第七話 決闘再びー②
黒猫のように音もなく忍び寄ってきた尊琴に私は泣き叫んだ。ありったけの罵倒に月の色をした猫目が泳いでいる。
「なっ!?第一声が罵倒とは貴公はやはり野蛮だな」
「お前も私のことウシガエルって言っただろ!?脳みそまで偶蹄目になったのかよ!!」
背には新入生をぞろぞろ引き連れ、中には先の女子生徒二人も見える。
「確かに尊琴様から始まったよな」「二回罵倒されて、尊琴様が一回だからあと一言は許されるでしょ」取り巻きとは思えないフェアな意見が飛び交う。ざわめきの中尊琴はひくひくと耳を動かし、表情は強張る。
「今年の新入生は粒揃いみたいだな」
「う、うむ。六碌亭は豊作だ。して御御亭はどうかな」
「ぐ」
うちに入門したいと話してくれた新入生はゼロ。察したのか、尊琴は好機と露骨に目の色を変えた。昼夜で瞳孔の大きさが違う猫のように。
「入門届はいくつ集まったのかな。十枚か二十枚か、いくら落ちこぼれと言えど七座なのだからそのくらい集まっているだろう。僕も選考が大変だよ。何せ百は下らないからね、百は」
「そりゃすごい。大魔法使いはただでさえ忙しいのにそんないとまがあるのか?どうせなら暇な私が手伝ってやろうか」
「聞き間違いなら申し訳ないが、貴公も暇はないはずだが。なにせこれから御御亭志望者の選考をするのだからね…………まさかと思うがゼロ名、なんてないよねえ?そんなの七座どころか魔法使いの恥さらしだ。貴公の師匠は魔法協会へのゴネ方を研究してるそうじゃないか、まあそれを考えれば当然の結果だがね。うん当然だ」
大昔に買ったローブから杖を抜き、尊琴に刺すよう向ける。
「言わなかったか?俺や師匠への悪口は許すが、御御亭への入門者を減らすようなことはするなって」
「一度も聞いてないよそんな忠告!?」
決闘だ決闘だ。
口々にどちらが勝つのか予想し合い、好奇の目を向ける。一歩か二歩退く取り巻き。自然と集まった新入生たちは私と尊琴を囲み、ストリートなリングができ上がった。
猫背から伸びる細長い腕は外套の内を探り、一本の杖を取り出す。いつぞやに折ったものと同じブランドの高級品。
「殊勝だな。前はあんなにこっぴどく負けたのにっ」
言い終わると同時に腹痛魔法をかける。前回は遅効性にしたが今回は無駄を省いた即効性。お前は尊琴様と慕ってくれる新入生たちの前でお腹が痛くて負けるのだ!
「ぐふう」
勝負あった。長身を折り畳み腹を押さえる彼の姿に勝利を確信する。腹からは人体から聞こえてはいけない音が再び聞こえてくる。
不可解と周囲はざわめいた。絶対的防御を誇る、がしかし攻撃力は皆無というのが今までの御御亭。
先制攻撃などはなから考えになかったはず。
余裕過ぎて笑みがこぼれる。杖を折ってしまえとうずくまる彼の近くでしゃがみ、
「『爆ぜよ』!」
「っ!?」
黒い影。とっさに杖を持たない腕で顔を庇う。鈍い痛みが走った。ローブの袖はちりとりと焼け焦げ、中に着るパーカーも貫通して皮膚を薄く焦がす。
尻もちをつき、やっと先の影が何かに気付いた。黒い招き猫だ。レンガの上に黒塗りの木片が散らばって、黒煙を空に伸ばす。
肝が冷えた。
だが依然私が有利なまま。通常サイズの招き猫爆弾など恐れるに足らない、あんなものただの悪足掻き、
「な」
長身の男が平然と私を見下した。有り得ない光景だ、だって私は再起不能の最強魔法を当てたのだから。
「なぜお前がこの魔法を解くことができる!?」
観衆のざわめきは盛り上がりに変わる。まさかのどんでん返しに沸き立ち、ある者は大いに叫び、ある者は大いに笑っている。
「簡単なことだ」
今度はこちらの番と言わんばかりに便意がまるでない彼はほくそ笑む。
「お前の魔導書を読み、解く方法を覚えたのだよ!ご丁寧に解道初心者にも分かりやすい解説付きだったからな!習得に一時間と掛からなかったわ!!」
「なにい!?ご購入ありがとうございます!感想も励みになります!」
熱狂は最高潮に達した。魔法使いにとって自著を読んでくれること以上に嬉しいことはなく、他著を読むこと以上に面倒なことはないのだ。
ある者は羨望の眼差しで私を見、ある者は尊敬のまなざしで尊琴を見る。
「かははは。私は貴公の研究意欲と内容だけは認めているのだ、この程度で励みになるとは片腹痛い」
「なんだと……!?もっと褒めてくれるって言うのか!?帯に推薦文とか書いてくれるって言うのか!?末尾にか、解説も書いてくれるって言うのか!?!?」
「ああ書いてやろう。ただし、六碌亭に入るのならな」
誰もが黙った。
歓声は一つも聞こえない。
この魔法使いは本当に言ってはならないことを言ったのだ。
口調には怒りと同情が含まれる。
「なぜ御御亭に固執する。金も人も理解もない、時代遅れの御御亭をなぜ変えようとする。解道から魔道に切り替えるという合理的判断ができる貴公なら分かっているはずだ、御御亭を捨て他の一門に入る方が余程合理的であると」
彼の発言は軽はずみではない、心からの言葉であると理解できる。
「僕と同等の才能を持つ貴公が未だ大魔法使いになれないのは環境の、御御亭のせいではないか?僕は我慢ならない。貴公のような魔法使いが魔道を踏み外すのは見てられない」
尊琴の言うことはもっともだ。
大魔法使いに早くなりたい気持ちはあるし、今は解道なんかより魔道を研究した方が良いに決まっているとも思っている。
六碌亭への入門が許されれば、変人扱いもされなくなって彼のように私を慕う後輩がたくさんでき、最高の魔法使いライフを送れることだろう。
この一部の隙もない合理的かつ思いやりに溢れた主張を覆すことは、私にはできない。
「私が抜けたら本当に金も人も理解もなくなっちゃうでしょう。それに、師匠がかわいそうだ」
だから感情論で返答するしかない。
「そうか」短く呟いた彼は猫背を更に曲げて項垂れ、勧誘を続ける同門の元に戻っていった。
観衆たちはいたたまれなくなって言葉を失ったままちりじりになる。騒がしい桜並木道にぽっかりと穴が空いたように私の周りは静寂を保つ。
撤収が始まるまで御御亭を訪ねる者は一人としていなかった。
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