第三十二話 和菓子

「一人でこんなとこ歩く初めてかも」


 御御亭の危機や六碌亭の暗躍を思考の隅に追いやって、一つ一つの店を物色する。慣れない仕草できょろつき、々堂の手前で入ってよいものか、御御亭との繋がりが疑われたらどうしようと悩み、隣の和菓子店を覗き込む。


 おまんじゅうにおせんべいにどらやき、どれもつやつやと輝いている。


「小説―小説はいらんかねー。あっと驚く仕掛け満載の小説だよー」


 石畳を車輪が蹴り、豆腐屋が吹くようなリード笛の音が聞こえた。


 移動販売用の屋根付き台車、載せられた商品はどれも装丁の綺麗な本である。


 台車の先頭には店員らしき猫背の女が立ち、数名の客が小説の仕掛けについて説明を受け小さく歓声を上げる。購入者もいるようで、


「是非とも裏阿部空の古本市で後巻を買ってくださいね」


 小説を開けば、金属音が聞こえて火花が散り、小鳥が飛び出した。「ちょ、ちょっと」たまらず赦免花は声を掛けた。


「人間に魔法を教えるのは禁忌じゃないかしら。そこまでしてお金が欲しいの」


 赦免花の小言に猫背の女は答える。


「これは魔道具ですよ。ルールには抵触しないし、金銭目的で本を売っているわけ、じゃ……」


 女は声を途切れさせ、言葉を弾けさせる。


「赦免花!?」


「あなた、尊琴……?」


 慌てて身体を百八十度捻って走り出す尊琴、台車の側面を掴み踏ん張る赦免花。


「なんで逃げようとするの!」


「に、にに、逃げようだなんて人聞きの悪い。僕は在庫を取りに一度研究室に帰るだけで、」


「ぱんっぱんに詰まってるじゃない台車!」


 卓越した魔法の技術を持つ二人だが決して体力のある方ではない。全力の押し引きに息を荒らして、

無益だと合理的判断によって双方手を止めた。


「少し話をしましょう」


「……まあ、その、立ち話もなんだ。そこに入ろう」


 指差す先は和菓子店。



 店先の長椅子に並んで座っている。


 生菓子とお茶。


 盆に乗る菓子を挟んで、赦免花は湯呑に揺れる波紋をじっと眺めていた。


「息災だったか」


「そこそこよ。あなたはどうなの」


「僕もだ」


「……なんで本なんて売ってたの?」


「あれは全部前編なんだ。後編を古本市で売って、売り上げを伸ばそうと思って」


「意外と努力してるのね。六碌亭はそんなことしなくても売れるでしょうに」


「いや、」


 言葉を飲み込み、押し黙る。


 春風は未だ肌寒い。何度か息を吹いて抹茶をすする。甘さの控えめな味、どら焼きをかじり口の中でバランスを取る。


 飲み込んで、


「なんで嫌がらせしたの。私はずっと信じていたのに」


「赦免花、僕は、」


「答えてよ」


「……本意ではなかった、だが計画の為にこうするしかなかった。とてもすまないことをしたと思っている。六碌亭が赦免花にしたことはいくら謝ったところで許されない、だが謝罪をさせてくれ。本当に申し訳ない」


「普通に謝ってよ。そんな言い方じゃなくて」


「ごめんなさい」


 粒あんのどら焼きを食べ終わり、こしあんにも手を伸ばす。抹茶はもう半分しかない。


 尊琴は空になった盆を撫でて、ちっとも減っていない茶で口を湿らせた。


「じいちゃんが――武尊が全部悪いのね。あなたは使いっ走りってだけで。良かった、私てっきりあなたが黒幕なのかと」


「望碌亭尊琴。それが僕の新しい名前だ」


 湯呑を盆に戻す。立ち上がって、赦免花を見下ろした。


「僕は師匠と同じ野望を抱く者。協力者であり、対等な関係だとも」


「なによ、それ」


 震えた声。


「本当は止められたのに、あなたは計画を選んだの?」


 すがるように伸ばした手。彼女は届かぬよう一歩退いた。


「もう少しだけ待っててくれ。あと少しの辛抱で六碌亭に戻れるから」


 台車を押して和菓子店から離れていく。遅い歩みだったが追いかけることはしなかった。


 熱い抹茶を一気に飲み干し、目尻に浮かぶ水滴を強く拭う。


「絶対勝ってやる」


 腹の底から吐き出した言葉はとても力強い。




「よう赦免花。怖い顔してどうした、嫌いな奴にでも会ったのか」


「まさか見てたの?」


「どういう意味だよ」


 「だったら良いのだけど」少し後ろめたそうな言葉には隠し事が匂う。だがまあ、わざわざ詮索することでもあるまい。


「背中の旗、取れたのね」


「異端審問官がすぐに来て取ってくれたよ。そういう魔道具なんだとさ、良いこと聞いたよ」


「良いことって。どうせろくでもないことに使うんでしょう」


「なんだと!?」


「裏ワザ思いついたのよね。すぐに茶会に戻って話さないと」


「あ、ああ」


 焦りとは違う、赦免花の瞬発力の良さにたじろぐ。吹っ切れているというか、早く事を進めたくてしょうがないというか。


 和菓子店かあ。長椅子を通り過ぎて店内の商品を適当に選び始める。


「赦免花もなんか選べ」


「なんで?……あっルールか」


「あんま高いのは駄目だぞ。一個だけ、三百円以内にしろ」


「遠足みたいね」


 金髪を綿毛のように跳ねさせカウンター下のディスプレイにかじりつく。「これがいい」指差したのは生クリームたっぷりでイチゴの入ったどら焼き。値段は手頃で問題ない。


「和菓子かどうか怪しいなこれ……こんな変わり種でいいのか?」


「これがいいの。さっきは選ばせてくれなかったし」


「さっき?」


「なんでもない、さっさと会計して」


 茶会で待機している連中の数も適当に確保し、ケーキボックスに詰めてもらう。


 執拗に箱を持ちたがる赦免花から和菓子を守るのが大変だった。


「敬太郎」


「お前絶対落とすから渡さないぞ」


「違うわよ。あーあ、いじわるするから言う気なくなっちゃった」


「別にいいけど。さっきからおかしいぞ、なんか変なもんでも食ったんじゃないたっ!?いだだだだだだ、手を噛むな!魔法使いとしての尊厳を失うな!!」

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