第十五話 妹弟子

 六碌亭と言えば国内最大の一門であり、一端は魔法学校運営をしていることに起因する。


 つまり彼女は校長の孫。権力者の親族を特別扱いするなという方が難しい。


 並の魔法使いならば、虎の威を借りる狐の如くその特権を振りかざそうと悪巧みするものだが、流石は名家の令嬢、騎士道精神もどきを心得ているようだ。むしろ無用の我を通そうとしているのだからより魔法使いらしいとも言える。


「何事も捉え方次第か……」


「私がいるのに独り言とは良い度胸じゃない。拗ねちゃおうかしら」


 現実逃避もつかの間、手厳しい一言で大きな扉に目が引き寄せられる。


 木目美しい重厚な両開き扉が進路を塞いでいた。黒塗り白文字の室名札には『校長室』とある。


「敬太郎の不安は『私が御御亭に入ることで衝突があるのではないか』そんなところでしょう。杞憂だったって分からせてあげる」


「やめよう。これマジでやめとこう。武尊師匠と会ったら本当に殺される。いやマジで」


「私のじいちゃんを殺人鬼みたいに。あんなの優しい切株よ」


「赦免花に見せる顔は優しい切株でも、目の敵相手なら斧持った殺人鬼になるんだよ。大体物事には順序がある、まずは」


「じいちゃーん入るよー」


「おまっ……こ、はあ……」


 首を項垂れた。最早選択肢はあるまい。いつでも逃げられるよう魔法を頭に思い描きながら、大きな扉の枠をくぐった。


 戸棚がいくつか、ソファがいくつか、机がいくつか。よく見る校長室の造りに似ている。


 回転椅子にふかふか腰を掛ける恰幅の良い男。彼は真っ白な牧師服で髭と頭髪の境目なくぐるりと顔を囲う。金髪故に獅子の如く、青い流し目は品定めするよう。


 まるで皿の上に乗せられているような緊張感が喉を乾かせる。何も言っていないのに命乞いをしたくなってきた。これのどこが切株なんだ!


「赦免花か」


 しわがれた声は私を見るなり立ち上がった。「そちらの御仁は」牙を隠した猛獣の言葉にすぐに片膝をつき、


「参りましたるは七座は大魔法使い初代御御亭御御の一番弟子、魔法使い御御亭敬太郎にございます」


「私の兄弟子だよ」


「赦免花さん?」


「御御亭に入ろうと思ってるの。構わないわよね?」


「赦免花さん……?」


 すうっと血の気が引いていくの全身から感じた。


 助走無き余命宣告。すぐにでも逃げられる魔法を頭の中で練る。


 金獅子は驚いた様子もなく指通りの良い髭を撫でている。


「もうそんな世か」


 皺だらけの肌を折り畳み、笑みを作る。その口に牙は見えない。


「大昔の争いなんぞ若い衆共が気にせんでよい。六碌亭の魔法使いが御御亭に入門することに何の不都合があろう。そういう時代なのだ。お前は好きに生きれば良い」


「ありがとじいちゃん。あとお前じゃなくて赦免花ね」


 慈愛に満ちた視線を赦免花にくべて、次は私に。


「うちのじゃじゃ馬が迷惑かける。どうか面倒見てやってくれ」


「ははあ。しかと承りました」


「しかし御御亭とな。御御さんは息災か」


「え、ええ心身ともに健康ですよ。年甲斐なく我儘の毎日です」


「かっかっかっ、実に彼女らしい。よろしく伝えておいてくれ、今度儂も挨拶に向かう」


「この敬太郎、仔細承知しました」

 



 閉じた扉を背に、肺に詰めた空気を全て抜く。


「死ぬかと思った」


「ね?大丈夫だったでしょう?」


 いたずらっぽく笑う赦免花、その気迫のなさは本当に金獅子の孫なのか疑いたくなる。


「一応納得した。また因縁吹っ掛けられたらそのときに考えることにする」


「その意気!いざとなったら私がぶっ飛ばしてあげるわ!」


「なんて頼もしい妹弟子なんだ!」


「ふふん」


「おとりにちょうどいいな」


「最低ね」


 新品のローファで爪先をげしげし蹴られながら話す。


「次はうちの師匠に挨拶だな。私は入門届を受理できないし」




 表の世界の時計塔。空を飛行し、止まったままの文字盤に近づく。


 いつもは一人で帰る研究室だが隣には浮遊する妹弟子こと赦免花がいる。妹弟子、ああなんて甘美な響き!


 何度この光景に憧れ、妄想し、頭の中で後輩弟子を思い描いたことか。『先輩、この魔導書難しいから教えてください』とか『先輩、この魔法ちゃんと発動できてるか見てください』とか言われてみたかった。言われてみた過ぎて、危うく後輩を魔法で錬成しかけたこともある。


「敬太郎、飛行魔法変だよね。発動が遅いし、飛行というか空中散歩だし」


「いやいいんだ。妹弟子ができただけで十分。理想と現実は違う。結局こんなもんだって茶会の奴らも言ってただろ。落ち着け私」


「こっわ」


「喧嘩なら買うぞ!」


 魔法変じゃないし。魔道を何一つ教わってないから独学なだけだし。悪いのは師匠だし。


 気を取り直して、文字盤をノックする。


「御御亭敬太郎、只今戻りました」


「うーん?いつもノックなんかしてないだろう……ふわあ、ははーんさては欲しい魔導書があるんだな。もう忘れたのか、御御亭は原初の本Ⅱの大量発行で資金不足……」


 午睡をお楽しみになられていたらしくぼさぼさの髪で文字盤を押す御御師匠。


 幼獅子の金髪に陽光差し、作る笑顔はたんぽぽのような赦免花。


「お初にお目にかかります。六碌赦免花、御御亭に入門させていただきたく参上いたしました」


「ちょっと敬太郎」


「はいはい」


 寄ると息のかかる距離まで引っ張られる。赦免花には聞こえぬよう声を潜めていた。


「なに!?どういうこと!?」


「ですから弟子になりたいと」


「いや絶対嘘でしょ!!さっきあの子六碌って言ったよ!?六碌亭の差し金だぞ絶対!!」


「ですが入門届がここに。武尊師匠にも許可は頂きました、近々伺うともおっしゃられていました」


「えっ。で、でもスパイの可能性が消えたわけじゃ」


「師匠」


「なんだ」


「うちにスパイするほどの極秘情報は存在しません」


 師匠は私を突き放し、文字盤を閉じてしまう。再び開いたかと思えば髪を整え、荘厳な気配を放つ、かくも師匠らしき人はいないと思えるような女性が現れた。


「何用か」


「師匠に紹介したい方がおりまして」


 目で赦免花に合図を送ると「さっき名乗ったんだけど」と言いたげな表情をしていた。「面倒だろうがもう一度頼む」と合図を再び送ると、作り笑いを浮かべてくれた。


「お初にお目にかかります。六碌赦免花、御御亭に入門させていただきたく参上いたしました」


「我が御御亭は解道を追求せんとする一門である。吾輩は解道の王である、王道こそ解道、即ち吾輩は解道なのだ。貴様、解道たる吾輩に身を賭す覚悟はあるか」


「いえ解道にはあんまり興味ないです」


「なっ!?なんだと貴様!解道なくして魔法はない!!出直せ馬鹿者!!」


 師匠は入門届を奪い、文字盤を勢いよく閉めた。


「入門を認めるって」


「どう汲み取れば許可になるのかしら」


「そのうち慣れるさ。これから御御亭赦免花だな」


 文字盤の裏に透析魔法の気配を感じつつ、名誉の為口にはしない。


「ふっふっふっ。先輩に聞きたいことがあれば何でも聞いていいからね!なんだったら今から入門祝賀会を開いたっていいよ!」


「帰ります」


「か、帰る?」


「私が御御亭に入ったのは亭号の為ですもの。好評に悪評を乗せてフラットにするのが目的であって、あなた方たちに興味があった訳ではないと。何度か言ったでしょう」


 あの言葉はそういう……。


「ですから、ありがとうございました。さようなら。たまに会うこともあるでしょうけど」


 育ちの良さを伺わせる雅な一例。


 六碌に生まれた御御亭の新人は見事な飛行魔法で、綿毛のように時計塔の空を後にした。


 弟子が増えた胸の高鳴りはすっかり冷めて、今までと何も変わってないのに物悲しくて、私はひとしきり空を歩いてから帰った。

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