第四話 魔道古書店

 価格高騰を嘆いたコンビニから少し離れた商店街の入り口。


 スーパーマーケットやコンビニが乱立する昨今でも地元民の根強い支持を受け、そこそこ賑わう商店の数々を横目に、ある古書店の前で立ち止まる。


 民家を改造したような風貌で、開けっ放しのすりガラスの戸、日焼けを気にせず店先に出された古本の数々。要素の一つ一つから珍妙さと不気味さが染み出し、新規獲得をはなから諦めている構えだ。


 赤錆と風化が痛々しい現役の看板『々堂どうどう』をくぐり、すぐに引き返す。


 最速の冷やかしにより目の前にあるべきは赤信号と信号待ちをする人々の姿である。だが眼前に広がるのは外から見るより随分大きな古書店内であった。


 古い木製の本棚が天を貫かんと整列し、二階三階と続く吹き抜けの階層を大きな螺旋階段がまとわりつく。学校の図書館をXYZ軸方向へ自由に伸ばしたような風合い。


 あちらこちらに緑色を基調としたポップなポスターが見える。


 横切る先客に一礼し、カウンターに座る退屈気な少年に手を挙げる。


「あ!」


「さっきぶりだな譲渡じょうと。店番か?」


 学生服の上から緑のエプロンを身に付ける彼。


「サボりがバレたおかげで労働時間が倍に増えた……それで尊琴はどうなった」


「非道には非道で返すのが魔法使いの礼節だ。もちろん魔法は解いてない」


「流石茶会一番の魔道主義者!」


 魔法使いとして守るべき道、という意味の魔道。解道の探究者たる御御亭には特別皮肉に聞こえる。


「御御亭はどうなんだ?今年の古本市」


 譲渡は本棚の側面少し上に貼られたポスターを親指で差す。大きく書かれた『裏阿部空うらあべがら古本市ふるほんいち』。浦々うらうらの主催するイベントだ。


「どうだろうな。私は間に合うと思うが、肝心の師匠がな」


「ああ、執筆嫌い……出そうが出せまいがこちらとしては楽しんでくれれば十分だよ。それで今日は何用で?」


「その執筆用の参考資料が欲しい。ここら辺なんだが……置いてるかね」


 スマホのメモを見せると譲渡は文字を高速で追い、ぷつぷつ独り言。小さく頷いて「少し待ってろ」と『現在離席中』小さな看板を机に置いて、ふわり体を浮かせた。


 古書店は古書店でも、魔導古書店まどうこしょてん。七座は浦々が運営する魔導書蒐集組織、それが々堂の実態である。


 入るには茶会同様一定の手順を踏む必要があるが、茶会と異なり一見さん大歓迎の普通の商店だ。売っている本は普通ではないが。

 

 譲渡に頼んだのは新旧入り乱れる十数冊の魔導書。回復魔法自体成り立ちが複雑であるから、参考にする書籍もバラエティに富んでしまう。


 待ち受ける大量の作業に眩暈を起こしつつ、目算数十分は帰ってこないだろうと同情する。


 真正ネクロノミコンから同人魔導書まで取り扱うここで暇を潰すことには困らない。何か読み応えのある本はないかと歩き回る。


「な、なにこの本……」


 ふと聞こえたぼやき。通り過ぎた本棚の隙間へ目をやると、すれ違った客がやけに豪奢な装丁かつ大きな魔導書を両手に抱えて、難しそうにページをめくっている。


 私はその本に覚えがあった。


「それは原初の本だよ」


「ひゃっ!?なんださっきの魔法使い、後ろから話しかけないでくださる?」


 可愛らしい声を短く上げてじろりと睨む。両手を挙げて敵意がないことを示すもこれといって効果なく、ふんと鼻を鳴らした。


 見たことのない女の子だ。肩まで伸びるウェーブがかった金髪ところころ輝く碧眼、可愛らしさが際立つ容姿に反して表情は警戒を解かない、どことなく懐かない子猫を思わせた。


「君、最近魔法使いになっただろう」


「……なぜそれを、まさかストーカー!?わざわざ話しかけるなんておかしいと思ったのよ、親切にして恩を売って私を取って食おうって言うんでしょ!違う!?」


「違う。原初の本を知らないってことは新入りだろうと思ったんだ」


 身に纏う少し大きいローブも証拠だ。傷も焦げた跡もない新品を学校外でわざわざ着るのは、魔法使いになれると浮かれ若人と相場が決まっている。


「う、あ、あっそう違うのね。いえ、負い目なんて感じてないわ。魔法使いは姑息で非道で卑怯でなくてはならないもの、隙なんて少しも見せないの」


「意識して魔法使いらしくなる必要はないよ。朱に交わればなんとやら、いつの間にか悪どくなってるものだから」


「嫌ねそれはとても、ええ嫌だわ」


 苦虫を嚙み潰したような顔をしている。


「その原初の本だけど。それを選ぶなんてお目が高い。かの高名な御御亭御御様がお書きになられた一冊だ。全然書かないから私が無理矢理書かせ、じゃない、日本最古の魔法使いの一人にも関わらず発布した魔導書の数およそ五種、中でも一番初めに書かれたものになる」


「へえ。すごい本なのね」


「ええとても」


「ここ百円コーナーなんだけど」


 魔道古書店とは言え、古本屋は古本屋。彼女の指差す『100円セール』のPOPに冷や汗が頬を伝う。


「……初版じゃないからね」


 我ながら苦しい。少女は「ふうん」と訳知り顔でそれ以上言及しなかった。


「で、なんでこの本はこうなの?」


 少女は重そうに適当なページを開き、いくつか捲った。最初のページは白紙、次も白色、その次も白く、そのまた次も真っ白だった。


「何か魔法がかけられてて見えないとか、文字を見るために専用の魔道具が必要とか、本当はびっしり書かれてたけど訳あって白紙になってだから百円コーナー行きになったとか」


「事はそう複雑じゃない。真ん中じゃなく一番最初を開いてみて」


 少女は従順に表表紙の次を見る。たった一行『我を見よ、師事せよ、畏怖せよ、敬愛せよ。御御亭御御こそ解道の全てと知れ。』と一ページ目中央に書かれている。


「暗号?」


「本文だよ」


「意味が分からないんだけど。本文ってどういうこと?こんなの魔導書じゃない、どんな魔法をどうやって使うのか少しも分からない」


「私もそう思う。けどこの魔導書はこれで終わり。何百ページの白紙の最初にたった一行、それが御御亭御御という大魔法使いであり、解道の全てなんだよ」


「説明になってないわ」


「なってるんだよ」


 私が何か隠しているのだろうと不機嫌に目を背け、原初の本を閉じる。


「懐かしい本見つけたな」


 少女の肩がびくりと跳ね「今度は誰!?」忌々しげに振り返ると、譲渡が紙袋を手に歩み寄っているところだった。


 々堂のロゴマークの入る紙袋の中には頼んだ通りの魔導書がぎっしり。確かな重量を感じながら、財布から二千円分の日本円札を渡す「釣りはいらねえぜ」。


「丁度毎度」


「彼は私の知り合いの譲渡だ。ここで店員をやっている」


「どうも」


「まず私はあなたの名前を知らないんだけれど」


「君ら初対面か……紛らわしい」


「私の名前は敬太郎。万年魔法使いの落ちこぼれだよ」


「何を言う!真面目に魔導書を執筆している君が落ちこぼれなら茶会は産廃集団になるぞ!」


 そのフォローは私にではなく、間接的に下げられた自分にじゃないか。


「その自由帳買うのか?君のところなら何冊でもあるだろ」


「じ、自由帳?」


「さしもの浦々の若旦那と言えどこの本の素晴らしさが分からんか。この美しき装丁に、言葉は不要と彩られる白色の魅力が。たった一文、されど一文。この先は我々が描けと御御亭御御様はおっしゃっているのだ」


「君が言い出したんだぞ。『こんな自由帳誰が買うのだ。置くべきは本屋じゃなくて文具屋だろう』って」


「茶会の愚痴は他言無用だろ。師匠を非難する弟子がどこにいる、なあ譲渡くん。浦々の館長はまだ近くにおられるのだろう?少し館長と譲渡くんについて話したくなってきた、」


「いやあ君の言う通りだ!こんな素晴らしい本魔法史長しと言えど、そうそうお目に書かれるものじゃない!お客様、流石の審美眼をお持ちのようで」


「ここ百円コーナーなんですけど」


 譲渡は冷や汗を流し「掘り出し物ですから」と呟く。


 駄目だこいつも口が上手くない。

 少女は自由帳こと原初の本を棚に戻す。賢明な判断だ、浮いた百円で強炭酸水でも買うといい。


「ここでお会計してもいいのよね?」


「え?はい、構いませんが」


 財布から百円玉を彼の手のひらにそっと置いて、「よいしょ」小さく漏らして原初の本を再び片手に抱える。


「「は?」」


「良い暇潰しになったわ。じゃあね敬太郎と譲渡」


 抱える本が重いらしく左に偏った動きで出口に一歩進み、


「ちょっと待て!買うの?その本」


「ええ、良い自由帳なんでしょう?私とても気に入ったわ、日記にでもしようかしら。それとも敬太郎はこの本が買われるの嫌?」


「ありがたいけど。いやだって、さっき戻しただろう」


「こんな重いもの持ちながら財布は開けないでしょう」


 金髪を柔らかく揺らしていたずらっぽく笑う少女はあっという間に視界から消えて、一拍遅れて「まいどあり」と譲渡は告げる。


「……名前聞いてなかったな、そういえば」


「あんなに話していたのにか?君はたまに抜けてるよな」


「魔法学校の新入生だろうし。勧誘解禁日にでも会えるさ」


 手を振り少女に続いて店を出た。


 

 解道の全て。


 逆に考えれば良い。魔道の全てとは何であるか。それは、争いの世が終わり平和な世界が続いてもなお答えの出ない難問である。


 同様に、解道の全ても難問のはずだ。だが不遜にも我が師匠は答えを見つけたと謳う「己こそ解道なり」と。


 百年前ならいざ知らず。見向きされない古典『解道』の全てを知りたがる者も原初の本を疑う者もいない。


 奇妙なことに、御御亭御御は本当に手に入れた。


 誰もが興味を失った学問の全てを、己の怠慢と周囲の無関心によって。


 これを皮肉と愉快と捉えるのは個々人の自由である。私としては「解道の全てを手に入れたのだから次は魔道もいかがでしょう?」と勧めたいところだ。通用するとは思えないが。

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