第35話 伊藤 紗香---side8

「伊藤さんって、サッカー部に彼氏がいるんでしたよね?」

「え?」

「何ていう名前の人なんですか?」


美結ちゃんはじっとわたしの顔を見ながら聞いてきた。


「いきなりどうしたの?」

「教えてくださいよ」

「……それ、ただの噂だから」

「そうなんですか? でもいつも否定してませんでしたよね? まわりが『紗香にはサッカー部にいるから』とか言ってる時」

「いちいちめんどうだから放っておいただけだよ」

「ふうん。そうだったんですね」


瞬のことを聞くチャンスだった。

でも、なんとなく聞きにくい。


「伊藤さんって、ショートヘアじゃないですか。髪の毛長かったことあります?」

「髪? ずっとショートだけど?」

「そうですか……じゃあ誰なのかな……」

「何の話?」

「実はわたし、会っちゃったんですよ。伊藤さんの噂の相手に。澤田さんですよね? 噂のこと全否定してましたよ」

「あ、うん、だって、瞬はただの幼馴染だから……さっき、聞こえちゃったんだけど、瞬と、その……キスしたって本当?」

「キスされたんです」

「そう、なんだ」

「後で、他の女のこと考えてた、とか言われて、ムカついたんですよね。澤田さん、気になる人がいるみたいだったんですけど、それって伊藤さんのことかと思ったら、違うんですね」

「え?」

「長い髪が気になってるみたいだったから」


すぐに月島さんの長い髪が浮かんだ。


「わたしのわけないよ」

「伊藤さん、誰だか知ってます?」


ようやくわかった。

美結ちゃんは、自分がどんな子に負けたのかが気になるんだ……

なんとなく、くやしかった。

だから本当は認めたくなかったけれど、言ってしまった。


「きれいな子だよ。そう言われてるのよく聞く」

「……そうなんだ」


さっきまで挑戦的だった美結ちゃんのテンションが、あきらかに低くなったのがわかった。


瞬のバカ。

あんたがキスしたのは、こーゆー子だったんだよ……


いろんなことがもやもやして、泣きたい気分だった。

それなのに、自分にとどめを刺すようなことを聞いてしまった。


「ねぇ、キス、上手かったって、本当?」

「気になるんだったら、伊藤さんも試してみたらいいのに」


美結ちゃんは最後にそう言ってから行ってしまった。


まるで簡単なことみたいに言って……




家に帰っても今日聞いたことがずっと頭から離れなかった。


咲良の言った通り、わたしが知らないだけで瞬には彼女がいたんだ。

でもそれがいつのことだったのか見当もつかない。


本人に聞けば早いんだろうけど、絶対に教えてくれない気がした。だって今まで隠されてきたんだから。


過去のことを今更知ったところでどうしようもないのに、気になって仕方がない。


瞬が、どんな子と付き合ってたのか知りたい。

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