第五話 魔法協会
このドアもまた魔法的術式が組み込まれ、魔法使いでなければ入ることができなくなっている。
「いやだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
少しも聞きたくない、聞き覚えのある声の絶叫。僅かに眉をひそめて静かに入室を済ませた。
魔法協会一階は魔法使いたちの生活に必要な書類発光、整理、受取が主な仕事で、各部署部門ごとに細かく窓口が異なる。「魔法協会に行く」となれば書類の提出かクレームである。人間世界で言うと、市役所や町役場あたり。
声を中心にして人だかりが出来ていた。
ボケた老人ならいざ知らず、一応は魔法協会のお偉いさんだ。向ける視線は奇異というより生暖かいし、彼女を囲む魔法使いたちは正座し整列し首を垂れ、怒りが収まるのもただ待っている。
「うわあ」思わず漏れた声に座する一人が振り返り、これぞ再起の一手と目を輝かせた。
「おい……おい……!ちょっと……!」
その一人が師匠が見ていないのを見計らい、這い寄り、私の隣に立つ。
「丁度良かった。もう彼女は俺たちの手には手に負えない、なんとかしてくれ」
「なんとかって、いやだよ私だって。あれは私の師匠だぞ、情けない瞬間に居合わせたとか……ものすごく気まずいじゃないか!」
「貴様の気まずさなんか知るか!かれこれ一時間以上こうだ。そろそろ持ち帰ってもらわないと本格的に実害が出る」
むしろ一時間程度ならあやす余裕があるのか。
リムのない眼鏡から鋭い眼光が覗く。糊の利いたスーツに黒光りする本革靴、いかにも堅物な仕事人という風合いだが大雑把な七三分け、小麦畑のような金色の髪が異質だった。
「頼むよ同郷のよしみだろ稲荷?」
「苗字で呼ぶな。分かった分かったよ、なんとかするから」
名を
盛大に溜息をつけば、背中にやや冷たい視線を感じる。背筋を伸ばし、座する魔法使いたちの合間を縫って歩く。
「弟子が来た」「御御亭の一番弟子だ」魔法使いがざわめき、師匠の拒絶の叫びも徐々に大人しく、四肢のジタバタも収まっていく。
彼女を囲う円形の空白に辿り着くと、腹の上で手を組み、死んだように静かになった。
「ちょいとごめんなさいね。おや師匠こんなところで仰向けになって、お昼寝ですか?」
「んん、ああ、ふわあ、なんだ我が弟子。どうしてここに?おりこうにお留守番しろと言ったはずだが」
「あまりに遅いからお迎えに上がったんですよ。して、師匠はなぜここで午睡をお楽しみになられていたんですか?床は硬いし、冷たいし、何よりこの観衆ではノンレム睡眠できませんよ。ノンノンレムです」
師匠は玉のような脂汗をリノリウムの床に落とし、大根役者振りを遺憾なく発揮し寝起きのフリをしている。
プライドの高さに寄り添うのも弟子の役目だ。
「な、何者かに睡眠魔法をかけられたのだ。そうに違いない……そうに決まっている!な!?貴様らここで見ていたということは犯行の様子も確認しているということだよ、な!?」
鶴の一声、というかサギの一声。焦る師匠の言葉に半円に並ぶ魔法協会職員たちはこれぞ好機ともげんばかりに首を縦に振った。
視界の端では許も全力で首肯している。
「なるほど師匠の偉大な物言いを邪魔するなんてとんでもない奴ですね!今すぐ犯人捜しをしましょう!!現場を押さえて!アリバイを取って!証拠を見つけて!」
「いいや!!その必要はないっ!!」
「何故!愛する師匠が何者かの魔の手によって眠らされていたのですよ!?こんな面白い、じゃないこんな悪辣な状況放っておけますか!!」
「吾輩が必要がないといっているのだ!よ、良いではないか。日本最古より七座に座するこの吾輩を手にかけんとする者がいる、新時代の到来よ。この御御亭御御は新たな世を歓迎する」
「師匠!」
「な、なんだ。不満か……?」
「なんて素晴らしいお考えだ!いっそ御御亭も魔道に踏み入れませんか!?新時代の到来と共に」
「それは無理」
「さいで。では帰りましょう、ここにいては魔法協会の皆様に迷惑がかかります」
「うむ」
師匠は短く言葉を返し、肩を貸せと顎をくって無言の圧をかけてくる。薄ら笑みを浮かべたまま手のひらを向けると柔らかく冷たい師匠の指の感触が伝う。
最古の魔法使いとしての重みも、解道にしがみ付く憐れな老婆としての軽さも、白魚のような指には感じられない。ただ一人の私の師匠の指だ。
「ありがとう」
「今度昼飯奢れよ」
許の隣を過ぎる際、呟くようなやり取りに師匠は首を傾げた。
「今何か言ったか?」
「いえ何も、」
そう言えば明日は魔法学校の勧誘解禁日だったなと思い出す。
「いえいえ、明日の勧誘戦争どうしましょうかって言ったんです」
「そんな音節多くなかったと思うんだが、まあ良い。『如何に勧誘戦争を乗り越えるか』という意味でも、まあ良い。この日の為に私は準備をしていたからな」
師匠は白い髪を妖艶にかき上げ、不敵に笑う。
かくも魔法使いらしい笑い声は魔法協会中に強く轟いた。
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