三冊目 六碌亭の偽王国

第二十六話 ヤタガラス

 私と御御師匠の出会いは小雨降る明け方であった。


 人間たちが戦争に熱狂し、戦火に乗じて魔法使いたちの争いも激化していく。


 同郷の許と共に私は阿部空に疎開した。


 『人の目からは田舎だが、そこは魔法使いの聖地である』そういう噂を耳にし、逃げるように汽車に飛び乗った。


 当時の情勢に耐えかね、藁にも縋る思いだった。大人や友人、大勢に魔法使いの噂を話したが、信じてくれたのは許ただ一人であった。



 分厚い雲が爆弾も戦闘機も隠して荒れ地を潤す。


 新緑を伝う雫が袖を濡らし山道をひたすら歩き、背に気配を感じながらも不安で何度も振り返る。しつこいせいでうんざりした顔の許が見える度ほっとした。


 汽車に揺られて一日。歩いて半日。


 辿り着いてから知る。阿部空という地名は山だらけの田舎とも呼べない無人の地域一帯を指してると。


 噂は噂に過ぎず魔法使いなんていないのではないか。帰りの汽車賃など持っていようはずもない。友人をこんな法螺話に巻き込んでしまった。


 もくもくと紫煙の如く不安が募り、「そんなはずは」ふと見つけた手入れの行き届く山道を咄嗟に登り始め、先述に至る。


 道を塞ぐように伸びる枝を折って捨てて先に進み――立ち止まる。


 気配がしない。振り返ると許の姿がないのだ。焦りと共に納得がこみ上げる。


 付き合いきれず帰ったのではないか。


 つまり、帰るあてがあるから帰ったのではないか。


 したがって、心配は無用だろう。


 現実逃避が入り混じる非道な思考に溜息をついて、それでも歩いた。


 あんなに綺麗だった道は木の葉や泥や蜘蛛の巣で汚れていた、まるで別世界に迷い込んだみたいに。



 山頂には神社があった。境内は散らかりっぱなし、本殿も屋根瓦が割れ落ち、柱は朽ちて、狛犬は砕け、到底神様がおわす場所には見えない。


 崩れかけの屋根の下に座り一息つく。ぐるりと囲う緑はここが魔法使いの聖地ではないことを告げており、無駄骨だったとうすら理解した。


 天を仰ぎ、曇天の雲間に人影が。


 私はとうとう気がふれたのかと思った。


 身長はあろう大きな棒切れを振りかざし、先端を向け、数刻後、太陽のような火球が出現する。


 人知を超えた御業「魔法使いだ!」噂は本当だったと歓喜し、一つの問題が浮上する。その火球は私に向かって射出されていたこと。


 高速で接近する魔法は走ったところで逃げられない規模であり、全身に焼き鏝を近づけられていると錯覚するくらい熱かった。


 それは聞きし遠方の爆撃を想起させる。全く別の技術の、しかし理屈は一つも変わらない戦争の魔の手。


 魔法使いはかわいそうな人間を助けてくれる正義の味方ではない。


 歯をがちがちと震えさせて手を合わせた。


 誰に祈るでもなく、誰を信ずるでもなく、どうか痛みなく死ねるようにと――ごうごうと燃ゆる炎は耳元で火の粉を散らし、神社をすっかり飲み込み、大きな火柱を立てた。


 私をすり抜けて。


「小僧。名は」


 目の前に女性が立っている。大きな火球は彼女が指を鳴らすと霧散する。


 地面につくほど長い白髪、絹の如く白く美しい肌を漆黒のドレスで隠す。黒の似合う女性は凛とした表情をして、口だけは飄々とにやついている。まるで烏のような御方。


「い、稲荷敬太郎と申します!魔法使い様の弟子にしていただきたく参上しました!」


 女性は「弟子とな」片手間に雷鳴や氷晶の攻撃をはじき、宙に浮かぶ魔法使いを何か魔法をもって地に落とす。くつくつ笑い、私の横を過ぎた。


「よい。今後御御亭を名乗ることを許す。来い、我が一番弟子よ」


 後に彼女は没落し、今の有様に陥る。


 私はあんなに格好いい師匠が邪険にされていることがどうしても許せないのだ。時代が変われど、魔法使いが変われど、『御御亭御御此処に在り』と君臨する彼女が見たい。魔法史の生ける伝説が復活するところがどうしても!


 解道に固執していてはいけないのだ。そんな時代遅れな魔法をいつまでも研究したって誰も認めてくれないというのに。


 最早私の言葉すら師匠には響かないのだろうか。

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