第3話 柏原君との再会 その一

 転倒先生とこの街は馴染みが深い。というのも、物心着いた頃に母親が買い物やらで、転倒先生を付き合わせたからである。

 先生の母親は先生が今思うになかなか深謀遠慮で、体がしっかりしてなくて風邪を引いたり、腹をこわしたりと言って学校を休み勝ちだった転倒先生に本をくれた。

 いろいろと買い与え借りてくれたが、その中に、下村湖人の「論語物語」があったのである。いまだに転倒先生にとって「論語物語」の効果は絶大である。中学生になると転倒先生は自ら「論語」を購入し、以来数十年、その本を机上から本箱に移すことすらない。


 転倒先生が虚弱であったのは十歳くらいまでで、それ以降病院の世話になったのは、十指に足らぬくらいである。

 孝行を言うのも書くのもたやすいが、これを為すは難しである。が転倒先生は「論語物語」を読んでからは、親の手伝いに文句は言わなくなった。

 しかしながらしかしながら、それ以外は世間並みな子供と同様「親の心子知らず」である。なかなか孔子先生のいうようにはいかない。

 それでもせいぜい母親の買い物の荷物持ちくらいは、文句は言わずにやる。それで子供頃からこの街は知っていた。

 その後長じてこの街の塾に通い、予備校に通い、学生時代には名画座に通った。


 しかし、このごろはあまり馴染みがない。しばらく来ないうちに勝手がちがってきてしまったのだ。

 どこの街でもそうなのだろうが、大人の場所がなくなって、どこもかしこも子供向けになっているのだ。街にとってはいかがわしさや危険が周辺に退き、駅の周りは安全なのだからいいのだろうが、転倒先生には、どうにも落ち着かない所になった。

 それはそれとして、駅からそう遠くない通りに面した大きなカフェに入って腰を落ち着けた。


 転倒先生の傍らの丸テーブルには、二十歳前後の学生らしい女の二人連れがいた。

 一人はゲバラの赤いTシャツを着ており、もう一人は金髪で先生の時代の言い方では坊主刈りにした子だった。女学生と言う言葉ができてから百年も経たないと言うのにこの風俗の変わりようはと先生は改めて感慨を深くし、語るべき言葉は奪われていた。

 気を取り直し、運ばれてきたレモンティを一口のみ、先生は至福の時を迎えようとしていた。本を買ってその近くで少しばかり読むのは映画の予告編のようなもので、もったいぶる行為である。

 何も自分で買った本をもったいぶる事もないのだろうが、もったいぶらないとすぐ読み終えてしまう。

 そのため、いつのころからか先生はもったいぶった上に最後を少し読み残すという悪い癖がついてしまった。というわけで、その日は、さて一章分くらいは、と思ったところで横にいたゲバラのTシャツを着た子が、「あっ」と声を上げもう一人の坊主刈りの金髪の子がどうしたの?と訊ねた。


 転倒先生は、いわゆる聖人君子のように、何があっても書物に没頭して何があっても我関せずと言うような人物ではない。

 声をあげたゲバラTシャツは、「今入ってきた、ほらあの窓際に座った男の人、ニュースに出てる学者の人じゃない。」と小声でショート金髪に言った。

「えー、ホント。」と、どれどれというように、その方を見ているようだった。先生も見たかったが、女の子につられて見るのは何だか業腹なので、見たい気持ちを押さえて本を読むような振りをしていた。


 転倒先生が大学に入った時、学長が入学式の講話でこんな話をした。

 アメリカや中国、北朝鮮のニュースを見て、君らはその報道の偏重を笑うだろう、しかし、日本の報道を見ておかしいと思わないのはそれが事実だと思っているからだ。

 大学で何を学んでも、そうしたことに疑問を持たず鵜呑みにするようでは、無意味である。客観的に物事を論じているようで実は疑うべきを知らなければ、本当の理性や知性は身につかず、かえって偏狭な人間になってしまう。

 まずは講義を行う教師を疑い、自らそれを検証しくれぐれも盲信するようなことがないように。それでなくては、大学は健全な教育の場ではない。健全な学問の府にするか、阿諛追従のゴミ箱にするかは君達の双肩にかかっているのでそれを忘れないでほしい。

 新入生の転倒先生はそれを聞き、ニュースというものをおよそ重視していなかった自分と同様の人がいるのを喜んだ。


 先生は今でもスポーツの結果を見る以外、あまり関心を持たない。少なくともスポーツの勝ち負けは、戦争の報道のように嘘のつきようが無い。

 それでもニュースをまったく見ないというわけにはゆかない。なぜなら先生は食事の際、父母が見ているからである。

 先生の母は、ニュースのキャスターやコメンテーターの言う事を聞いてよく「バカなことを言ってるよ」という。先生は、それを聞いてなぜとは問わない。理由は推して知るべし、である。


 先生はカフェを訪れた学者紳士を見ず、隣のゲバラTシャツと坊主刈り金髪の動静に耳をそばだてていたが、学者紳士を見ていたどちらかが、

「あのひと柏原浩司よ。この間のどこかの知事選で立候補するとかしないとかで話題になってたじゃない」

と言った。

 先生はそのとき、見なくて良かったと、そして、なるべく背中を向けようと思った。

 なぜなら、その紳士と知り合いだったからである。


 バカなことを言ってるという割には、いつも同じニュース番組を見ていた。母はどれも同じなのにわざわざ番組を選ぶ必要はないと思っていたのだろう、無駄なことは嫌いな人である。

 柏原君は新進の政治学者で、最高学府を卒業し大学院の博士課程に進み、その後、海外の財団の研究員として研鑚した。

 最近になって思うところがあったのか帰国し、著述をもって生業としていた。

 先生は、彼がテレビに出ていることは知らず、夕食の時のニュース番組にゲストで出ているのを見て、初めて知ったのである。


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