北条君の訪問 その三


 先生と北条君は駅前の並木通りの商店街を歩き、途中路地を曲がって静かな住宅街に入った。大通りが直ぐそばにあるには騒音が聞こえず大きな屋敷が行儀よく並んでいた。

 その一画にある打ちっぱなしのコンクリートをコーティングした壁で囲まれた小さなマンションの前に北条君は止まり、建物の壁にある電話のようなボタンを押した。

 女性の声がして北条君が名乗った。すると小さくカチッと音がして北条君は重そうな金属のドアを開け先生にどうぞ、と言った。中に入り、北条君がドアを話すとガチャッとしまった。

「何だか怖いな、これは」

 防犯ですよ、この辺は金持ちが多いから仕方ないんです、と北条君が言った。

 品のいい刑務所見たいだな、と先生がいうと北条君は笑いながら、そう言われるとそうですね、と言った。

 北条君に案内されるまま先生は2階に上り、奥の一室の前に立った。


 北条君の電話での話はこういうことだった。

「エッセイの連載をお願いしている人がいるんですが、この人が最近スランプになっちゃったんですよ。

 何とか立ち直ってもらわないと困るんです、何しろなかなか人気があってこれからっていうところなんです。才能がある人なんですよ」

「まったく勝手なことを」

「本人もそういう事情はわかっているんですが、どうにもならないっていうんですよ」

「当たり前だろう、機械や装置じゃあるまいし」

「で、先生に話しをしてもらおうと思ったんです、なんでもいいんです」

「無責任なことを言うな」

「でも、もう、先に話をしちゃってるんでお願いしますよ」

先生は少々大声になった。

「どうしてそう勝手なんだ」

 北条君は、まったく返す言葉はありません、と電話口で大きな声で謝り、先生にうるさいよと言われたが引き下がらず、結局

「仕方ない、しかしこれきりだぞ」

と言い引き受けてしまった。

 横で先生の母は聞き耳を立てていて、先生が電話を切ると、男はそう簡単に怒るものではないよ、と言ってたしなめた。

「情けは人のためならずというじゃないか、いっといで」

 そう言って先生の母は先生を家から追い出したのである。


 北条君は、お邪魔しに来ましたといい、先生を紹介した。その女性は、

「竹田鏡子と申します。今日はわざわざ来ていただいて、本当にありがとうございます」

と、言ってどうぞ中に、と二人を招きいれた。

 先生は北条君に押し出されるように中に入り、広いリビングのソファに借りてきた猫のように座らされた。

 傍らに北条君がいることがこれほど心強かったことはない。

「ちょっといいでしょう」

と、鏡子がお茶を入れている間に北条君は小声で話しかけた。先生はうむ、とうなづいた。

「先生、緊張してるでしょ」

 余計なことをいうな、と先生は小声で言った。

 鏡子はそれを見ていたらしく、雛鳥のように小さく笑いながら二人の前にどうぞ、とお茶を並べた。

「実家がお茶屋なのでいいのを送ってくれるんです。おいしかったらおかわりしてください」

と、鏡子は名画のような微笑を浮かべた。

 先生は、それを一口すすりなるほどおいしいと思ったのでそう言った。

「ありがとうございます」

 嬉しそうな笑顔になった鏡子に先生は見とれてしまった。

 そこで北条君は、ええ、と本題に入るべく口を開いた。


「いや、竹田さんの事を先生に相談したんですが、僕の話じゃ、どうにもらちがあかないんで、連れてきちゃいました」

「本当に北条さんには、迷惑をかけてすまないと思ってるんです」

 そういう鏡子に先生は、彼にいくら迷惑をかけてもいいですよ、いつも僕が迷惑をかけられているんですから、と先生は北条君を見て言った。

「今回のことにしても、あなたがそう気に病むことはないんですよ。文章なんて無理に書こうって言ったってそう書けるものでもないし、無理に書いたものなんてつまらないですから」

 そう先生は言った。北条君は、参ったなと横で苦笑した。

 すると、鏡子は恥ずかしそうに、

「みっともないと思うんですよ我ながら。こんなになっちゃうとは思わなかったんです。どちらかと言えばその方がショックで・・・」

「自分はそんな人間じゃないと思っていた」

「そうです」

 先生は、この妙齢の女性が好きになっていた。なかなか面白そうな人だと思ったのである。

「北条君が私をここに連れて来たのは多分、彼がとある女の人と別れた時のことを思い出したからじゃないかと思うんですよ。」

 先生ちょっと、と北条君が止めようとすると、先生は聞きたくないなら外にでも出ていたらどうだと言った。

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