#101 二人きりの勉強会
葉が綺麗な紅色へと染まり始め、吹き抜ける風に冷たさを感じる十一月の初週、僕は模試を受けるために朝から電車に乗ってとある塾校舎を訪れていた。
今日受ける予定の模試は、帝東大学の二次試験に特化した模試であり、本番さながらの試験問題を受けることができる。
受けておいて損がないのはもちろん、どんな人たちが東大を受験するのか知ることもできるため、僕はこの模試を受けることに決めた。
試験は一日を通して行われるということで、中々にハードな日程ではあるが、今日のこの模試はきっと僕に良い刺激をもたらしてくれるだろう。
そして僕は、模試会場となっているその塾校舎の中に足を進めた。
中に入ると、恐らく同じ模試を受けるであろう生徒たちの姿があり、僕は彼らや校舎内に視線を向け始める。
…実は今日、僕は密かに塾へ来るのを楽しみにしていた。
というのも、これまでの人生で塾に通ったという経験がないからだ。
そのため、僕は初めて見る塾の光景に目新しさを覚える。
そんな感じでワクワクもしつつ、僕は案内に沿って指定の教室へと移動し、自分の番号の机に向かった。
僕の机は窓側の一番後ろの席であり、「どこでもこの場所だなぁ」なんて思いながら僕はその席に腰を下ろす。
三年生が始まった初日から、僕たちのクラスの座席は変わっていない。
二学期が始まってすぐに席替えの機会があったのだが、「今の席が良い!」という人がほとんどであり、反対意見もなかったことからそのままとなったのだ。
その日は姫花と席が離れなかったことに一日中嬉しい気持ちでいっぱいだったことは記憶に新しい。
そんな縁のある座席位置に安心感を覚えつつ、僕は教室の中を見渡した。
教室の中には既にほとんどの生徒が集まっており、意外と賑やかな様子が広がっている。
それでも僕の目にはみんなが賢そうに見えてしまってはいるが、それはまぁこういった機会でのあるあるのような気がするので、あまり気にしないでおく。
ここに来るまではもっと緊張感でピリピリとしているのではないかと身構えていたこともあり、馴染みのある「高校生感」とでも言えば良いのだろうか、そんな良い意味で堅苦しくない雰囲気に僕は気を楽にした。
彼ら彼女らも、僕と同じ普通の高校生なのだ。
東大を目指しているような人たちだからといって、身構える必要なんてどこにもない。
そして僕は、ポケットの中に手を入れ、自分のスマートフォンをポケットから取り出す。
そのままメッセージアプリを開き、僕はつい先ほど姫花から送られてきたメッセージに目を向けた。
『がんばってね!!』
僕は姫花からのそんな応援メッセージに、自分の口元が緩むのを感じる。
(姫花、僕がんばるよ)
そうして、好きな女の子からの応援に力をもらった僕は、もうすぐ始まる長い一日の「戦い」に、改めて気合いを入れるのだった。
***
夜の十時頃、お風呂や歯磨きを済ませて自室に入った僕は、そのまま引き寄せられるようにベッドへダイブする。
今日は流石に一日模中模試を受けて疲れてしまったので、今日はこのまま眠ろうかなんて思いながら、僕は仰向けになって天井を見つめた。
今日の模試だが、僕的にはかなりの手応えを感じている。
難しいところはあったものの、ひとまずどの教科も最後まで問題を解くことができたのは大きな収穫だ。
模試とはいえ、本番に近い問題をしっかりと解くことができたという事実は、僕に自信を与えてくれる。
そんな模試の達成感もあり、帰りは最寄り駅近くのラーメン屋さんで、ラーメンにセットの炒飯も付けてしまった。
おかげでお腹は今もいっぱいだが、たまには気分任せのこんな日があっても良いだろう。
そして僕は、天井に向けて一度小さくあくびをした。
各教科の問題用紙に加え、解説付きの冊子が模試終わりに配られたので、明日はそれを見ながら躓いたところを中心に復習をしようと決め、僕は部屋の電気を切るために一度起き上がる。
そのまま電気を切った後、僕は再びベッドへ横になった。
そうして目を瞑ろうとすると、スマホを充電器へ挿し忘れていることに気付き、僕は枕元にあるスマホへと手を伸ばし始める。
ちょうどその瞬間、僕のスマホに着信が入った。
そのまま画面に表示されている電話相手の名前を見て、それが誰からの電話なのかを確認した僕は、電話に出るために応答ボタンをタップした。
すると、
『もしもしっ』
という姫花の声が聞こえてきたので、僕も「もしもし」と返事をすると、
『いきなりごめんねっ』
と姫花は言い、続けて『朔、今日はお疲れさまっ!』と僕に労いの言葉を掛けてくれた。
「姫花、ありがとうっ」
模試が終わった後、僕は姫花とメッセージのやり取りをしたが、姫花はどうやら直接僕に労いの言葉を伝えたくなったらしく、こうして電話を掛けてくれたようだ。
姫花の電話を掛けてくれた理由に、僕の心は嬉しさでポカポカと温かいものが広がる。
『朔は今何してたのっ?』
「僕は今から寝ようかなって思ってたところだよ」
『えっ!寝ようとしてた時に電話しちゃってごめんっ!』
「あははっ、全然良いよっ」
僕が寝ようとしていたことを知って、姫花からは申し訳なさそうな声が聞こえてくるが、模試終わりの興奮冷め止まぬ感じが残っているのも事実であり、僕は「誰か」に今日の話をしたいなぁなんてことを密かに思っていた。
だから僕は、
「姫花、良かったらこのまま今日の模試の話、聞いてくれる?」
と姫花に声を掛ける。
…「誰か」なんて言いつつ、話したかった相手が最初から決まっていたことは内緒だ。
そうすると、姫花から『聞かせてっ♪』という弾んだ声が返ってきたので、僕は「えっとね…」と今日一日の出来事を話し始めた。
そこから僕と姫花は、お互いに寝転びながら電話で楽しくお喋りをし、その電話は僕が途中で寝落ちてしまうまで続いたのだった。
***
「四宮先生、今日もありがとうございました!」
「ふふっ、良いのよ」
現在、僕は四宮先生と進路相談室にいる。
何故かというと、二日前に受けた模試のことで四宮先生に質問があったからだ。
放課後を迎えてから十分ほどが経過し、ちょうど今、僕はその質問箇所を聞き終えたところである。
「それにしても、川瀬くんは本当に凄いわね」
分からない箇所を教えてもらい、スッキリ感を覚えていると、四宮先生がしみじみとそんな言葉を口に出した。
突然の褒め言葉に、「そんなことないですよ」と照れた様子を浮かべる僕に対し、
「謙遜しなくても良いのよ。こんなに難易度の高い東大模試の問題を、川瀬くんは満点が取れそうなくらい解くことができているんだもの。これはとても素晴らしいことよ」
と言いながら、四宮先生は優しい笑顔を向けてきている。
そして、
「私も負けてられないわね」
と四宮先生は言葉を続けた。
この前聞いたことだが、どうやら四宮先生は僕の質問に何でも答えることができるようにと、最近は更に数学の勉強に力を入れているようだ。
その過程で休みの日は度々辻先生と一緒に数学の勉強会もしているそうで、たまにその話を(惚気話を)聞かされたりもするが…、四宮先生がここまで熱心にサポートをしてくれているということに、僕は嬉しさが止まらない。
僕が分からないところの質問をすると、四宮先生はいつも分かりやすい説明をしてくれる。
その裏には四宮先生の弛まぬ努力が隠されていることを知り、最近はより四宮先生への感謝の気持ちが強くなった。
こんなに生徒のために尽くしてくれる素敵な先生のためにも、僕は絶対に良い報告を届けたい。
「僕も、もっともっとがんばります!」
そうして僕は、とっても頼りになる世話焼きな先生に笑顔を返した。
進路相談室を出た後、僕は教室へと向かい、その扉を開いた。
「あっ!朔お帰りっ♪」
教室の中には席に座っている姫花の姿だけがあり、僕は自分の机へと移動して、その机を隣の姫花が座っている机にくっ付ける。
「待たせちゃってごめんね」
「うぅん、全然大丈夫だよっ♪」
そして僕は、カバンの中から勉強道具を机の上に取り出し始めた___。
今日の昼休み、いつものように姫花と悠斗と南さんと一緒に昼ごはんを食べ、教室へと四人で戻っていた時のこと、僕は隣を歩いていた姫花にこんな「お願い」をされた。
「…今日の放課後、朔さえ良ければ勉強を教えて欲しいのっ」
そのまま姫花が言うには、今自分が復習をしている部分に分からない箇所があるということで、そこを僕に教えて欲しいとのことだった。
もちろん僕には断る理由などないので、「良いよっ」と僕は頷きを返す。
すると、姫花は「やった♪」と嬉しそうに顔を綻ばせ、それを僕に向けてくれた。
その姫花の表情があまりにも可愛くて、僕の顔が熱くなったのは言うまでもない。
そして僕は、そのまま姫花と放課後に勉強会をする約束を交わした。
ちなみにだが、今日の勉強会は姫花と二人きりである。
というのも、その後悠斗と南さんも誘ってはみたのだが、共に「今日は予定があるから」と返事をしてきたからだ。
しかし、その時の二人の顔はいつものニヤついた表情だったので、あれは間違いなく僕と姫花に気を遣ったのだろう。
気を遣われたことに恥ずかしさを感じてはいるが、二人のおかげで「初めて」姫花と二人だけの勉強会をすることにもなったので、明日はこの状況を作ってくれた悠斗と南さんにこっそり感謝を伝えることにしよう。
___そうして勉強道具を取り出した僕は、隣に座っている姫花の方に顔を向ける。
すると姫花は、
「朔先生っ、よろしくお願いしますっ♪」
と言いながら、楽しそうな表情を浮かべた。
僕はそれにクスっと笑みを浮かべ、「生徒」の姫花に一つずつ勉強を教え始める。
そのまま僕たちは、下校時間が来るまで「二人きりの勉強会」を楽しむのだった___。
☆☆☆
「それじゃあ僕は帰るね」
そう言って手を振りながら駅の方へと戻って行く朔のことを、私は手を振り返しながら見つめ続ける。
___勉強会が終わった後、なんと朔が私のことを自宅まで送ってくれたっ!
朔が送ってくれる理由で、
「姫花のことが心配だから」
なんてことを言ってきた時は、「好き」が溢れすぎて思わず抱き着いてしまいそうになったが、学校ということもあり、何とかその時の私はその気持ちを堪えることに成功した。
とか言いつつ、結局我慢できずに朔の腕に抱き着いてしまったのだが…。
…というか、「二人きりの勉強会」ですら初めてでドキドキしてたのに、終わった後にあんなカッコいいことを言ってくるなんて反則っ!
あの時の私は、間違いなく顔を真っ赤にさせていただろう。
何なら今も顔が熱いような気がしているが、それと同じくらい、私の胸の中には温かいものが広がっている。
「…朔、大好きっ」
今日は、本当に素敵な一日になった。
みんなと勉強をするのはもちろん楽しい。
でもそれ以上に、朔と二人でする勉強の時間は、本当に、本当に幸せな時間だった。
「また二人で一緒に勉強しようね」と朔は優しく言ってくれたので、これからも二人で勉強ができたら良いなっ。
私はそんな幸せを噛み締めながら、暗くなった空へと顔を見上げる。
すると、夜空には雲一つなく、幾つもの綺麗な星が瞬いていた___。
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