第十八話 下世話な師匠ー①
私たちは食堂を出て、一階ロビーの受付へ向かった。
公的な書類が必要だったのではなく、窓口と窓口の間をすり抜けて事務所の中に。
適当な職員を捕まえ、『今から仕事できるか』と『新入りにも仕事をさせてよいか』を聞き快諾された。御御亭のニューフェイス誕生にひとしきり祝福を受けた後、ずらりと並ぶ受付の空いている席に座った。
「業務内容は窓口業務。私たちの十六番窓口は魔法学校奨学金申請書類の発行、受け取りだ。でもこの時期に申請しに来る客はほとんどいない、大抵『これこれの窓口はどこか』と聞いてくる。このマニュアルと窓口早見表を見ておけば問題ない」
卓上の二冊を手渡すと、黙読を始める。とくに会話なく淡々と客を捌いた。例によって道案内で三十分が過ぎる。赦免花はとうとうページをめくる手を止め、目線を上げる。読み終わったらしい。
「説明を忘れていたが暇潰しにクレームを入れる連中もしばしば現れる。最初は面倒に思うだろうが、慣れると好機に思えてくる。何せかなり時間が潰せるからな」
事務所の方から私を呼ぶ声「なんでしょう」聞けば暇潰しにクレーム入れる者が現れたらしい。代わってくれ、と。面倒事を押し付けるなと渋々椅子を引き、
「責任者を呼べ!なぜ吾輩がゼイとかいう人間の猿真似で徴収されねばならんのだ!!」
「すまない、急務が入ったのでしばし一人で頑張ってくれ」
聞きなれた我儘のする窓口まで走り、やはり見覚えのある女性が駄々をこねていたので飛び掛かった。
くんずほぐれつの大立ち回り。
十分以上言い争っただろうか。
「食堂のアイスが食べたい」と急に言い出し、好きにしたらよいと突き放したら「金がない」と宣うのでそっと五百円握らせて帰らせた。
流石御御亭の保護者、とぽつぽつと拍手が鳴り、少し遠くの師匠は自慢げだった。お前のことじゃない。
「やっと終わった、赦免花のとこにクレーマーは来なかった?大丈夫?そう良かった」
何も言わない。何も言わないということは特筆することは起きなかったということだろう。
しかし二百円のアイスすら買えないとは。
あの本作るために身銭を切った可能性も出てきたな、もしかしておこづかいをあげないといけないのだろうか。弟子が?師匠に?笑えない冗談だ。
赦免花は立ち上がり、靴を脱いで、パイプ椅子に登った。息を吸い込み、周りを見て、少し顔を赤くしてから座し直す。
「これのどこが修行なのかしらっ!!」
「流石に叫ぶのはためらったのか」
そんなことはどうでもいいと地団駄を三回。
「私は魔法が上手く使えるようになりたいの!お役所仕事で何が鍛えられるっていうの!いい加減にして!」
「赦免花の分のバイト代も出る、安心していい」
「そんなこと気にしてない!人手不足なら他で解消してちょうだい!!」
不機嫌に頬を膨らませ、あと一言あれば帰ってしまいそうな勢いである。少々からかい過ぎたか。
シフトの時間が近かったこともあるが、ここでのアルバイトが赦免花の足りない部分を埋めてくれると期待した部分もある。
認めるも見返すも良好な人間関係の上で成り立ってこそ、と気付いてくれると良いのだが。
「失礼。魔法毒草使用許可はいずこか」
アクリル板の向こう側に大男が座った。黒塗りのスーツにサングラスとマスク、鬼を想起させる体躯と容姿。一目で唐紙扉戸組長、信のすけ師匠だと察する。
『師匠自ら来ずともいちの信に任せれば良いでしょうに』そう言おうとするも呂律が回らない。これが魔法の効果であると見抜くと、サングラスの奥の瞳が申し訳なさそうに細める。
一拍置いて「十番窓口です」と赦免花が答える。
「ありがとう。おや君は六碌亭の御令嬢ではないか。おやおや隣の君は御御亭の弟子ではないか。六碌亭と御御亭は犬猿の仲だろう。いかように仲睦まじくなったのかね」
「はあ、どこかでお会いしまして?」
「一方的に知っただけよ。お二人は有名人ゆえ」
有名人と言われて嬉しくなったのか、声の調子が上がる。
「御御亭に入ったのです。おかげさまで六碌亭には居場所がなくなりましたけど」
「なに御御亭に!そうかそうかお二人の気持ちはまことなのだな。様々な試練が待ち受けることだろう、しかしお二人ならば必ずや乗り越えられるはず。この信のす、ではなく一介の老木、新たなる門出を祝福しよう」
「大仰ではありませんか?もう既に大変な目には遭ってますけど」
「あとはお若い二人に任せるとしよう。よきかなよきかな」
信のすけ師匠は「よきかなよきかな」と呟きながら離れた。けれど向かったのは十番窓口ではなく、ソファや自動販売機の置かれた談話スペースである。
「なにあの客。あれもクレーマー?」
「……いやただの下世話だ」
「下世話」
古めかしい口封じの魔法の解道をやっとのことで済ませる。彼は酷い勘違いをしていたみたいだが赦免花は欠片も気付いていない。
言わぬが花か、これ以上心労を増やしても可哀想だ。
談話スペースから別のご老体が尋ねてきた。ヒッピーな色のスカーフで口元を隠すが、曲がり切った背中と襤褸切れを纏う様子は浦々館長、愛蔵師匠に違いない。
「………………………………………………………………」
老人は一言も発さず、赦免花も困り顔で応対を決めかねている。襤褸切れの下から握りこぶし程の大きさのがま口を取り出し、中から飴を二つつまむ。個包装のべっ甲飴。
仕切りのアクリル板下部から、私と赦免花は一つずつ受け取った。
顔を見合わせ、ひとまず口の中に入れる。優しい甘さと舌触りの良さから上物だと分かる。が、それでも困惑が勝った。何故七座の師匠が二人立て続けに来たのだろう。
二度深く頷くと愛蔵師匠は杖をつき、やはり談話スペースへ消えていく。
「クレーマーって思ったより種類があるのね。てっきり罵倒暴言ばかりと」
「あれはレアケースだ。ちなみに先のご老人が誰か知ってるか」
「知らない。知らないとまずい人?」
再三常識が備わっていないと注意したせいかどこか不安げである。
「最初来た方が七座唐紙扉戸組長。その次来た方が七座浦々館長」
「とってもまずそう」
「御御亭にいれば嫌でもよく会う方々だ。そのうち自然と覚えるよ」
「へえ。ちょっと!どこ行くの!」
「少し十番窓口にね、休憩してていいから」
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