#104 真実
「朔さんのお母様に会った時…その、何と言えば良いのでしょうか、お母様は、私のことを『警戒』しておられました。そして、水本部長が亡くなられたことをお母様から聞いた後、私はお母様からこんな言葉を掛けられたのです。『あなたは夫とどういう関係なのですか?』と。…私はそれがすぐに言葉通りの意味ではないということに気付きました。実際、私は最初に自分が水本部長と同じ会社に所属している者であるということをお伝えしていました。だからこそ、お母様がお尋ねになった言葉に、私は違和感を持ったのです」
そして仲原さんは、こう話を続けた。
「朔さんのお母様は、私と水本部長が…、『不倫関係』にあると思っていたようでした」
「…えっ」
仲原さんの口から飛び出した「不倫関係」という言葉に、隣にいる姫花は驚いた様子を見せる。
その一方で、僕はじっと耳を傾け、その話を頭の中で咀嚼する。
三年前の十二月二十四日、父さんと母さんは何かを言い合っていた。
あの時は聞こえてくる会話が断片的なものということもあり、正確な内容までは分からなかったが、どうやらあの時の会話は…本当に父さんの「不倫」についての会話だったらしい。
そのため、僕の三年前の予想が、奇しくも「当たっていた」ということになる。
しかし、父さんがそんなことをするはずがないと、今の僕は胸を張って言える。
だから、仲原さんの話には、きっと「推測」通りの続きがあるはずだ。
「ですが、私は水原部長と不倫などしていません!」
僕は、仲原さんからその言葉を聞いた瞬間、「推測」が「確信」に変わるのを感じた___。
「あの時、私はお母様にもそう強く伝えました。そして、私はお母様の『誤解』を解くことにしたのです」
そこから仲原さんは、母さんとのやり取りを詳しく話してくれた。
母さんは、二人が不倫をしていると思った理由について、父さんの帰りが遅いことを挙げたようだ。
それは、当時の僕も違和感を覚えていたことである。
父さんは、帰りが遅い理由をいつも笑顔でぼかしていた。
やましいことがあるような様子ではないようにも見えたが、そんな曖昧な反応を浮かべ続ける父さんに「何だろう?」と思っていたのは事実である。
そして、十二月二十四日の夜、母さんは父さんのカバンの中から「あるもの」を見つけてしまった。
それは、ラッピングされたチョコレートだったという。
その箱には、女性によって書かれたであろうメッセージも付けられ、母さんはそれを父さんに問い質したらしい。
そんな母さんからの問い掛けに、父さんは会社の後輩からもらったものだと言ったそうだが、母さんは…それを信じることができなかった。
実際、それは仲原さんが父さんに渡したものらしいのだが、仲原さんによると、そのチョコレートは当時仲原さんの家の近くに新しくできたお店のものであり、日頃の感謝を込めて渡しただけで、特別な意図は何もないとのことだった。
しかし…恐らくこれが、あの時の言い合いの火種となったのだろう。
そうして母さんは、帰りが遅いこととその女性のことを結び付けてしまい、父さんが会社の女性と不倫をしていると思い込んでしまった。
母さんが仲原さんと出会った時に警戒した様子を浮かべていたことも考えると、この予想は大きく外れてはいないはずだ。
…いつもの母さんなら、こんなことにはならなかった。
でも、あの時の母さんは、ほんの少しだが元気がなく、やはり父さんの帰りが遅いことを気にしていた様子だった。
それが、「もしかして…」と思わせるような形で母さんの前に突然現れたことで、母さんはある種の「パニック状態」に陥ってしまった。
だからこそ、母さんは「父さんが不倫をしている」と思い込み、あんな言い合いを父さんとしてしまったのだ…と僕は思っている。
…けれども、母さんはそれが「誤解」だと気付いた、気付いてしまった。
それは、仲原さんから「父さんの帰りが遅かった理由」を聞いたからである。
父さんの帰りが遅かった理由は、大きな仕事を任されていたからだ。
仲原さん曰く、その仕事は会社のこれからの飛躍に関わってくるような大事な案件で、父さんはその責任者として抜擢されていた。
そのため、各所に商談をしに行ったり、資料を作成したりする必要があり、父さんは帰りが遅かったのである。
仲原さんも父さんの元でその案件に関わっていたそうだが、父さんからは絶対にこの案件を成功させるという強い思いを感じられたそうだ。
僕は、父さんがそんな大事な仕事を任されていたとは知らず、話を聞いた時は驚きを覚えたが、それと同時に、どうして父さんはそのことを話してくれなかったんだろうと思った。
いくら父さんが仕事のことをあまり家の中に持ち込まないとはいえ、帰りが遅くなるなんてことになれば、父さんならきっと僕や母さんに伝えていたはずだ。
しかし、その後の仲原さんの話によって、僕は父さんがそれを伝えなかった理由を知ることになる。
なんと父さんは、僕と母さんにサプライズを計画していたらしい。
父さんや仲原さんたちが関わっていた案件は、一月中には終わる目処が立っていたらしく、それが終わった後は、しばらくの休暇が取れるようだった。
そこで父さんは、僕の受験が終わって一段落付いた後に、その休暇を利用した「家族旅行」を計画していた。
「水本部長はご家族で旅行に行かれることを、本当に楽しみにした様子でした」
そして父さんは、折角だからと直前まで秘密にしておくことに決め、僕と母さんを喜ばせようとしていたらしい。
だから父さんは、帰りが遅い理由を僕たちには話さなかったのだ。
去年のひまちゃんの誕生日の時の進さんもそうだが、父さんもああ見えて意外とサプライズ好きなところがある。
それに、一度サプライズをしようと決めたら、絶対にそれをやり遂げてみせようと思う父さんの気持ちを、僕は理解できてしまう。
___水本の男子は、変なところで意地を張る。
つまり、「父さんの帰りが遅かった理由」は、「僕と母さんの喜ぶ顔を見るため」だった。
「私からの話を聞いた朔さんのお母様は、顔を真っ青にし、何度も私に『ごめんなさい』と謝罪を繰り返しておられました。…そして、私がその場を後にする時、最後にお母様は私にこんなことを呟いたのです」
___歩さんに謝りに行かないと。
「…その時の悲痛で歪んだお母様の顔は、今も忘れることができません」と言いながら、仲原さんは「後悔」を滲ませるような表情を浮かべた。
「ここまでが、あの日朔さんのお母様と交わしたやり取りです」
そして、僕に三年前のあの日のことを伝え終えた後、仲原さんは一粒の涙をほろりと流す。
すると、それが合図になったかのように、仲原さんはボロボロと涙を流し始めた。
その涙は、堰き止めていたものが決壊したような、あまりにも苦しさを感じさせる涙であった。
そのまま仲原さんは、スーツの袖を涙で濡らしながら口を開く。
それは、仲原さんがこの三年間抱え続けた、心の底からの「後悔」だった___。
「私がっ、私が全部悪いんです!あの時っ、私が水本部長に余計なものを渡さなければ、こんなことにはならなかった!私のせいで、お母様は水本部長のことを誤解してしまったのですから…っ。それに、別れ際のお母様の顔は、どこからどう見ても『思い詰めた』様子でした…。あの時、私がもっとお母様に気を配っていれば、お母様が亡くなるなんてことにはならなかったかもしれないのに…っ」
そして、仲原さんは「私の、私のせいです…っ」と声を震わせ、その場に蹲りながら自分を責め始める。
これが、仲原さんが最初に言っていた「原因」というやつの正体なのだろう。
仲原さんは、母さんを誤解させてしまった自身の行動が、母さんの「死」に直接的な影響を与えてしまったと思っているようだ。
それは…そうであるとも、そうでないとも言うことができると思う。
仲原さんが渡したチョコレートが、母さんの行動の「決定打」になってしまったのは間違いない。
本人が意図したものとは違う意図で相手に伝わってしまうというのは、誰でも、どこでも起こり得るものだ。
それが最初からうまくできるのであれば、僕たち人間は言葉を話したり、身振り手振りで気持ちを表現したりするなど、コミュニケーションに苦労することはない。
今回は、それが「良くない」形で、偶然にも僕たち家族と仲原さんの間で発生してしまった。
しかし、仲原さんは父さんと母さんの関係を破綻させるためにそんな行動を取った訳ではない。
実際、仲原さんが僕たち家族の状況を知る術など、どこにもなかった。
だけど…、仲原さんは自分に責任があるということを信じて疑っていないというような様子だ。
その後悔の根は深く、僕が想像をしているよりもはるかに深い闇が、恐らく仲原さんの胸の奥には広がっている。
それには、この三年という年月が大きく関係しているはずだ。
仲原さんは、最初に出会った時から疲れ切ったような表情をしていた。
きっと仲原さんは、この三年もの間、ずっとその責任、いや正しくは「罪悪感」だろうか、を抱えながら生活していたのだろう。
僕は、そんな仲原さんの顔を見て既視感を覚えた。
だって、仲原さんのその顔は、去年までの「心が限界だった僕」の表情と全く同じだったから___。
僕がそうであったように、仲原さんもまた、三年前のあの日に囚われている。
僕は、姫花のおかげであの日から一歩踏み出すことができた。
あの深い闇から救い出してくれた姫花には、言葉では伝えきれないほどの「ありがとう」という気持ちを今でも感じている。
しかし、仲原さんはそうではない。
仲原さんは、今も尚あの日の記憶に苦しみ、行き場のない後悔を己にぶつけている。
___だからこそ、今度は僕が、仲原さんを救ってみせる。
この役目は僕にしか果たせない。
…あの日、姫花が僕の凍った心を溶かしてくれたように。
僕は…仲原さんが「前を向く」ための力になりたい。
そうして僕は、「仲原さん」と声を掛け、強い意志を宿しながら前へと視線を向ける。
僕の声に顔を上げた仲原さんは、その目を涙で真っ赤にしていた。
どんな言葉を掛ければ良いのか…、今の僕はそんなことを考えてはいない。
何故なら、伝えるべき言葉は決まっているからだ。
「仲原さんは、悪くありません」
僕のそんな言葉に、仲原さんは大きく目を見開いた___。
ここからの話は、全てが僕の「推測」だ。
しかし、それは限りなく本当に近い「推測」であると思っている。
___僕の母さん、水本咲希が「死」を選んだ理由は、「父さんの元に行くため」。
…それは、母さんが死んでしまった後、僕が頭の中で想像した理由と全く一緒だ。
あの時から僕はこの理由に「確信」を持っていたが、仲原さんから話を聞いたことで、それが間違いではなかったと更に強く感じている。
___母さんは、僕たち「家族」のことを本当に愛していた。
母さんは生まれた時から家族がいなかった…だからこそ、母さんはその想いを人一倍大きく持っていたのだと僕は思う。
「家族で一緒にごはんを食べること」の強いこだわりなどは、それがよく表れた母さんの一面と言えるだろう。
そんな母さんは、何度も僕と父さんにこんなことを言っていた。
『二人と一緒にいれて、私は本当に幸せよ』
そう口にする母さんの顔には、いつも言葉通りの幸せそうな表情が浮かんでいた。
母さんにとって「家族」という存在は、自分の「全て」だったのだ。
父さんと出会うまで、母さんは「天涯孤独」の人生を送っていた。
…そんな母さんにとって、「家族」というのはたった一つの「居場所」のようなものだったのだろう。
恐らくだが、母さんの「家族」に対する想いというのは、こうして僕が考えているよりも遥かに深いものである。
そして、十二月二十四日、あの出来事が起こってしまった。
いつもの母さんなら、きっとあんな言い合いには発展しなかったはずだ。
しかし、あの時の母さんは元気がなく、本当に「寂しそう」だった。
そんなタイミングで、母さんは「不倫の証拠になりそうなもの」を見つけた、見つけてしまった。
その時の母さんの気持ちを…母さんが自分自身を見失ってしまうほどの衝撃を、僕が正確に推し測ることはできそうにない。
母さんはあの時、父さんに「最低」という言葉をぶつけていた。
恐らくだが、母さんは父さんに「裏切られた」と思ったのではないだろうか。
頼りにしていた「光」が急に自分の元から消え、「闇」へと飲み込まれるような耐え難い感覚。
母さんは、そんな感覚に思考を支配されてしまい、言葉の刃を父さんへと向けてしまった…。
そして次の日、僕たちは父さんが亡くなったということを知った。
あの時の母さんの涙は、今でも脳裏にこびり付いている。
父さんという「大切な存在」を失ったことに対する、際限がないほどの深い悲しみ。
また、僕は今日の仲原さんを見て、母さんの涙に「ある感情」が含まれていたことに気付いた。
それは「後悔」だ。
仲原さんは、三年前の自身の行動に「後悔」を浮かべている。
僕にはその仲原さんの表情や涙が、あの時の母さんと重なって見えた。
きっとその「後悔」こそが、母さんに「死」の選択肢を選ばせた本当の「原因」である。
父さんが亡くなったことを知った時、恐らく母さんはこんなことを思っただろう。
___なんであんなに酷いことを言ってしまったんだろう、と。
父さんは言い合いをした後に事故で亡くなったので、母さんが父さんと行った最期のやり取りはその言い合いということになる。
…母さんにとって、それは悔やんでも悔み切れない最期だったはずだ。
そうして、そんな後悔に苛まれていた母さんに、追い打ちを掛けるような事実が伝えられた。
その事実というのが…仲原さんが今日僕たちに教えてくれた、「父さんが不倫をしていない」という事実だ。
それを聞いた母さんは、一体何を思ったのだろうか。
その「答え」は、つい先ほど仲原さんが教えてくれた「あの言葉」だと思っている。
僕は、母さんが死んでしまったことを進さんたちから聞いた時、母さんが父さんを追うために死を選んだということまでは理解していた。
しかし、どうして死を選んだのかという根本的な部分は、今日を迎えるまで分からずじまいだった。
でも、僕は今日、その「真実」にたどり着くことができた。
後悔を重ね、大切な人を失ってしまったことに絶望し、失意のままに母さんが導き出した救われる方法。
『歩さんに謝りに行かないと』
___それが、死を以て「父さんの元に行く」ということである。
父さんに謝りに行くということは、母さんは父さんに対して「謝らなければいけないこと」をしてしまったということになる。
その時の流れ的に、それが「不倫を疑ってしまったこと」であるのは想像に難くない。
更に母さんなら、言い合いをしたことで父さんが家の外に出た結果、事故が起きたということを、「自分のせいで父さんが死んだ」と思ってしまったのではないかと僕は予想している。
母さんは、とても責任感の強い人だった。
それは、母さんの美徳でもあり、確かな弱点でもある。
その「責任感」の強さもまた、身寄りのなかった母さんの人生が大きく関係しているのだろう。
母さんは、自分に任された役割というものに強いこだわりを見せていた。
昔、母さんが体調を崩したことがあったが、そんな状態でも母さんは「いつものように」僕と父さんのごはんを作るために台所へ立とうとした。
その時の「これは私がやらなくちゃいけないことだから」という言葉は、今も覚えている。
…一人で何とかしないといけない人生を歩んできたために、自分の行動に「異常」とも言えるほどの「責任感」を抱え込んでしまった母さん。
そんな責任感が、母さんの思考を縛ってしまった。
つまり母さんは、自分の行動のせいで大切な家族…唯一の居場所を失ってしまったことで、その責任を取ろうとした___。
これが、母さんの「死」の動機…三年前の、あの日の「真実」だ。
繰り返すが、これはあくまでも僕の「推測」だ。
本当のところは、当然だが母さん本人にしか分からない。
しかし、僕はこれで間違いないという「確信」を持っている。
だって、僕は母さんの子どもだから。
十五年間、僕は母さんと一緒の時間を過ごした。
だから僕は、いつもそばにいた母さんのことを自分のことのように「よく知っている」。
そのため、母さんならこう考えた、こうしようとしたということが、頭の中で自然と理解できるのだ。
それに、この予測を確信たらしめる「もう一つ」の根拠が僕の中に存在する。
それは、去年の今日、僕が死を選ぼうとした理由と全く同じだということだ。
僕は、父さんと母さんの「愛情」を否定していた自分自身に耐え切れず、死ぬことによって父さんと母さんに謝ろうとした。
そして、母さんもまた、父さんに謝るため、その責任を取るために死を選択した。
「親子で考え方が似る」とはよく言うが、まさかこんなところで共通点が見つかるとは。
この共通点が褒められたものではないというのは重々承知している、しかし、三年前の「真実」を明らかにすることにおいて、この共通点はどんな根拠よりも「特別」で、意味のあるものだと僕は感じている。
そうして僕は、仲原さんにこう口を開いた。
「母さんは、自分の意思で『死』を選びました。あの日、父さんに酷いことを言ってしまった『責任』を取るため…です。だから、仲原さんは何も悪くなんてありません」
恐らくだが、母さんは仲原さんとの会話がなかったとしても、すぐに父さんが不倫をしていないという事実にたどり着いたはずだ。
仲原さんは、本当に運悪く僕たち家族の騒動に巻き込まれてしまったに過ぎない。
それに、父さんが死んでしまったことを知ったあの瞬間から、母さんの心はもう既に「死んでいた」。
父さんを失ったことに涙を流した後の母さんは、生気が抜け落ちたような様子であり、瞳は光を映さないほどに真っ黒であった。
つまり母さんは、その時点で「生きるのを諦めていた」のである。
…もしあのまま生きていたとしても、母さんが心の底から笑ったり、幸せを感じたりすることはなかったはずだ。
自分の大切な家族を、自分のせいで失ってしまったという罪の意識。
それは、「死」よりも辛く、苦しく、そして悲しいものだったのだろう___。
そんな僕からの言葉を聞いた仲原さんは、「でも…っ」とその言葉が受け入れられないような反応を浮かべる。
いや、受け入れられないのではなく、どうすればいいのかが分からないのだろう。
仲原さんにとって、この三年間というのは後悔を肥大化させるのに十分な時間だった。
今の仲原さんは、そこから生まれる葛藤や負い目などが邪魔をし、「前を向くこと」ができないでいる。
しかし、そんな仲原さんは、僕と会った時にこう言った。
『…朔さん、私はあなたにずっと会いたかった』
僕が自己紹介をした後に小さく溢したその言葉は、心の奥から自然と浮かんできた仲原さんの「本音」であったに違いない。
仲原さんは、今のどうにもならない自分自身を、きっと誰かに救って欲しかったのだ。
それができるのは、やはり二人の子どもである「僕」しかいない。
___そうして僕は、仲原さんの元に一歩踏み出し、そのまま手を差し伸べた。
姫花は僕からゆっくりと手を離し、去年、僕が病室の前で進さんたちと向き合う時に浮かべていたような、優しい微笑みを僕に向けてきてくれている。
やっぱり、いつも僕の背中を押してくれるのは姫花だ。
僕は、見守ってくれている姫花に感謝をしながら、仲原さんにこう言葉を紡いだ。
「僕は仲原さんのことを許します」
この言葉は、僕の本心からの言葉だ。
「仲原さんが二人のことで後悔を感じているのなら、僕にもその後悔を背負わせてください。僕は、仲原さんがこれ以上二人のことで苦しまないように、仲原さんの力になりたいんです。…すぐにあの日を乗り越えることができないということは、僕にも分かります。実際、僕もまだあの日を完全に乗り越えた訳ではないですから。でも、きっと大丈夫です」
___だから、僕と一緒に、あの日から一歩前に進んでみませんか?
僕のその言葉に、仲原さんは再びその瞳を潤ませる。
「…良いのでしょうか?」
そして仲原さんは、僕にそう尋ねてきた。
僕はそれに仲原さんの色々な気持ちが込められているのをしっかりと感じ取る。
その気持ちを全部踏まえた上で、僕は仲原さんに力強く頷きを返した。
そうして、おずおずと僕の方に伸ばしてきた仲原さんの手をしっかりと掴み、仲原さんが立ち上がったタイミングに合わせ、僕は仲原さんにどうしても言いたかった言葉を伝えることにした。
「仲原さん、今日は父さんと母さんのお墓参りに来てくれてありがとうございます。きっと父さんも母さんも、仲原さんが来てくれて『喜んでいる』と思いますよ」
その瞬間、仲原さんの目からは涙が溢れ出した___。
その涙は、先ほどまでの「冷たい」ものとは違い、どこか「温かさ」を感じさせる。
僕にはそれが、仲原さんの凍った心を溶かしているように見えた。
「…ありがとうっ、朔さん」
さっきも言ったように、仲原さんにとってのこの三年間は、一朝一夕でどうにかなるものではない。
でも、今の仲原さんなら、きっとこの三年間を乗り越えることができるはずだ。
___今日の出来事が、仲原さんの「前を向く」きっかけになると良いな。
僕は、感謝を伝えてくれた仲原さんに、屈託のない笑みを返した。
…今日は、仲原さんと会うことができて本当に良かった。
三年前の「真実」がこうして明らかとなり、僕の心には自然と安堵感が広がる。
僕は、この気持ちを止められそうにない。
だって、やっぱり父さんは不倫なんかしていなかった!
僕の父さんは、家族想いの優しい父さんのままだったのだ。
三年前の僕は、そんな大好きな父さんを疑い、否定してしまった。
仲原さんから話を聞き、僕はようやく本当の意味で三年前の過ちを受け入れることができたような気がする。
そして、母さんのこと…。
本当のことを言えば、母さんには死んで欲しくなんてなかった。
今でも僕は、父さんや母さんが遠くに行ってしまったことに「寂しさ」を感じている。
この感情が消えることは、これからの人生でもありはしないだろう。
でも、あの時の母さんに「生きて欲しい」と訴えることは、きっと今の僕にもできそうにない。
恐らくだが、僕がそう言っていれば母さんは「死」を選ばなかったはずだ。
しかし、それは母さんにとって、本当に望んでいた「未来」なのだろうか?
母さんは、僕の母親である前に、一人の「水本咲希」という人間でもある。
母さんには、母さん自身の人生を決める権利があるのだ。
…僕は、「死」の選択を肯定するつもりはない。
だけど、僕は母さんのことを尊重する。
矛盾に思われるかもしれないが、別にそれは構わない。
どんなことがあっても、母さんへの想いが変わることはないのだから。
僕は、今日も明日もその先も、二人の子どもでいることに誇りと感謝を持って生きていく。
___母さんは父さんに会えたかな?
___きっと母さんは父さんにいっぱい叱られただろうけど、そこには僕の分も含まれているから、母さんは大人しく反省するようにっ。
___でも…なんだかんだ父さんの方も、ややこしいことをしてしまったことを母さんに謝っていそうだから、案外お互い様だったりして。
___本当に、父さんも母さんも困った人である。
___だから、二人は罰として、僕がそっちに行くまでの間は二人「仲良く」僕のことを見守ること。
___僕がそっちに行った時は、いっぱい僕が二人のことを怒るから。
___それで、その後は、いっぱい僕の「思い出」を聞いてね。
___父さん、母さん、今までありがとう。
「これからもよろしくね」
僕の小さな呟きは、急に吹いてきた冷たい風によって「どこか」へと運ばれていく。
その瞬間、後ろから「聞き覚えのある声」が聞こえたような気がしたので後ろを振り向くも、そこに「その人たち」の姿はなかった。
そんな僕の様子に、
「朔、どうかしたっ?」
と姫花が尋ねてきたので、僕はそれにクスっと笑みを浮かべ、
「何でもないよっ」
と返事をした。
『『朔、お誕生日おめでとう』』
そうして僕は、今も変わらぬ「家族」への大切な気持ちを抱きながら、「大好き」な父さんと母さんに想いを馳せた___。
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