ていない様子の祈を察して、柊華はほんの僅かわかりやすい例を考え、祈に告げた。
『……ようは、普通の生活ができなくなる、ってこと』
「そ、それは嫌だっ!」
『でしょ? だから、今日は学園を休んで』
「……うん、そうする……」
今の祈を見ずとも、かなり落ち込んでいることは明白であり、それ故に電話の向こうにいる柊華は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
だから、フォローという意味で、柊華は告げる。
『……まあ、早めに学園に行けるようにするから、ね? 特に、紫月姉さんの家が頑張ってくれるから』
「紫月お姉ちゃんたちが?」
『えぇ。こういう時、音海家の能力は本当に頼りになるから、期待していいわ』
「……うんっ! じゃあ、待ってるね!」
『えぇ。それじゃ、私はそろそろ行かなきゃだから』
「うん、またね、柊華お姉ちゃん!」
『またね』
最後に希望を持たせて、通話は終了。
学園へ行けないと聞いて落ち込んだ祈だったが、案外すぐに行けそうだとわかり、今はほっとしている。
そこで、お玉を落としたことを思い出し、拾ってから洗浄。
そのまま、朝食作りに戻り、出来上がる頃にはエヴァリアがリビングにやってきた。
「ふわぁぁ~~~~……おはよう……」
「あ、おはよう、エヴァちゃん! ……なんだか、眠そうだね?」
「……あぁ、すまぬ。妾は夜型でな……ちと、この時間は辛く……」
「あ、半分吸血鬼だもんね!」
「あー、いや、それもあるが、妾のもう半分の種族の方も夜型なのでな……ところで、何やら騒いでいたようじゃが……何かあったのか?」
「聞こえてたんだ。……えっとね、ぼく、しばらく学校をお休みすることになっちゃって……」
「学校……あぁ、たしか、同じ年齢の者たちが集まり、勉学に勤しむ場、だったか?」
「うん」
「ふむ……それはもしや、妾がおぬしを変えてしまったからか?」
残念そうに笑う祈を見て、エヴァリアは自分が女にしてしまったからそうなってしまったのでは? そう思い、申し訳なく思いつつ、祈に尋ねる。
「まあ、ぼくが女の子になっちゃったからね……」
「そうか……すまぬ」
「あ、謝らないで。別に気にしてないから」
「し、しかし……」
「本当にいいの。昨日も話したとは思うけど、ぼくは女の子になりたいと思ったことがあったから大丈夫。それに、今通えないだけで、通えるようになるから」
「……それならばよいが……とはいえ、妾がしたことにかわりはない。何かあれば、必ず力を貸そう」
「うん、ありがと~」
誠実な言葉に、祈はにこっと微笑みお礼を口にする。
その微笑みに、寝起きでややぼーっとしていた頭が一気に晴れた。
「しかし、そうなるとあれか? 祈は、家にいる、ということになると?」
「そうだね~。学校に行けないんじゃ、やることもないし~……授業範囲を予測して、そこを勉強したり、お掃除やお洗濯をするくらいかなぁ」
「そうなのか。祈は働き者なのじゃな」
「そうかな? 自分じゃよくわからないけど、ぼくのお父さんとお母さん、家にいないことが多いから。それもあって、代わりにしてるだけだよ? とは言っても、朝からすることは比較的少ない方だけど」
「となると、夜にするのか?」
「うん。二人とも、夕方辺りからお仕事だからね~」
今まで、異世界に関することを知らなかった祈。
昨日、幼馴染たちから説明を受け、自分の家も何らかの能力を持った家であること理解したが……だからと言って、両親の仕事がそちらだとは思っていない。
まあ、あくまでも、そう言う家系であることを言われただけなので、仕方がないと言えば仕方がない。
普通の感性の者ならば、割と理解できそうだが、祈の場合、元がぽわぽわしている上に、何より異世界に関することを知ったのは昨日だ。そこから理解する、と言うのはいささか難しいだろう。
「…………そう言えば、祈よ」
そこでふと、エヴァリアはやや眉を寄せて、気になることを口にする。
「なぁに?」
「いや、おぬしの両親は、なぜ今はいないのじゃ? 今の口ぶりから察するに、普段この時間にはいるのじゃろう?」
「そうだよ~。でも、二人は今出張しててね。この街にはいないの」
「なるほど。して、いつ頃帰宅するかわかるか?」
「う~ん、まだわからないかなぁ。でも、もうすぐ帰ってくる、って連絡が二日前にあったかな?」
「そうか」
とりあえず、訊きたいことを聞けたエヴァリアは、ふむ、と考え込む。
(祈の家も、昨日のあの者たちの話で、異戦武家なる家の者であることがわかっている。となれば……妾の正体にもすぐに気付くはず。……ふぅむ。そうなると、また襲われるやもしれぬ。その辺りは、少し面倒じゃが……仕方あるまい。こちらの世界の者から見れば、妾は『悪』じゃからな。なんとか、説得するしかない)
「エヴァちゃん?」
「ん、あぁ、すまぬ。少し考え事をな。……ところで、先ほどからいい匂いがするが……」
「あ、そうだった。朝ご飯ができてるから、一緒に食べよ?」
「おぉ、そうであったか。うむ。いただくとしよう」
頭が痛くなることを考えていたが、祈の作る料理の匂いに空腹を誘われ、一度忘れて朝食を摂ることにした。
朝食後、学園にしばらく休むことになった祈は、エヴァリアに話したように、掃除や洗濯などの家事をこなしたり、勉強道具を持ってきてリビングで勉強したりしていた。
そんな勉強をしている姿を見ているエヴァリアは、時たま気になることに対し、祈に質問などをしていた。
「ほう、こちらの世界の学問は進んでいるのじゃな」
「そうなの? じゃあ、向こうってどんなことを学ぶのかな?」
「妾が知る範囲では、そもそも学校自体が狭き門であることが多い」
「じゃあ、誰もが平等に勉強できるわけじゃないっていう事?」
「うむ。基本的には、金持ちが学校に入るな。それ以外の庶民は、よほど優秀でない限りは入学できない。しかし、いかに優秀であろうとも、まともな貴族などに目をかけられない限りは、将来使い潰されることになる場合もある。いや、むしろそちらが多い。故に、向こうの世界では、文字の読み書きができる者が少ないのじゃよ」
「なるほど……」
エヴァリアの話す、異世界の学習事情を聞いて、祈は少し複雑な気持ちになった。
祈は優しい少年――もとい、少女である。
何かと平等であることが望ましいと考える、博愛主義、平和主義な性格だ。
それ故、複雑になるのだ。
「しかし、我が魔族の国はそのようなことはせん。国に住む者たちが平等に学べるように、教育機関を設けておる」
「わ、エヴァちゃんすごいね!」
「それほどでもない。第一、基本的なことができなければ、将来的に魔物を狩る、魔物ハンターという職業にならねばならぬ。あれらは、ある程度の腕っぷしがあればどうとでもなる。しかし、文字の読み書きや、簡単な算術ができなければ、店を構えることができん。力仕事のようなことは可能かもしれぬが、それでも、一生その仕事をすることは無理がある。故に、少しでも将来の幅を広げられるように、教育機関を創ったのじゃ」
「色々考えてるんだね」
「……本来、国のトップならば、ここまで考えなければならんのじゃが、向こうの人間は強欲でかなわん。国を豊かにするわけではなく、とにかく自分の利益しか考えんクソ共ばかり。……まあ、小国はそういった国々が少なく、まだマシじゃが……あれは、いつか戦争になりそうじゃよ」
「せ、戦争は嫌だね……」
エヴァリアの戦争をしそうと言う発言に、祈は苦い顔を浮かべる。
それを見たエヴァリアは、一つ頷いてから語りだす。
「それが普通の感性じゃ。よいか? 祈。戦争とはな、結局は国の利益のために強欲な者たちが仕掛けるものじゃ。誰よりも自分の暮らしを豊かにしたい、利益を得たい、そのような考えで起こされる。……とはいえ、自分の国を守るため、と言うのもなくはないが、そんなもの、極少数じゃ。大多数は、自国の繁栄三割の七割自身の利益、と言ったところじゃ。つまるところ、あんなものは私腹を肥やしたいと願う上の者が原因、というわけじゃな。従う奴は、そういう者じゃ」
「な、なるほど~……エヴァちゃん、色々考えてるんだね」
「当然。妾は、争いごとを好まぬ。できることならば、平和が一番、じゃからな」
「そっか~、それはそうだよね~。ぼくも争いごとは嫌いだし」
「ま、それが普通じゃな」
そう締めくくり、エヴァリアは祈が淹れた紅茶を飲む。
優雅に飲む姿は、どこか魅了されそうな優美さがある。
そんなエヴァリアに、ちょっとだけ見惚れた祈は、お茶を飲むことで逸らし、二人は穏やかな時間を過ごし、勉強の方に頭を戻した。
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