#103 邂逅







 時間を掛けて二人に話したいことを伝え終えた僕たちは、その場にゆっくりと立ち上がり、帰りの準備を行う。


「姫花、本当に今日はここまで一緒に来てくれてありがとう」


 そうして僕は、感謝の言葉を姫花へと伝えた。

 姫花は「どういたしましてっ♪」と口を開き、


「私の方こそ、朔のご両親とお話しができてとっても嬉しかったよっ♪」


 と更に言葉を重ね、笑顔を浮かべる。

 そんな姫花の笑顔に胸をポカポカとさせつつ、帰る準備ができた僕は、行きと同じようにスッと姫花の方に手を差し出した。


「えへへっ♪」


 そして姫花は、僕のその手に自分の手を重ねてくる。


 最近、こうして二人で歩く時は手を繋ぐのが「当たり前」になっており、最初の時に比べて、僕もだいぶスムーズに手を繋ぐことができるようになった。

 しかし、未だに心臓は最初の時と同じくらいドキドキとしているが…。

 そんな幸せな鼓動に身を任せつつ、僕は姫花と指を絡めて、


「それじゃあ帰ろっか」


 と二人で来た道を戻ろうとする。










___その瞬間、横から僕たちに声を掛けてくる人がいた。










「あの、失礼ですが、水本部長とお知り合いの方でしょうか?」


 突然声を掛けられたことに驚いた僕たちは、すぐに顔を横に動かし、その声を発したであろう人物の方に視線を向ける。


 すると、そこには一人の女性が立っていた。


 その女性の第一印象は、「疲れている」という感じだろうか?

 髪を後ろでまとめ、かっちりとしたパンツスタイルのスーツに身を包み、眼鏡を掛けている…如何にも「仕事ができそう」な雰囲気を纏った女性なのだが、どうにもその「眼鏡の奥」に、僕は目が離せない。

 その女性の目は、誰がどう見ても疲れを感じさせるような、そんな「淀んだ目」をしているからだ。


 …僕は、その目に見覚えがあった。


 ひとまず今は、この女性が誰なのかを尋ねようと思い、


「えと、あなたは…?」


 と僕は彼女に口を開く。


 僕たちに声を掛けてきた時、この人は「水本部長」という言葉を口にしていた。

 その水本部長というのは、僕の父さんのことで間違いない。

 恐らくこの女性は、父さんに何か縁のある人なのだろう。


 僕がそう問いかけると、その女性は「いきなり話し掛けて驚かせてしまいましたね」と言いながら頭を下げ、自身の自己紹介を始めた。


「申し遅れました、私は仲原澪(なかはらみお)という者です」


 そのまま仲原さんは、父さんが務めていた会社に勤務をしているということ、父さんには新入社員の頃から凄くお世話になったということを詳しく教えてくれた。

 やはり、仲原さんは父さんに関係のある人物だったようだ。


 そして、今度は僕の自己紹介の番となったので、


「僕はかわ…水本朔と申します。父が生前はお世話になりました」


 と僕が自分の名前を告げると、「やはりそうでしたか…」と仲原さんは呟き、




「…朔さん、私はあなたにずっと会いたかった」




 と言葉を続けてきた。

 その声はわずかに震えており、淀んでいる目もどこか潤んでいるような気がする。


(…ずっと会いたかったというのは、どういう意味なんだろう?)


 そうして仲原さんは、いきなりその場で膝を付き、腰を折って頭を低く下げ始めた。


「…えっ!?」


 僕は仲原さんが「土下座」をし始めたことに、驚きや動揺から思考を停止させる。

 時間にして数秒だったとは思うが、随分と長く感じる間を経て、


「な、何してるんですか!頭を上げてくださいっ!」


 と僕は慌てて仲原さんに声を掛けた。

 すると、仲原さんは少しだけ顔を上げ、僕の顔を真っ直ぐ見つめてくる。


 …その時の仲原さんの表情は、今にも涙が溢れそうなほどに痛々しいものだった。


 それを見た僕は、その「痛み」と呼応するかのように胸を苦しくさせる。

 やっぱりそんな姿に「既視感」を覚えていると、そのまま仲原さんは、


「…本当にごめんなさい」


 と僕に謝罪の言葉を伝えてきた。


 そして、仲原さんは声を震わせながら、更に僕にこう続けた。


 …その話は、僕の想像を遥かに超えるような、衝撃的なものだった。










「朔さんのお母様が亡くなられた原因は、私にあるんです…っ」










***










___心臓がうるさく音を鳴らしている。


「…は?」


 今、仲原さんは何て言った…?


 母さんが死んだのは…仲原さんのせい?


 仲原さんから告げられた言葉に、僕の頭は真っ白になる。


「な、なんで…っ?」


 何かを考えようとするも、考えたそばから「それ」は頭からこぼれ落ちていき、意味の持たないものとしてすぐにどこかへ消えていく。


___しかし、皮肉にも人間というのは「よくできた」生き物だ。


 受け入れがたい現実を前にし、思考を中断してしまおうとも、すぐにその現実を理解しようと脳が働き始める。

 それが、望んでいようと、望んでいなくとも…。


(どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして)


 僕は、一気に流れ込んでくる思考の奔流に耐え切れず、じわじわと頭が痛み始めるのを感じた。

 そして、胸の奥からせり上がってくる気持ちの悪い感覚を抑えるため、僕は胸の辺りに手を移動させ、服をぎゅっと握りながら心を落ち着かせようとする。

 しかし、呼吸は荒くなりばかりであり、まるで海に潜っているかのような息苦しさを覚え始めた。


 そうして、そのまま苦しさに飲み込まれしまいそうになった時、僕は背中に温もりを感じた___。




「朔、大丈夫、大丈夫だよっ」




 その温もりの正体は…僕の背中を優しくさする姫花の手であり、姫花は「大丈夫だよ」と繰り返しながら僕に声を掛け続けてくれる。


 僕はそんな姫花の声に合わせ、自分の乱れた呼吸をゆっくりと整えた。


 姫花から感じる温もりが、僕の心の中にあった負の感情を優しく包み込んでいく。


「姫花、ありがとうっ。僕はもう大丈夫だよ」


 時間を掛け、ようやく落ち着きを取り戻した僕は、姫花にお礼を伝えた。

 姫花は僕のそんな言葉に対し、優しい笑みを返してくれる。


 本当に、姫花がいてくれて良かった。


 もし僕だけだったら、きっとあのまま負の感情に支配されていただろう。


___姫花がいつも一緒にいてくれる。


 僕は、それがどうしようもないほどに大切で、愛しくて、幸せなことなんだと改めて実感した。


 姫花がいてくれるなら、僕は大丈夫だ。


 そして僕は、途中で離してしまった姫花の手を取り、再び固く手を繋いだ後、僕のことを心配そうに見つめてきている仲原さんに声を掛けた。


「仲原さん、取り乱してしまい申し訳ありませんでした。では改めて、先ほどの話の続きを聞かせてください」


 こうして僕は、三年前の「真実」に向き合う覚悟を決めた___。










***










 続きを聞かせて欲しいと伝えた後、僕は仲原さんに改めて立ち上がってもらうことをお願いした。

 どんな事情があるにしろ、相手を土下座させたまま話を聞くなんてこと、僕にはできそうにない。

 それに、仲原さんも父さんと母さんが眠るお墓の前だということを思い出したのだろう、二回目のお願いには素直に頷きを返してくれた。


 そして、僕と姫花は仲原さんと改めて視線を交わし合う。


 これから仲原さんが話す「僕の家族」に関わる話を、姫花は自分が聞いても良いのかと迷った様子だったが、僕はこのまま一緒に聞いて欲しいとお願いした。


 僕にとって、姫花は「家族」と同じくらい大切な存在だ。


 だから僕は、そんな大切な姫花に、この行く末を見届けてもらいたい。


(今日は僕の都合に巻き込んでばかりだから、姫花には何かとびっきりのお礼をしないと)


 そうして、双方共に話し合う準備ができた後、仲原さんはゆっくりと口を開き、僕にこんなことを尋ねてきた。


「…朔さんは、私が三年前の今日、あなたのお母様と出会ったというのはご存じでしょうか?」


 僕は仲原さんからの問い掛けに、「いえ、初耳です」と首を横に振ってみせる。

 あの日、母さんと交わした会話の内容は今でも鮮明に覚えているが、母さんの口から仲原さんの話が出てくることはなかった。

 そんな僕の反応を見た仲原さんは、「そうですか」と呟き、


「三年前の夕方三時頃、私は水本部長のお家に向かいました。そこで、朔さんのお母様と出会ったのです。その時のお母様は、お買い物袋を持っていらっしゃいました」


 と、その時の状況を説明し始める。

 僕はその説明を聞き、小さく「…あっ」と声を上げた。


 確かにあの日の夕方、母さんが一人で買い物に出掛けて行った時間があった。


 まさか、その時に仲原さんと会っていたなんて…。

 仲原さんの口振り的に、母さんとはその時が初対面であったような感じだったので、あの日のどのタイミングで母さんと初めて出会ったんだと疑問に思っていたが、僕の謎が一つ解けた。

 しかし、まだまだ謎は沢山あるので、「質問よろしいでしょうか?」と僕は仲原さんに伝え、


「どうしてその時、仲原さんは僕たちの家の前にいたのですか?」


 と気になった部分の質問を行う。

 すると、仲原さんは僕のその質問にこう答えてくれた。


「あの日、私はとある仕事の関係で昼から外へと出ていたのですが、その出先で、私は水本部長が事故に遭ったということを知りました。そして、その時私は朔さんたちのお家の近くにいたということもあり、お家へと向かったのです」


 また、僕の家の場所を知っていたことについては、以前あの地域に父さんと仕事でやって来た時に、父さんが教えてくれたとのことだった。

 僕は仲原さんの説明に「なるほど」と相槌を打ち、「答えていただきありがとうございます」と返事をして、話を続けてもらうようにお願いした。


 そして、仲原さんは一拍置き、ぽつりぽつりとこう話し始める。


「そして、私は朔さんのお母様とお家の前で出会い、お母様から水本部長が亡くなったという話を聞きました。…本当は、その前にきた連絡で水本部長が亡くなったことは知っていたのですが、私には、どうにもそれを受け入れることができなかった…。水本部長は、私たち後輩社員にとてもよくしてくださいました。だからこそ、私は自分の目で安否を確認するまでは、その話を信じたくはなかったのです。しかし、お家の前でお母様から話を聞き、本当に水本部長が亡くなったのだと頭が理解しました」


 仲原さんから直接家に向かった理由を聞き、僕は仲原さんの気持ちに同情を隠せなかった。

 例えばだが、いきなり自分の知り合いが事故に遭ったという連絡がきたとしたら、僕も仲原さんと同じ行動を取るだろう。


 どうかその話が嘘であって欲しい。


 きっと僕もそう思い、自分の目や耳で本当のことを知るまでは、現実を受け入れることなんてしない…。

 いや、できないと思う。


 僕はここまで仲原さんから話を聞き、仲原さんが「悪い人」ではないと確信を持った。

 仲原さんは、父さんのことを会社の上司として、また一人の人間として、とても尊敬を抱いているように見える。


 だからこそ、


『朔さんのお母様が亡くなられた原因は、私にあるんです…っ』


 という仲原さんの言葉が、僕にはどうしてもこの状況と結び付かない。


 …いや、僕には一つだけ、それも間違いないだろうという「推測」が頭に浮かんでいる。


___ここからの話を聞くのは、怖い。


 でも、僕は父さんと母さんの「子ども」として、この話を聞く「義務」がある。


 話を聞いた後、聞かなければ良かったと後悔をすることがあるかもしれない。


 それでも、三年前のあの日、どうして母さんが「死」を選んだのか、その理由を僕は知らなければならない。


 そして、僕は小さく深呼吸をした後、仲原さんにこう尋ねた。


「その時、仲原さんと母さんの間に、一体何があったのですか…?」


 僕のその問い掛けに、仲原さんは表情を強張らせる。

 そこには、自分を「責めている」ような、そんな色が浮かび上がっていた。




 そうして、仲原さんは「僕の知らないあの日」の話を始めたのだった___。






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