第三十六話 解道の王

 歓声が止んで、戸惑いと怒りが敬太郎にぶつけられている。古本市運営に抗議する者も怯えて避難する者――茶会の目論見とは正反対に事態は悪化の一途を辿っていた。


 あちこちに見える六碌亭、望碌亭の魔法使いを避けて、人混みを抜け出した。


「はあ……はあ……」


 息が整わぬままに鳥居を潜り――表の世界に戻る。


 鳥居は表と裏を繋ぐゲートの役割を持つ。



 凍てつき燃やされ潰されたはずの町で何の変哲もなく日常が流れていく。裏阿部空でどれだけ破壊活動が行われても、表の世界に干渉することはない。


 帳のかかった夜。


 通行人はまばらで、鳥居の中から唐突に現れた金髪は良く目立つ。


「早く……早く、逃げないと」


 飛行魔法を使って素早く飛び立った。青い眼はきょろきょろ動き、銭湯の煙突に激突しそうになって急旋回。ローブが擦れ傷痕を作った。


「で、でも……どこに逃げれば」


 両目を強く擦り、打ち鳴らす鼓動がうるさくて奥歯を噛む。


「唐紙扉戸、浦々、日青日月亭……違う、私が頼らないといけないのは、」



 その時計塔は文字盤の一つが止まっている。


 ランドマークとして建設されたそれはいくら補修工事を行っても決まった方向の文字盤が動かず、一つの怪奇現象として有名になり、期待以上の町のシンボルとしての性能を持ってしまった。



 赦免花は勢いに任せて飛行し、止まれずその文字盤に激突した。鼻頭を打ち、熱く腫れるような感覚に襲われる。痛みに構わず文字盤を叩く。


「御御師匠!大変なんです!みんなが……茶会のみんなが六碌亭に捕まって、六碌亭は御御亭の崩壊をも企んでいます!もう師匠しか頼れる魔法使いはいないんです!!」


 文字盤は開かない。


「ピンチなんです!このままじゃ御御亭はなくなってしまう、敬太郎と尊琴が仲直りできないまま、武尊が止められないまま、何もかも終わってしまうんです!!」


 両拳を打ち付け、額をくっつける。


「お願いです……助けてください」


 夜闇は沈黙を纏う。



「終わったあああああああ!!」



 時計塔の中から嬉々とした声が漏れ聞こえる。


 赦免花が口を半開きにして呆然としていると、文字盤の強力な魔法が解かれる。


 ぼさぼさの白髪に目の下にはクマができた白い烏のような美女が欠伸混じりに文字盤を押して現れた。


「おや君は、我が二番弟子の。どうしたこんな夜更けに、ややっ鼻血が出てるじゃないか!待ってろ今すぐ救急箱を、」


 「そんなことはどうでもいいのです!」指先で鼻に触れると血の感触があった。ローブで雑に拭い、古本市で起こっている事件の一部始終を話す。傍若無人が服を着ているような御御も鬼気迫る態度に気圧され黙っていた。


「ご苦労……仔細承知した。武尊の方は吾輩に任せろ、どうせいつものアレだ」


「アレとはなんでしょう?」


「世には知らなくて良いこともあろうて。君は――赦免花はここで休んでおくがいい、随分疲れているようだ」


「嫌です。私は六碌の生まれです、祖父と元兄弟子の失態は私が拭います」


「殊勝な心掛けだなあ。ほんとに武尊の孫か?」


 「残念ながら」赦免花は複雑そうに笑う。


「して、師匠はこんな時間まで何をしていたのですか?先日も伺ったのですが、」


「ふっふっふっ……聞きたいかね?聞きたいよな!これだよ、これ!」


 白髪を優美にかき上げ、自慢げに紙束を見せつける。


 端をクリップで纏めて、びっしりと文字が連なるそれは分厚く、百枚は下らない。


「吾輩はとうとう魔導書を書いたのだよ!自由帳と揶揄されることのない解道について体系化した最高傑作っ!これで敬太郎にぐちぐち言われることもなくなる!しかも古本市に間に合ってるときた!!吾輩っては天才すぎる、さすが解道の王!」


「は、はあ……ですがもう古本市は滅茶苦茶で本なんて買う魔法使いは、」


「終了時刻は」


「はい?」


「古本市の終了時刻はいつか聞いているのだよ」


 慌ててポケットに折り畳んでしまっておいたポスターを見せる。


「そらまだ時間はあるじゃないか。それまでに事件を終わらせ、売り上げで一位を狙う。裏も表も圧倒的な勝利を収めてこそ、だ」


 不敵な笑みを浮かべ、赦免花の頭をくしゃくしゃに撫でた。


「印刷所には原稿を送ってある。これは敬太郎に渡しておいてくれ」


「渡すって、捕まってるんですよ!?どうやってすればいいんですか」


「知らん。まだ働くつもりなのだろう?それともここらで”りたいあ”するかね?」


「……了解しました」


 御御は箒に跨り、製本の様子を見てくると瞬く間に消えていった。


「本当に魔導書を書いてたなんて」


 鳥居のある商店街へ振り返る。手渡された原稿を強く抱きしめた。

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