北条君の訪問 その二

 北条君が先生と違い、経済的に余裕があるのは決して彼の家が富裕だと言うわけでもない。彼自身が、勝手に稼いだのである。

 彼は高校卒業から大学在学中まで、その当時今ほど便利な道具もない時代に、株を独学で学んだ。毎朝通学途中で経済新聞を買い、方眼紙に罫線を引き、小遣いで四季報を手に入れ、高校生になると夏休みにアルバイトをし、何とかギリギリ手を出せるものを見つけた。

 当時彼は二十歳になったばかりだったが、とある企業の株を満を持して購入した。もちろん、誰にも秘密にである。


 北条君の話では、その株を購入した時、その会社は商品管理の問題から製品を回収をせねばならず、これが連日報道され売り込まれていたそうだ。北条君は、半ばほくそえみながら、アルバイトで稼いで貯め込んだ全額を下がっていくその銘柄を買い続けたのである。

 北条君は、当時はそんなうまい話はそうなかったんですよ、ビギナーズラックでしたねと懐かしそうに語った。最終的には僕が買った値の約三倍になりました。僕は倍になったところで売っちゃいましたけど。

 もったいない事をしたな、と先生が言うと、北条君は首を振り、倍になったら十分ですよ。僕としてはかなり我慢した方です。

 それに投資の元手が増えたんでいいんです。生活がかかっているわけでもなかったですし。もちろんそれなりに損もしましたが、授業料みたいなものです。


 でも、先生。自分なりに調べたり研究してこれと決めたものを買わないとダメなんです。結果はどうあれ誰がなんと言おうと、自分の意志と経験を信じないとね。

 そういう意味では僕は投資を勉強と自己鍛錬に使っただけです。なまじ大人だったら借金もできたんでしょうが、僕は若かったんでそう簡単にはさせてもらえなかった。だから現金がなくなったらそれで終わりです。

 でも、それがよかったんです。

 今は学生でもカードを作れば金は調達できるそうなると買い方だってあまり考えませんよ。よく調べもせず、考えないで買えば損が膨らむだけでしょう。


 北条君は大学を出るまでの4年間に、中小企業のサラリーマンの退職金ほどの金額を手に入れた。その後、卒業したのを機に足を洗ってしまった。お金は学費と学生生活に必要な出費以外には使わず、残りは今も銀行に預けっぱなしである。

 彼が言うにはもしも自分にもっと度胸があれば、この十倍は手にした、だから相場師になるほどの才能はなかったとのことである。

 地道にやってた方がちゃんとお金が入ってきます、一番儲かるのは普通に働くことですよ、その方が楽です。


 実際、彼は身過ぎ世過ぎには不自由もなく、どこでも重宝される人間だった。現在の過ごし方は彼なりの保身と来るべき日までの準備なのだろうと先生は考えていた。

 なので、先生は

「ところで君のその秘めたる才能はまだ眠ったままなのかい?」

と、探りを入れてみた。北条君は微笑して答えた。

「今は今やるべきことをやるだけです」

「知者は惑わず、か」

「知者はこんなあくせくしませんよ」

「謙遜するとは珍しいな」

「先生の薫陶の賜物です。実際、今はもうああいうことに手を出したくないんですよ」

「なぜだい」

「ああいうのは堅気のすることじゃないからですよ。先生はいつもそう言ってるじゃないですか」

「世の中はそういう人間がいてもいい。人間でいられればね。そう簡単ではないが」

「そうですね、僕には難しいことです」

「まあ、気長にやるさ。気が付く事をやってゆくしか人間にはできない。自分が嫌な気持ちがすることはやめて、やって気持ちのいいことをやればいい。それが人間のすることだよ」

 北条君はうなずいた。


「先生の言うことは含蓄がありますね」

「今日は褒め殺しか。その手は食わんぞ」

 先生はそう言って北条君を牽制した。

「人助けですからそう警戒しないで下さい。僕にはちょっと手に余ることなんですよ」

「君の手に余るなら僕にだって余る。もっと適任者がいるだろう。こういう相談は占い師とかセラピストにでも任した方がいいだろう」

 北条君はまあ、そういわないで、話を聞くだけでいいんですからと、先生をなだめた。


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