柏原君との再会 その三

 それから、いろいろと近況を話したが、先生が話したことで柏原君が大笑いしたのは、先生の母のニュースをみているときの「また、馬鹿なことをいってるよ」という一言だった。

「君には気の毒だけどね」

と転倒先生は言った。

「いや、ある意味で健全ですよ。どんな番組でもどこかからはお金が出てるし、組織には権力がつきものです。番組はそういうものに対する責任は果たすけれど、視聴者に対する責任感に関しては甚だ曖昧ですから」

「まあな、しかし、見るほうにしても払っているのは電気代くらいなんだから、金額相応のものだろう。

 それにテレビ局に報道の倫理だとかいうのは、泥棒に縄を綯え、といっているようなもんだ。政治家の政治倫理みたいなものだよ。」

 柏原君が微笑をうかべたので、何だというように先生は彼をみた。


「相変わらず先生は面白い、世間どおりじゃない」

「偏屈といわれるよ。こっちは、正論なんだがな、昔の人も筆は一本箸は二本衆寡敵せず、と言っている」

「いつかみんなを敵に回しますよ」

「自分のいいたいことを言って、味方が欲しいなんて考えるのは愚の骨頂だろう。味方がいるうちは何も意味あることは言っていないんだ」

 柏原君は転倒先生が「極論でない意見は意見ではない」とよく言っていたことを思いだした。

「今はみんな敵を作ること、異議を唱える事を嫌います。特に世論に反することはね」

「世論なんて実際はありゃしないよ。あれはただの愚痴さ」

 転倒先生は冷笑した。


「先生。前々から聞きたいことがあったんですけど」

 先生は何だい、と柏原君を見て言った。

「僕の記憶では、先生は政治については触れたことがありませんね。どうしてです?」

「どうしてか。さほど興味がないからだ」

「それは、嘘ですね」

 柏原君は間髪入れずそういった。

「というわけでもないというつもりだったんだ」

「わざとですよ」

「テレビなんかにに出るようになると人間が下品になっていけない」

 嘆かわしい、というように先生は柏原君を見た。


「で、どうしてですか、政治について話さなかったのは。そのことは、日本に帰ってきてから先生に会ったらまず聞こうと思ってました」

「まず、子供の頃はできなかった。というより、その必要がなかった。いや、君達が子供だからというのではなく、君達の興味がそこになかった。

 もっと身近な自分達が考えられる話をしないと君達と話していても一方的な話になる」

「そうですね、先生は、学校とか受験の話をしてましたね。予備的に職業についても」

「君らの興味の範囲だし、仕事はいずれ勤めることになるからな」

「じゃあ、僕が大学を出てからはどうなんです?」

 先生はしばらく考えて言った。


「第一の理由は、面倒だったからだ。第二に他に面白い話題があった。第三に思いつかなかったからだ。もともと政治的な人間でもないしね。

 それに恋愛と政治と宗教とスポーツの話は聞かれない限り答えない」

「なぜです?」

「建設的な議論になりにくいからね」

「もめるからですか」

 先生は、いいやと首を振った。

「不毛だからだ」

「でも、あえて聞きますよ。議論する気はないですが、意見を聞きたいんです、先生の」

 しかたない、というように転倒先生はため息をついた。


「君の望んでいることに応えられる自信はないが、そこは君が承知しているという前提で話すよ」

 柏原君はどうぞ、というように手をさしだして先生の発言を待った。

「基本的なことを言えば、私はみんなが当然と考え、肯定している民主主義を当然とも思っていないし肯定もしていないという所かな」

「もう少し言ってもらわないと分かりません」

「簡単にいえば、大部分の人間が嘘をつき、かつそれを見て見ぬふりをしているということだ。その自覚がない人が大半だが。それをおかしいと思っているから民主主義を信奉していないということかな」

「仮に純然たる民主主義が達成されれば認めるということですか」

「それはありえないだろう、すべての人間が聖人君子になる仮定はありえないからね」

「だから民主主義者ではないというんですね」

「現実に行われえない制度に従え、というのは絵に描いた餅を食えというのと同じだ。絵の餅は永遠に餅にはならないからな」


「時間的猶予は認めないんですか」

「民主主義の国が独裁制を生んでアウシュビッツを作ったし、百年以上民主主義であった国が核兵器を使い、革命を起こして共和制になった国が植民地戦争に明け暮れたのだから、もう充分だろう」

 先生は柏原君に反論は?と視線を向けた。

「確かに今世紀は悲惨なことが多かったそのことは認めます。しかし、それが民主主義のせいなのかは今の先生の言葉だけでは根拠は薄弱です。

 そこまで言うなら、それに代わるどんな政治制度があるというんです」

「そんな政治制度は無いよ。人間がやる以上はね」

「本当にないと思っているようには見えないんですが、僕には」

 柏原君は疑わしそうに先生を見た。


「言っても今の君には理解できない」

「できないかどうかは話してみなくてはわからないでしょう」

 転倒先生は、首を振った。

「あえていうなら政治なんかない世界だろうな」

「政治がない?それじゃ、混乱するだけでしょう」

「本当に必要ないと思っているよ。今の段階でも少なくともこんなに多くの人間が関わる事ではないと思っている」

「僕にはそうは思えない、もっと多くの人がかかわるべきだと思っています。事実をより多くの人が見て、考える必要はあるとは思いますが」

「だから、今の君には理解できないといったんだよ。もっと正確に言うなら共感できないといった方がいい」

「そうですね」

 柏原君の言葉には納得がいかない響きがあった。


「納得できなくてもいいんだ。もしも君が民主主義を現時点で最良の政治制度だと考えるなら、それをよりよいものにすればいい、目標が無ければ達成もないからね。

 それに今、君は多くの人に語り、問いかけることもできる立場にいる」

「そんなもんじゃありませんよ、先生の買いかぶりです」

 そう言って、柏原君は首をふった。

「しかし、昔から僕は思っているが、君のような人間はなかなかいない。多くの人もきっとそう思っているはずだ。そういうところが君から失われないことを願うよ」

 柏原君は黙ってそれを聞いていた。


 先生はそれを言って気が済んだので、そろそろ帰るよと立ち上がった。

 柏原君は、見送ろうとすると先生は玄関で、いや、ここで失礼するよといった。

「また、手紙を書きます」

と柏原君は言った。

 先生は楽しみにしているよ、返事は遅れるけれどと笑いながら言うと、瀟洒なマンションを後にした。

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