第2話 平和な日常から 下
それから、特に何事もなく授業が進み昼休みに。
昼休みになると、祈と大雅はそろって屋上へ向かう。
この学園は屋上の使用を許可されており、昼休みや放課後17時までは解放されており、昼休みには生徒が昼食を摂るためにちょこちょこやってくる。
たまに鏡子がタバコを吸っている場合もあるが、今日はいないようだ。
祈と大雅は屋上につくなり、きょろきょろと辺りを見回す。
すると、探していた人物たちがすでに来ていたことに気付いた。
「いやー、すまんすまん、前の授業がちと長引いちまったぜ」
「遅れてごめんね~」
二人はその人物たちに軽く謝りながら合流する。
「気にしないでいいわ。どうせ、石崎先生の授業でしょ? あの人、一度話が脱線すると長いもの」
お茶を啜りながら、そう話すのはこの学園の三年生で生徒会長、
海のように深い蒼の髪と翡翠色のやや吊り上がった瞳が特徴的で、顔は和風美人と称すことができる顔立ち。
手足が長く、全体的にスレンダーなモデル体型。
凛とした雰囲気を持っており、十人に訊けば十人が綺麗と言うだろう。
ポニーテールがトレードマーク。
ちなみに、間違っても貧乳と言ってはいけない、彼女の居合術で殺される。
尚、男女問わず人気者であり、ファンクラブが存在するほど。
男子よりも女子人気の方が高く、それに関してはちょっとした悩みの種になっている。
「石崎先生……たしか、授業の手腕はいいけど、雑談が多い、という教師でしたか? 僕としましては、あまり当たってほしくないですね」
眼鏡をくいっとあげながら、やれやれといった様子で話すのは、
やや長めのサラサラの金髪に、ダークブラウンの瞳、アンダーリムの眼鏡が特徴のイケメン。
背は百七十ちょっと。
服を着ていると、中肉中背にしか見えないが、実際はかなり筋肉で引き締まっており、無駄がない体をしている。
知的なイケメン、と言った風貌であるため結構よくモテる。
ちなみに、一年生である。
「ふわぁぁぁ……あの人、面白いって、教師間でも有名だしなー……眠い……」
大きなあくびをしつつ、抑揚のない声で話したのは、この学園の養護教諭その一、
背中まで無造作に伸ばした菫色の髪に、眠たげな水色の瞳が特徴的。
いつもヘッドホンを身に着けており、耳にかけるか、首にかけるかのどちらか。
とっくに成人しているが、昔からあまり発育(身長の方)が良くなく、中学生程度にしか見られない。
背は低いのだが、胸だけは大きく、さらには童顔であるため、ロリ巨乳とよく言われる。
養護教諭だからというわけではないが、白のブラウスに、タイトスカートを穿いており、その上からだぼだぼの白衣を着ているが、自分の体に合うサイズの白衣がなかったため、萌え袖化している。
いつも眠そうにしているが、養護教諭としての腕はピカイチ。
赴任早々、可愛いルックスを持つ紫月狙いで来る生徒が多く、男女ともに紫月ちゃん呼びされているなど、既に人気者。
「うん、石崎先生だったよ~。あの先生の授業、面白いから好きだなぁ」
マイナスイオンが発生しそうなほどの、癒しオーラを放ちながら話す祈。
その姿に、三人は頬を緩める。
「ほんと、祈は癒しね。いっそ、嫁に欲しいくらいよ」
「ぼく、男だからお婿さんじゃないかな?」
「祈兄さんは、ビジュアル的にさほど違和感がないと思いますが」
「ん~、ちょっぴり女の子顔だもんね~、ぼく」
((((ちょっぴり……?))))
祈のちょっと発言に、四人は微妙な表情を浮かべた。
考えることは同じである。
決して、祈の女顔はちょっとではないと思う。
「あ、そうだ。はい、紫月お姉ちゃん。お弁当」
「……ん、いつもありがとー、祈ちゃん。できた弟分を持って、お姉ちゃんは嬉しいよー」
祈から弁当を受け取りながら、やや眠そうな顔でお礼を言う紫月。
だが、よくよく見ると口元が緩んでいる。
「紫月お姉ちゃんのこと、おじさんたちに頼まれてるからね~」
「……わたしは、祈ちゃんがいないと生活できない体だからねー」
「できれば、ぼくがいなくても生活できるようにはなってほしいかなぁ。紫月お姉ちゃん、綺麗なんだし、きっといい旦那さんが見つかると思うもん」
「……んふふ、さすが祈ちゃん。もっと褒めて褒めてー」
「うん、紫月お姉ちゃんは綺麗だよ~。それに、すっごく優しいしね」
にこにこ、ぽわぽわと紫月を褒める。
普段眠そうな表情の紫月だが、こと祈と接する場合はこのようにデレる。
まあ、もともとデレデレではあるが。
ここで説明だが、実は紫月、生活力が皆無なのである。
先ほど祈が、おじさんたちに頼まれているから、と言う発言があったが、これは冗談抜きで祈が紫月の世話をしているのである。
紫月の実家はこの街の神社なのだが、あまりにも娘が適当すぎるため、一人暮らしをさせ始めた。
しかし、彼女は色々とダメだった。
もともと大雑把な性質であるためか、洗濯は適当、掃除も適当、食事に至ってはコンビニ弁当やらカップラーメンばかり。
しかも、家はゴミ屋敷一歩手前。
このままでは教師の仕事と別の仕事において、支障が出るということで、五人の中で最も家事が得意な祈に白羽の矢が立った。
週に四回、世話を見てほしい、と。
そうして、火曜日、木曜日、土日の計四日間、祈は紫月の部屋にお邪魔している。
本日は月曜日なので、世話の日ではないのだが、弁当は平日のみ、毎日祈が作っている。
「はぁ、そうして見ると、紫月姉さんと祈、どっちが年上かわからないわね」
弁当と、目の前で行われているやり取りを見ながら、柊華が苦笑いを浮かべる。
「ですね。祈兄さんも、しっかりしているかと言えば微妙ですが、こと家事に関してはしっかり者ですからね」
「まったくだぜ」
「えーっと、ぼく今褒められているのかな?」
「「「褒めてる」」」
「そっか~。じゃあいいかな」
どこかぽわぽわしている祈である。
話はほどほどに、昼食を取り始める五人。
「あ、祈、今不審者とか出てるから夜気をつけなさいよ?」
「それ、鏡子叔母さんと大雅くんにも言われたよ?」
「でしょうね。祈兄さん、ぽわぽわしていて危なっかしいし」
「ぼく、そんなに危なっかしいかな~?」
「「「「うん」」」」
「ぼく、信用無いね~」
あはは、と苦笑いを浮かべる祈。
この四人、幼少の頃からの付き合いであるため、祈の行動パターンやら考え方がよくわかっている。
そのため、今回のように不審者が出た、などという状況が発生している場合、祈がもし襲われている現場を見ようものなら、そのまま助けようとしてしまう。
祈は根っからのお人好しなのだ。
ちなみにこれ、祈の家だと割とよくあることであり、祈の両親もかなりのお人好しだ。
そのお人好し×2の間に生まれた祈は、両方のお人好し度を併せ持った結果、サラブレッドのような存在になった。お人好しの。
そのおかげか、祈はこの街では割と有名人、というわけだ。
「ですがまあ、本当に気を付けてくださいよ? 祈兄さん」
「大丈夫~。危なくなったらすぐに逃げるから」
「……祈ちゃん、そこが心配。大丈夫、と言ってギリギリ危険な目に遭わなかっただけで、実際何度か未遂があるしなー」
「でも、昔誘拐されたことあったけど、犯人さんたち普通にジュースとかお菓子とか用意してくれたし、あと寒くないようにって毛布もくれたよ?」
「それ、おかしくね? 普通、誘拐した相手にするもてなしじゃねーだろ」
「でも、本当にあったよ? 色々とお話を聞いて、優しく諭したら普通に開放してくれて、その人たちは自首したしね~」
「「「「……」」」」
祈が何でもないように口にした今の話に対し、他の四人は頭が痛そうに顔をしかめ、それを見て、祈は頭に疑問符を浮かべていた。
「どうしたの? みんな」
「あー、いや、なんでもねぇ……」
「気にしないで、ちょっとびっくりしただけよ」
「はい。祈兄さんは、随分と幸運だな、と」
「……将来、すごいことになりそうだなー」
「???」
四人の言い分に、さらに疑問符を浮かべる。
しかし、祈は直感的に、四人が何かを隠そうとしている、そう感じていた。
だが、それはきっと悪いことではないとまたまた直感的に思ったため、祈は口にしないことに決めた。
「あ、飲み物を忘れちゃった。ごめんね、ちょっと飲み物買ってくる」
「おう、行ってらっしゃい」
「気を付けるのよー」
「うん」
大雅と柊華、二人のセリフに笑顔で返すと、祈は飲み物を買いに一旦屋内へ入って行った。
それを全員で見送ってから、四人は辺りをきょろきょろと見回し、すぐ近くに人がいないことを確認してから、一矢が最初に口を開いた。
「……それで、何か連絡はありましたか? 主に、不審者の方」
「まだね。というか、まだこっちの世界に来ていないと思うわ。多分、今回の不審者は本当にただの不審者ね。むしろ……人型の方が来ていたら大惨事よ」
先ほどまでの会話と打って変わって、四人は真剣そうな表情を浮かべる。
雰囲気がピシっとしており、なんだか別人のようだ。
「んだなー。……しっかし、本来は祈の家……ってか、祈も参加するはずだが、祈の性格があれだからなぁ……」
「……そこは、わたしたちと、おじさんやおばさんの間で既に納得してるからなー」
「祈、ものっそいぽわぽわ~っとしてっからな。多分、すぐ死ぬ」
「案外、最後まで無傷かもしれないわよ?」
「あいつの普段の行いが行いだからな。……でもさー、祈はかなり強力だと思うぜ?」
「ダメよ。祈は絶対ダメ。あの子、優しすぎるし、天然だし、ぽわぽわしてるしで、絶対参加させないわ。というか、あんなに純粋ないい子が、こっちの血生臭い世界に入るのは問題でしょうが」
「柊華姉さん、本当に祈兄さんに対して過保護ですよね」
「当然。祈は可愛いもの。心の底から護ってあげたいと思えるような存在よ? ってか、仮の話だけど、私たちの家業に祈も参加していて、祈が怪我を負ったらどうする?」
柊華が他の三人にそう尋ねる。
三人は一瞬考える素振りを見せた後、各々の考えを告げる。
「とりあえず、死んでも殴り続けるな」
「全身、矢で風穴を空けまくります」
「……目を潰した後、隕石を頭の上に落とす、追い打ちで溶岩に突き落とす」
三人とも、なかなかに物騒なことを言っている辺り、祈に対する過保護っぷりがわかることだろう。
実際、幼馴染全員、とある理由も含めて、祈に対してやたらと過保護なのだ。
「でしょ? 私だって、粉微塵になるまで切り続けるわ。……つまり、そういうことよ。私も過保護だとは思うけど、みんなも十分過保護よ。……というか、祈を護衛している補佐の人たちだっているじゃない。あれだって、五家の総意よね?」
「やりすぎだとは思いますけどね。……まあ、どうやら、今日はその補佐の人たち全員、風邪で休んでいるみたいですが」
「環境も変わったし仕方ないとはいえ、全滅って……これは、色々と注意した方がよさそうね」
「「「異議なし」」」
そう締めくくって、四人の謎の会話は終わった。
祈が戻ってきた後は、先ほどまでの雰囲気を消し、いつものにこやかな日常会話をして、昼休みは終了。
それから何事もなく、五、六時間目が終わり、放課後に。
祈は学園の図書室(規模的には、図書館と言っても間違いではないレベル)に寄って、本を借りてから帰宅。
その道中、商店街を通り、買い物を済ませた後、家に帰り荷物を置く。
そこでふと、買い忘れがあったことを思い出し、祈は再び家を出た。
「んーと、スーパーの方が早いかなぁ。……うん、そうしよ~」
買い忘れた物を買いに、祈は商店街ではなく街のスーパーへ行くことにした。
商店街は、通学路にあるのと単純に安いという理由で普段利用するが、家から買い物へ行くときはスーパーを利用することもある。
まあ、祈は基本的にスーパーよりも商店街派なので、スーパーを使うのはこういう時くらいである。
何せ、商店街に行けば確実におまけしてもらえるから。
それに、祈は商店街における、人と人との繋がりが好きであることも理由である。
閑話休題。
家から出て、しばらくするとスーパーに到着。
時間は既に夜の七時ほど。
スーパーに来ると、あれも足りない、これも足りないと思い出してしまい、なんだかんだで目的の物以外も買ってしまうのだ。
きっと、世の主婦がよく経験することだろう。
しかも、運が良いことに、特売品も買えたため、祈はとても満足そうだ。
満足気に歩く祈だったが、帰宅途中ふと、途中にある路地裏が気になった。
何やら鈍い音が聞こえたり、声らしきものが聞こえたりしたのだ。
なんだろうと思い、じっと路地裏を見つめていると、キラリ、と何かが路地裏に差し込む月の光を反射した。
目を凝らしてよく見てみると、それは西洋剣のようなものだった。
途中に大き目のポリバケツがあって、全体像ははっきりと見えないが、明らかに誰かに向かって剣を振り下ろそうとしているように見え、今にも切られそうな人物は、なんとなく女性のように見えた。
誰かが殺される、そう思った瞬間、祈は両手に持っていた買い物袋を放り投げると、そこへ向かって走り出していた。
『―――!』
「ダメッ!」
そうして、今にも振り下ろされる、と言ったギリギリのタイミングで祈は間に割って入ることに成功し、そして、
ズバンッ!
と、肩から脇腹にかけて、剣で切り裂かれた。
切り裂かれたところから、ブシャーーーっ! と血が勢いよく噴き出し、祈は痛みや熱さ、そして寒さを感じながらゆっくりと自分が倒れていく感覚を感じていた。
(あ……今回はちょっと、ダメ……かもなぁ)
身体能力はごく一般的と言えるほどであり、体の頑強さに関しても華奢な見た目通り、あまり高くない。
その結果、祈は自身が切られたことを自覚した後、視界が霞み、徐々に徐々に、意識が暗闇の中へと落ちていくのを感じ取った。
その時、
『――――!』
何者かが、祈を切り裂いた相手を吹き飛ばした姿を見た気がした。
(…………ごめん、ね、み……ん…………な)
しかし、その光景を最後に、脳内に浮かんだ幼馴染たちの笑顔を思い浮かべながら、謝罪の言葉を心の中で呟きながら、祈の意識は完全に途絶えた。
「さて、この者の住処は……ふむ、あそこじゃな。そう言えば、この者が妾を助ける手前で、何やら色々な食材や、奇怪な絵が描かれた袋のようなものがあったな……あれも一応、回収しておくとするかの」
瀕死の祈を抱えて、夜の街を飛ぶ謎の女性。
先ほど、殺される一歩手前だったこの存在は、どういうわけか祈の血を得て急激に回復を果たし、危機を脱することができた。
その後、自分を助けた祈の命を救うべく、今現在は祈の記憶を読み取り、祈の家へと向かって飛行中である。
その際、祈の記憶から買い物袋をほっぽり出したことを考え、空中で静止。
先ほどの場所に向かって人差し指を向け、くいっと動かせば、買い物袋が謎の女性に向かって飛来してきた。
それを自分の近くに浮かせると、そのまま大急ぎで飛行。
ちなみに、いきなり買い物袋が浮かび上がり、ものすごい勢いですっ飛んでいた光景を見た一般人は、腰を抜かした。
無事家に到着し、ふわり、と家の前に降り立った。
「さて、たしかこの者のポケットに、家の鍵が入っておったな。たしか……これじゃな。不思議な形をしておるが……ふむ。まあよい。今はこの者の治療が先じゃ」
再び祈の記憶を覗き見た後、女性は祈のポケットから鍵を拝借し中へと入る。
「靴、か? しかし、なぜ入り口に靴が……どれ、記憶を、と。…………ふむ、なるほどな。どうやら、ここでは靴を脱いで上がるのが習慣のようじゃな。であるならば、妾も靴を脱ぐとしよう」
女性はまたしても祈の記憶から、靴を脱いで家に上がる、という情報を得る。
祈の靴を脱がせることも忘れず、その女性は祈の寝室へと向かう。
寝室に入るなり、女性はベッドに祈りを寝かせた。
「さて、治療をするに辺り、服を脱がさねばならぬが…………いや、これは決して妾がこの者の裸を見たいから、などという下賤な理由ではなく、治療のためであって、間違っても、自身の欲求を満たしたいと言う、下心に溢れた目的が理由ではない。…………妾は一体、誰に言い訳をしておるのじゃろうか」
相手がいないのに、言い訳をする女性。
まるで、思春期の男子が初めてエロ本を見る時のような反応である。
「……まあよい。と、とりあえず、服を脱がすか」
女性は血まみれになっている衣服を全て脱がすべく、服に手をかける。
上半身の服は血にまみれ過ぎていたため、そのまま切り口から破いて脱がせ、近くに放り投げる。
そして、メイン。下半身だ。
(……治療は、服を脱がすことが大原則。今回のような大怪我であれば、当然全裸が求められるわけじゃが……ええい、何を生娘みたいに躊躇う必要があるか! 行くぞ!)
心の中でそう意気込み、祈のズボンとパンツに自身の手を入れ、一気に下ろす!
そして、次の瞬間。
「…………………………………………………んんんんんんんんんんん!?」
女性は驚愕したッ!
思わず、たっぷりの間を空けた後に驚きの声を上げるくらいには驚愕した!
そう、女性は祈の可愛らしい容姿を見て、自身と同じ女性であると思っていた。いや、思い込んでいた。
しかし、しかしだ。
祈は女ではなく……男!
一発で見抜くなど不可能なレベルの男!
そう、脱がしたズボンとパンツの下には、男の象徴が鎮座していたのだ!
(お、おおおおお、おと、おとおとおと、お、おぉ男じゃとーーーー!? こ、この者、男であったのか!? う、嘘じゃろ……人間には、こうも美少女のような男がおると言うのかっ……! 少なくとも、魔族にはおらなかった……しかし、人間にはおる、のか……? わ、妾が無知なだけで、世界はこんなにも広い、というのか……? な、なんという、なんというっ……!)
「もったいない存在なのじゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
抑えきれなかった心の声が、女性の口から漏れ出た。
幸いだったのは、祈が現在生死の境を彷徨っていることと、祈の家――というか、敷地が割と広めだったこと、窓が開いていなかったことだろう。
幸い、近隣住民から苦情が来るようなことはなさそうだ。
(くぅっ、なんというこのガッカリ感っ……! 女だと思っておったら、まさかのどんでん返し! なんというもったいない存在…………)
悔しそうに顔を歪めながら、拳を作ってぷるぷる震える女性。
あまりにも、無情なる現実に女性は心底悔しそうであった。
「って、いかんいかんっ! この者の手当てをせねば!」
しかし、祈の手当てのことを思い出し、すぐに治療に取り掛かる。
女性は、患部に両手をかざすと、翡翠色の温かな光を発生させた。
その光は、粒子となって祈の怪我に入り込むようにして消えていく。
(ふむ、幸いなことに致命傷は避けておるな……もし、致命傷であったならば、助けることは難しいところじゃな。なんとも幸運な者よ)
みるみるうちに塞がっていく傷を見ながら、祈の幸運を褒める。
最初は苦しそうな表情の祈だったが、傷が塞がっていくごとに、徐々に徐々に柔らかくなっていき、傷が完璧に塞がる頃には、安らかな表情で寝息を立てていた。
「ふむ……やはり、可愛い、な」
その寝顔は、まさに天使と形容できそうなほどに、可愛らしいものだった。
女性はその姿を見て、うーむ、と頭を悩ませる。
今現在いるこの場所が、未知の世界であることは、建物の材質や魔力が一切使用されていない街灯などを見る限り明白。
可能性としては、自分の知らない人間の国があったか、もしくはここが異世界であるかのどちらか、と当たりをつける。
であるならば、ここについて情報を得るために、今現在自分の目の前で眠る者に助力を求めるべき、そう決めて女性は思考を切る。
「しかし……ふむ……傷跡、残っておるな……」
思考を切り替え、女性は祈の体に残る傷跡に注目した。
肩から脇腹にかけて、斜めに走る傷跡。
肌は滑らかで白いため、この傷跡はものすごく目立つし、何よりすぐに傷跡と化したが、見ていてかなり痛々しいものだ。
できることなら、消してやりたい、そう思ったところ、はっと何かを思い出した。
「…………そう言えば、治癒魔法の一つに、副作用付きの物があったな……。たしか、体の不調を完璧に治す代償に、なぜか性別を入れ替えるという…………それじゃ!」
女性は、一つの魔法の存在を思い出し、思わず声を上げた。
はっとなって、口を慌てて塞ぐ。
恐る恐る祈の顔を覗き込み、起きていないかを確認。
幸い、起きた様子はなく、祈は規則的な寝息を立てている。
その姿を見て、ほっと胸をなでおろす。
「うむ。そうと決まれば早速魔法を使うとしよう。見たところ、聖剣に切られた影響か、体の至る所に不調も見られるしのう。聖剣による傷が、どのような形の不調をもたらすか不明である以上、放置はできんな。であるならば、これは善意……そう、善意じゃ。決して、妾がこの者を女にしたいからと言うわけではなく…………うむ、人助け、人助けじゃ。……うむ。よし、使うぞ!」
また、誰に訊かれたわけでもないのに、虚空に向かって言い訳を口にする女性。
自分自身に、人助け、と言い聞かせることで、自分の罪悪感を減らそうとした。
そうして、女性は再び祈に両手をかざすと、魔法を使用。
それは、先ほどの翡翠色の光とは違い、さらに濃い色となっていた。
(くっ、この魔法、一生に一度しか使用できぬ魔法故か、魔力消費がえげつない……妾ですら、ほぼ全魔力を使用することになろうとは……。これは、完了後に眠ってしまうな。夜の方が種族上、動きやすくはあるのじゃが……仕方あるまい。……起きたら、謝らねばな)
ふっ、と小さな笑みを浮かべ、起きた後のことを考える女性。
しばらくして、魔法の行使が終了するとともに、女性はぱたり、と祈の眠るベッドに上半身を投げ出して、自身も眠りに落ちた。
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