第三十八話 最終決闘
「遅かったな。鈍感な烏よ」
――広々とした部屋に黒猫が一匹、立ち尽くしていた。さらに上へ続く階段を塞ぐ形。
洞窟のような牢獄から一変して、石柱が幾本も立つベルベッドのカーペットの敷かれる荘厳たる一室に辿り着く。
「遅くねえよ、まだ時間はある」
「頭も冷えた頃だろう。合理的で理知的な判断ができるはずだ。敬太郎、六碌亭に入れ」
「何度聞かれても答えは同じだよ。いっそ尊琴がうちに入るのはどうだ?歓迎するぜ、なにせ御御亭はいつだって人手不足だからな」
「『招来せよ』」
こたつほどの幅の黒い招き猫が頭上から降り、間一髪避ける。
「戯言を」
「どっちが!」
重い地響きが粉塵を巻き起こし、灰色の煙の合間に杖を構える姿が見えた。
私も胸元から杖を取り出す。
「『爆ぜよ』」
招き猫は爆発し木片を四散させた。自分には当たらぬよう攻撃を削り、けれど辺り一帯に散らばる木片までは手が回らない。木片はにょきにょきとそれぞれ形を変え、こたつ大より小ぶりな、水筒くらいの大きさの招き猫がぽつぽつと転がる。
「散弾銃みたいな攻撃だな」
この程度の魔法ならば防ぐのは容易だ。足を踏み出し、魔法を当てるべく尊琴との距離を縮める。
「『爆ぜよ』」
再び招き猫は爆発する。小さい木片が急スピードで飛び散り、刺さらぬよう解道する。床に満ちる木片は形を変えて、こぶし大の招き猫に代わる。床はほとんど見えない。
私と尊琴との距離は数歩分しか残されていない。腹痛魔法の射程は大股の一歩くらい、もうすぐ決着が着く。
「『爆ぜよ』」
三度目の爆発。木片は針の如く細かさになる。木片たちは形を変えて――
「もう降参しろ、お前の負けだ」
射程範囲内に入った。杖先を腹に向け、いつでも魔法を放つ体制を取る。
「貴公らしくもない。敬太郎は何を言うより先にしでかす性質だろう」
「私はお前と喧嘩しに来たんじゃない。仲直りしたいんだよ」
「仲直り……?」
尊琴は何か口をつこうとして、やめた。
「もう遅い」
――木片はこぶし大の招き猫に代わる。徐々に小さく増えていったものが単純に増加すると、
「っ!?」
膝下までごろごろと招き猫が満ちる。足を上げることも動かすこともままならない。身動きを取れなくするのに十分な質量と数だ。
これ以上招き猫が増えれば窒息死も圧死も視野に入る。こんなところで死んでたまるか。
眼前の彼女も同じだった。膝下まで招き猫で埋まり、微動だにできていない――いやしようともしてない。
「遅くない!まだ時間はある!」
「『爆ぜよ』」
招き猫が粉砕され、一瞬体の自由を得たのも束の間、胸辺りまで招き猫が溢れる。
全身が圧迫されて緊張が走る。呼吸が難しく、指先一つ動かせないことが気持ち悪い。
「色々話そうよ。私はお前の思い通りにはならないが、それ以外のことはしてやるよ。こんな決闘じゃなく、喫茶店で下らない話をしよう。何が不満で、何をしてやりたいのか、こんな押し付け合いじゃなくて友達として、」
「『爆ぜよ』」
招き猫は再度粉砕される。身体が自由になる刹那――
「『招来せよ』!!」
それは私の声。
こてんと不細工な招き猫が手の中に落ち、
「『爆ぜよ』!!」
背中へ投げて爆発させる。粉々になるだけの術式ではなく、黒煙を上げ、火薬によって熱い爆風を広げる威力のあるそれ。
爆発の解道はさっきしたばかりだ!熱波だけを削り一直線に身体を吹き飛ばす。
「ひっ」
「離れるなよ!」
咄嗟に伸ばした腕は尊琴の腹部を抱える。爆風が収まりかけて木屑まみれの床を踏みしめ走った。
木屑たちはにょきにょき数を増やし復元を始める。階段まで残り一歩。
「『爆ぜよ』」
それは私の声ではない。
さらに爆風を受け、解道もままならぬまま焦げるような熱さに涙目になって、階段へ飛び込む。
腹や膝を角に打ち付け、痛みに身悶える。
ねずみ算に増え続ける招き猫は一つとして階段内へ侵入しなかった。そういう魔法が張られていたのか。境界線の隅々まで張り付く黒猫の顔々はかなり不気味だ。
「助かった……おいお前、心中する勢いだったじゃないか」
「そのつもりだったよ。貴公が認めてくれぬなら僕に存在価値はない、どうせなら共に死にたかった」
階段に座り項垂れる彼女の隣に腰掛ける。
「風情なことを。私は死ぬのは御免だよ、お前だって最後は抜け出すのを手伝ってくれたじゃないか。本当は死にたくなかったんだろう」
「死にたくないよ……死にたくないけど、敬太郎が六碌亭に入らないなら仕方ないじゃないか」
「やっぱり性格が悪い。というか拗らせてんなあ」
「うるさい」
体育座りして顔を膝の上に埋めた。
「……僕の魔法いつ覚えたんだよ」
「古本市の直前に読んだ。どうせ戦うことになるだろうから勉強しておこうと思ってな」
「ありがとう」
「どういたしまして。帯書いてやってもいいぜ」
「貴公のネームバリューじゃ劣るよ」
「なにおう!?」
反応はない。こうも萎れていると張り合いもない。
「僕は負けてしまったから諦めるしかない。頭では分かっているつもりなのだ。これ以上何をしたって虚しいと分かっているはずなのだ。でも、それでも、諦めきれない自分がいる。こんなときはどうすれば良いのだろうな」
「……私はここに仲直りをしに来たんだ。今までの喧嘩を全て水に流して、最初からやり直そうと。勝ちも負けもあるか」
顔を上げる。雨に打たれた黒猫みたいだ。
「仲直りするか?」
「する」
差し出した手に彼女は指を沿わせる。
「赦免花に謝っとけよ」
「うん」
「あと茶会の連中にも」
「いやだ」
「気持ちは分かるけど」
「分かってるとも」
手を離して光射す地上への階段を昇る。
「また話そう」
彼女の言葉に私は手を振った。
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