第二十四話 グル

 焼肉とは鏡である。


 一枚の網に並べられる肉は常に奪い奪われる環境にあり、三大欲求が一つを刺激されながらも「自分が食べたいものが食べられないかもしれない」ストレスを抱える。


 普段は潜めた闘争本能を露わにするそれはまさしく鏡。友情とは、愛情とは、焼いた肉の前ではいとも容易く崩れ去る。


 最初は両者攻撃に特化した。即ち『育てるのをやめ、奪うことに専念する』ということ。


 網の上に肉を並べなければ奪われることもあるまい。空になった網を箸を構え見つめること数分、店員の勘違いで網交換されてこの局面は終了する。


 次第に肉を焼き始め、和やかに雑談を楽しみ、時折野菜や魚介を注文するようになる。


 戦争自体終結したかに見えるがその実、密かな攻防が続いている。言わば冷戦状態。


 『子育てに専念しつつも、隙を見て少数の肉を奪う』防御特化スタイルに戦いは変質した。これではいかに隙を見せないか、いかに主導権を得られるかが問われる。


「学校の問題は一応解決したとして、六碌亭との関係はどうするつもりなんだい?手伝えることがあればいくらでも手を貸すけれど」


「……私のことを悪く言ってる学校の連中とは違って、六碌亭のみんなは家族同然だったから忘れるとか切り捨てるって考えはないわ。私が裏切ったと思われているなら誤解をといて仲直りしたい。ずっと難しい問題なのでしょうけど」


「御御亭を抜けるつもりはないのか?また六碌亭に入り直せば話が早い」


「まるで私が考えなしにころころ亭号を変える節操なしみたいじゃない、もう腹くくってる……ねえ、なんとか尊琴と話できない?仲良いんでしょう?」


 ふと昼間の尊琴の姿が脳裏によぎる。


 あいつは『心苦しい』『もう少しの辛抱』と赦免花を慮ったような言葉遣いをした。自分のことを赦免花には言うな、なんて実に怪しい。


 まるで企てた計画外のことをしているから見逃してくれ、と言っているようではないか。


 彼女の嫌がることは喜んで行いたい所存だが、赦免花に告げ口するとさらに話がこじれそうだ。


「誰があんな野良猫と!というか赦免花から電話なりすれば良いだろう。もしかして繋がらないのか?」


 赦免花は首肯する。加えて、六碌亭関係者の誰とも連絡が取れないと言う。


 「手が込んでるねえ」「ふざけないでよ」赦免花が溜息をついた刹那、網の中の肉を数枚皿に乗せた。うち一枚は彼女の育てたハラミである。


 真剣に彼女のことで思い悩んでいるのは事実だが、このテーブルが今もなお戦火が絶えないのも事実なのだ。


 箸からトングに持ち替えたとき、赦免花はしまったという顔をした。あるべき場所にあるべきものがないという表情。既にハラミは我が腹中、いくら責めても証拠がない。


「あなたこそ問題を抱えている癖に」


「問題?」


「異端審問会から指名手配中でしょう。どうするのよ捕まったら」


「そういえば、奴ら保健室で追っかけてきたきり会わないな。あんまり影が薄いから忘れていたよ」


「吞気が過ぎる。連中に捕まったら魔女裁判にかけられて、あるかどうかも分からない罪状で死刑にされるんでしょう」


「おや、箱入り娘と言えどそれくらいは知っているか」


「よく言われたわ。ルールを破るとこわーい異端審問官が連れ去りに来るって……ずっと迷信だと思っていたけど」


「迷信みたいなものだよ。彼らに捕まって本当に処刑された魔法使いは本当に稀で百年に一人いるかどうか。毎年何人かは指名手配されているけどね」


 大抵は異端審問官たちが飽きるか、追われる魔法使いの方が上手かで魔女狩りはほとんど上手くいかない。


 ジョッキを傾け残りのビールを視認し飲み干す。


 歓喜の唸り声を低く上げて、私は卓上を眺める。


 赦免花は私に奪われた焦りから全て引き上げてしまい、薄く燃ゆる炎の上には何も残っていなかった。網半分に適当な肉を置いて席を立つ。


「トイレ行ってくるよ」片面焼けるまでの猶予があるから取られようもない。


「敵前逃亡していいのかしら」


「勝手に取ったらこわーい異端審問官が来るよ」


 赦免花は鼻を鳴らし、皿に残る少し冷めた肉を食べ始める。

 


 店員にトイレの場所を聞いて用を足す。


 スーツの軍団や垢抜けた集団の話し声が遠ざかり、トイレの中はやけに静かだった。あまりに静かだったから私の溜息が大きく聞こえる。


 六碌亭との関係は常に目の上のたんこぶだったが、赦免花の入門は関係の悪化を遠回りに招いた。彼女と六碌亭の和解は間接的にこじれた仲をほぐすこととなるだろう。


 即ち、彼女への協力は御御亭復興の助けとなる。


 私の野望を果たすべく、打算的に彼女を助けてやることにしよう。決して彼女の為だとかチンケな理由ではなく、魔法使いらしく利用できるものは全て利用するために!


「誰に言い訳してるんだろう」


 虚しくなって個室から出ると、そこには師匠がいた。長い白髪を床に付け、いつもの瀟洒なドレスを身に纏う浮世離れした絶世の美女。


 何か気の利いたことを言おうと――彼女は最初からこちらを見ていた。一時間から二時間遅れてくるはずだから来る時間は間違いない。けれど来たばかりの師匠が体をトイレに向けてじっと見ているだなんてありえるか。


 絶世の美女がチェーン焼肉屋にいるというのに誰一人彼女に見向きもしない。


「誰だお前」


 眩暈と共に意識が朦朧とする。催眠魔法の類と覚えて、床を強く踏み、きつけの隙に魔法を解道する。


「七座の師匠になりすます意味分かってんだよな!」


 「分かっているとも。徒労の井守よ」その声は背後から。自分の影に不気味な感触がした刹那、四肢を黒く枝分かれした影に縛られる。


「っ……!」


 頭痛が激しくなり、目の前の師匠の姿が何重にも見える。催眠が強くなっているのだ。


 「よくやったベータ。下がれ」尊琴の声で師匠の姿はどろどろと融けて黒光りする鎧が現れた。鎧は床の影に混じって消えてゆく。


「異端審問官……まさか、グルだったのかよ」


「今宵、貴公は魔女裁判にかけられ処刑されるだろう。だが案ずるな、全て上手くいく、貴公の為でもあるのだよ。今は分からずともいずれ僕に感謝するはずだ」


「ふざ、けるなよ……クソ……許さねえ…………」


 絶え絶えの息で言葉を散らし、私は意識を手放した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る