第十話 原初の本ー②

 ブレスは私に向いている。闘技場の直径分は離れているのに常夏のような暑さが肌を纏い、無遠慮に汗が噴き出す。


 放射状に広がる火炎が届くまで数瞬――悲鳴が上がった。竜のブレス攻撃が直撃したからだ。そして動揺が走った。私がまだ生きているからだ。


 胴から下を狙った攻撃。何もしなければ今頃苦悶の表情を浮かべるのもつかの間、焼け焦げこと切れていることだろう。なのに身体が灰になるばかりか、ローブやマイクでさえ燃えていない。


 炎は色によって温度が違う。青色は文字通り最高火力である。


「解道に必要なのは魔法に関する知識とひらめきだけです」


 勢いの増す青炎は竜に歩み寄る私の行く手を阻む。熱くはないが圧はある。激流のぬるま湯に浸かっているようなもの、単純に勢いで負けてしまう。


 現在解道できているのは、炎を生み出す魔法『燃え盛れ』と火力を上げる魔法『燃え狂え』。竜を召喚する魔法『君臨せよ』を解かなければ勝ち目はない。


「あの色男本気で来てないか?」


 とにかく竜を観察して糸口を見つけないと。


「『暴れよ』」


 横薙ぎのかぎ爪攻撃を見逃さなかった。

 彼の言葉も聞き逃さなかった。


 『暴れよ』はあの竜の操作魔法の一つであるはず。こんなデカブツに逐一詳細な操作魔法を送っていてはキリがない、つまりこの動きは予め入力されたセットプレイ。優先度の高い操作魔法を再入力すれば動きは止まる!


「『疾く停止せよ』」


 腕と咆哮はぴたりと止まり、ぬるま湯からようやく脱出することができた。発声起動が合っていて良かった。


「謎解きを常に強いられてるようなものです。術式を解読し、逆算し、強制解除の手がかりを掴む。こう聞くとえらく大変なような気がするでしょう。察しが良いですね、かなり大変です」


 そろそろ締めに入りたいんだけど。壁面に張り付いたまま運営の黒子は手首をしきりに指差している。


 錆びついた螺子を回すように私と黒子は青炎竜の奥、正之へ視線を向けた。海の底のような眼は青い火を灯し興奮に揺れている。


「おーい……!そろそろ時間なんだと……!!潮時だとは思わんかね……!?」


 マイクを手で包み、他には聞こえぬよう潜めた声で呼びかけると、


「思わない」


 思わないそうだ。


 勝敗を付けず、決闘を中途半端に終わらせるのが嫌なのだろう。最早御御亭の紹介の為の試合であることは頭にない。


 こいつはなんというか全体的に子供っぽい、それに比べて私の紳士的対応はどうか。この上なくダンディーで思いやりに溢れているではないか。


 私のような優良物件を放置し、出ると噂の事故物件が大人気なんて理解し難い。


 やはりあれか完璧過ぎるより少し茶目っ気があった方が良いというやつか。それならこちらも茶目っ気十分である。事故物件のような一門の一番弟子など茶目っ気の塊ではないか。


 なのに!それなのに!!


 あれ。


 なんかムカついてきた。


「やろうよ敬太郎。それとも負けイベは嫌い?」


 負けイベ――ゲーム内においてストーリー進行の都合上、何があっても敗北するイベントのこと。

 彼は『私は間違いなく負けるだろう』と余裕綽々に言ってのけたのだ。大人の対応をしていたことを気付きもせず、子供っぽい言葉で自分の都合に合わせようとしている。


 下手くそな笑顔に流暢な煽り。

 頭の中で何かが弾けた。


「やってやろうじゃねえかよこのやろおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」


 ぐに。


 頭上四点におおよそ人体に加えてはならない重量を感じる。うち二点はアイスピックのように鋭く、アイスピックを押し付けられるように痛い。


 叫んだ途端に感じた重み。舌を噛みそうに、痛みに耐えきれず頭を垂れた。

 せっかくの盛り上がりを台無しにしやがって。

 一体頭の上で何が起こっているのか見ないとやりきれない。


「それ以上視線を上げたら殺すぞ我が愚弟子」


 視線の端で黒く瀟洒なレースが揺れていた。ならこの痛みはそうかピンヒール。鋭い踵をぐりぐりと動かされ脳天の一点が異様に熱くなる。


 ドレスの裾を持ち上げ、年齢を一切感じさせない陶器のような生足を好きに動かし、私の反応を楽しむ彼女の姿が容易に想像できる。どうせいやらしい笑みでも浮かべているのだ。


「私の頭は地面ではないことをご存じですか師匠」


「ほほう召喚獣か。ブルーファイアドラゴンだったか、ファイアブルードラゴンだったか……見事なものよ、これほど完成度の高く大きな獣は実戦でそうそう見かけぬからな」


 老人特有の都合の悪い言葉は聞こえない耳で無視。目を丸くしていた正之は自信ありげに「最古の魔法使いと言えど、現代の魔法には敵わないよ」とおちょくる。


 彼は人を舐めてかかる性質でない、だから本心ではない。最早戦えるなら誰だってよい暴走機関車だ。


「勘違いするな坊主」

「『蹂躙せよ』」


 竜は咆哮し、青い炎を纏わせた両のかぎ爪を私の頭上、師匠に向けて振るう。


「魔法使いを殺さない魔道は『使えない』から実戦で見ないということよ」


 しかしその双腕は彼女をすり抜けるばかりか、触れた爪先からサイコロ状に崩壊した。汚染が侵食するように崩壊は全身に。地面に落ちた竜の身体だったものはグリッチノイズを吐き、半透明のホログラムとなっては消失する。残った風圧が長い白髪をゆすり、私の首筋をくすぐった。


 数秒立たず竜は消えた――否、解道された。

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