第一話 魔道と解道

 学問に分類、派閥があるように魔法にも分類と派閥がある。


 百年程前までは魔法は『魔道まどう』と『解道かいどう』の二つに大分された。


 魔道とは変化をもたらす術であり、解道とはその変化を打ち消す術である。


 魔法の扱い方について記された魔導書には魔道についてのみ書かれ、対処の方法あえて載せない。これは他の魔法使いへの宣戦布告であり、事実解道が分からなければその魔法は流行し、時代を風靡することとなる。


 未だ魔法が戦争の火種、魔法使い殺しの道具とされていた時代。魔法使い同士の戦いは魔道で攻撃、解道で防御。それの応酬が典型であった。魔道のみを探求する魔法使いも、解道のみを追求する魔法使いもいた。全ては戦いに勝つため。


 しかし千年いくつ続いた動乱の世も終焉を告げた。


 人間が戦争を辞めたのだ。


 人の歴史に隠れた魔法使いが目立つ戦いをすることはできない。平和な世の中の雰囲気にあてられて、元より影響されやすい魔法使いたちは自然と杖を置いた。


 魔導書には最初から解道の式を書くようになり、日々を豊かにする殺傷能力のない魔法ばかりが研究対象となり、十年前殺し合った相手と嘘のように魔法の改善案を出し合うようになった。


 魔道は魔法使いとして守るべき道という意味に昇華し、解道という概念は古典になって久しい。何と素晴らしき時代か。


 この転換を魔法使いたちは『魔法革命』と呼ぶ。

 

「十万字書いてから出直せ魔法協会の犬めが!!人にも劣る貴様ら無能共に魔導書の何が分かるっ!!」


 彼女の怒号に合わせて室内に暴風が吹き荒れる。無作為に散らばるレジュメや参考資料の数々はすさぶ風に乗り、舞い散り、落ち着けど先と変わらない雑多具合を見せつけた。


 この革命に魔法使い全員が納得したかと言えばそうではない。いや正確に言えば、たった一人頑なに革命を認めない者がいる。


 その者はここ阿部空市あべがらしのランドマークとして近年建設された時計塔内に居座り、魔法協会に聞く耳を持たず、千は下らない齢を積み重ねている癖に我こそ時代の寵児なりと嘯く。

 

「また癇癪を起して、今度はどうなされたんですか。師匠」


 恥ずかしながら我が師匠、大魔法使い初代御御亭御御ごおんていみおである。


 解道を追求した彼女は唐突な時代の方向転換に取り残されて、過去の栄華を振りかざすことしかできなくなってしまった。


 かつては解道の王とまで言われ天下を手中に収めたらしいが、すっかり見る影もなく時代錯誤な爪弾き者である。魔法協会最高権力『七座しちざ』の末席に居座ってはいるものの、他の古株魔法使いからの慈悲と百年以上前の一応褒められる功績を買われてのことで、いつ降ろされてもおかしくない。

 つい最近七座の一人が新進気鋭の大魔法使いに一席を譲り渡したし、次は御御亭だろうともっぱらの噂である。


 彼女は未だに人間たちを劣等種と見下し、弟子は師匠の身の回りの世話をしてこそと考えているのだ。そりゃあ誰も寄り付かないし、弟子もどんどん辞めてしまうに決まっている。

 

 私の呼び声に床に付きそうな長い白髪をさらりとかき上げる。


 帰化した彼女は日本において最古の魔法使いの一人であり、上品な目鼻立ちに長く白いまつ毛、ラムネ瓶のビー玉のような空色に透き通る瞳は外国生まれのそれである。いつも瀟洒なドレスを身に纏い、今日は引きずるほど裾の長いフリル多めのブラックドレス。


 身長百八十センチはあろう高みから、彼女の趣味で置かれたアンティーク調の椅子に座り、ノートパソコンでの作業を止めない私を文字通り見下し、憂いを込めた溜息を盛大についた。


「分からんかね我が愚弟子よ。吾輩が電話口で何に失望し、何を正そうとしているのか」


「分かりますよ、魔導書を魔法協会から催促されているのでしょう。もう今月三度目です、いい加減お書きになられたらいかがですか」


 つまんだ老人向けケータイを背後の書籍の山へ放り投げ、まだ通話の繋がったそれからはノイズ混じりの呼びかけが聞こえた。

 師匠は実にドラマチックかつしつこい名演技で天を仰ぎ見る。


「やはり修業が足りんな。吾輩は解道の王である、王道こそ解道、即ち吾輩は解道なのだ。わざわざ文字に起こさずとも吾輩を師事すればその全てが知れよう。それを魔法協会の連中はやれ大魔法使いの責務だの、七座に着く者が怠ければ下の者に示しがつかないだの……ああ嘆かわしい!!連中は吾輩を僻むばかりで本質が見えなくなっているのだ!」


「その解道自体下火でしょうに」


「それが師匠に対する態度かっ!!手を止めず目を見ず反論とは恥を知れ愚弟子!!」


 Ctrl+S。執筆内容をきちんと保存した上で、


「やい白髪ババア!あんた文字書くの嫌いなだけだろ!なんでもいいからちゃちゃっと書いてしまえ!今年の研究費私のバイト代より少ないんだぞ!!」


「ババアとはなんだババアとは!貴様吾輩を疑っているのか!?本当にただ最低十万字書かないといけないのが面倒だと思っているだけと!?」


「違うなら今すぐソフト立ち上げて書いてくださいよ!いっそ昔の自慢話でいいですから!」


「その奇天烈な機械にある俗物機能で魔導書を書けだとぉ!?すっかり人間共の利器に絆されよって……あーあ!弟子になりたての頃はあんなに可愛かったのになー!」


 自国から取り寄せたらしい革張りの回転椅子に乱暴に座り、くるり回る。優雅な白髪が床を満たすコピー紙を撫でてまた配置を変えた。


「では原稿用紙買ってきますから、書いてください」


 机に置いた財布を持ち外に出ようと、


「……吾輩を腱鞘炎にさせる魂胆だな」


「どっちですか!」


 師匠は財布を握る右手首を両手で捕まえて、俯き告げる。


「正直に書くのが面倒だから書いていないと言えばいいものを。どうしてあなたという魔法使いは、」


「ああ!そうであった。そうだった。やはり電話では私の真摯な想いは届かないと嘆いていたところなのだ。おい我が弟子、吾輩は魔法協会に直接文句を言ってくる。それまでおりこうにお留守番せよ」


 視線の動きがやけに速い師匠は捕まえた腕を離し、優美に一回転。時計塔の文字盤に触れた。


 四方を文字盤に囲まれた時計塔内部のこの部屋に出入口はない。定期整備用の非常階段こそあるが、高所に位置する為昇り降りは非常に面倒である。


 この時計塔の文字盤、実は一つが止まっている。

 原因不明。何度直しても止まるものだから、市の職員もとうとう諦めいっそ名物にしようかと目論んでいる。


 大きな蝶番を不格好に取り付けた刻字が影を落とす正円は鈍い音を立てながら開き、古き街と青空を覗かせた。

 逃げるように師匠は飛び降りる。片手には箒が。


 一瞬自由落下の気を思わせるもすぐさま上昇し直線に飛行する。前傾姿勢に白髪が揺れる彼女はもう小指の先ほどの大きさである。あんなのでも名のある魔法使いだ、空を飛ぶことなど造作もない。


「またそれもよし」


 私はおめおめ逃げた彼女を眺めながら呟いた。


 文字盤の一つが常に止まっているのは我が師匠の蛮行故、出入り口の代わりにしているからである。いくら歯車を嚙み合わせようと、大きな螺子を食いこませようと、律儀に外す者がいるのだから壊れ続けるに決まっている。



 パソコンを開く。


 保存したばかりの魔導書をどこまで書いたかと目で追った。

『腹痛の魔術的解析及び再現について.docx』

 師匠の専門は解道であるが、私の現在の研究対象は遠く離れ、感染呪術を原点とする回復魔法である。錬金術や魔法薬学、人間の扱う医学の分野にさえ片足突っ込む回復魔法は恐ろしく研究が面倒で、参考魔導書は数えきれない。


 彼女は私の研究対象が不服らしい。いや当然だ。教えたこと以外に興味を持ってしまっているのだから、師匠である以前教育者として腹が立つのだろう。


 だからといって対象を変えるつもりはない。


 弟子入りしたときとは状況が変わったのだ。解道は古典となった。平和な世に槍は必要でも盾は不要である。


 現実的に考えて、実用性の高い魔法を開発した方が師匠の為にもなる。御御亭は解道のプロフェッショナルから回復魔法の最王手へ舵を切るべきだ。時代の流れに逆らい続けているといざ波に乗ろうと思ったときに取り返しがつかなくなることを師匠にも知ってほしい。


 私の野望は残念極める御御亭ごおんていの再興、師匠の改心である。そのためにはいかなる手間も惜しまない。


 あと、もう書いてしまった五万字を易々手放してなるものか。

 

 必要そうな文献をスマホにメモして、席を立つ。薄く開いた文字盤から身体を出して、空を踏んだ。


 下には灰色と茶色の規則正しい凹凸が見え、時計と壁に隙間がないよう押し込む。ここは阿部空市の牡丹町、多くの魔法使いが集う町。魔法協会のビルとは反対方向へ歩みを進める。


 現代の魔法使いは箒も杖も使わないのだ。

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