#95 特別







 蒸し暑さを感じさせる八月の半ば、今日は花火大会が開催される日である。

 去年は戌亥さんや柄本さんたちと行ったこの花火大会だが、今年は愛野さんと南さん、それに悠斗の三人と一緒に行くことになった。

 現在、僕と悠斗は花火大会が行われる場所の最寄り駅におり、愛野さんと南さんの到着を待っているところである。

 そんな僕と悠斗は、その身に浴衣を纏っている。

 というのも、今回の花火大会はみんなで浴衣を着てこようと事前に約束を交わしていたからだ。

 そのため、愛野さんと南さんも浴衣を着てくる予定であり、二人の浴衣姿は僕と悠斗の密かな楽しみとなっている。


 そうして、しばらく二人で女性陣の浴衣姿について楽しく予想し合っていると、


「お待たせーっ!」


 という南さんの声が聞こえてきた。

 その声の方に視線を向けると、浴衣姿の南さんと愛野さんがそこにおり、僕と悠斗は予想をしていたにも関わらず二人に見惚れてしまう。

 二人の姿は、それほどまでに魅力的だった。

 南さんの浴衣姿を見るのはこれが初めてだが、南さんは髪を後ろで一つに結び、自身の髪色と同じ青っぽい浴衣を着て、普段の活発な感じとはまた違った雰囲気を見せている。

 そんな南さんは悠斗に近付き、


「あれぇ~?北見ってばボクに見惚れちゃったのーっ?」


 と言いながら、悠斗にニマニマとした笑みを向け始めた。

 悠斗はそれに頬を赤く染め、


「は、はぁ!?別に南になんか見惚れてねぇっつうの!」


 と言い返しているが、僕からはどう見てもそれが照れ隠しにしか見えず、南さんもそうだと気付いているようで、更にその揶揄いを含んだ笑みを深くしている。

 そんな二人のやり取りを微笑ましく思いつつ、僕はゆっくりと愛野さんの方に視線を向けた。


「川瀬お待たせっ♪」


 ちなみに今の僕は、周りに音が響いているんじゃないかと思うくらい心臓をバクバクとさせている。


 今日の愛野さんは、淡いピンク色の浴衣を身に纏い、おでこを出したヘアアレンジをしていた。


 その髪型と浴衣の破壊力は凄まじく、僕はそんな愛野さんから目が離せない。


(めちゃくちゃ可愛い…)


 そんな愛野さんのあまりにも素敵な姿を胸の内で噛み締めていると、愛野さんは突然その顔を真っ赤にし、


「も、もぅ!川瀬ってばっ!」


 と言いながら、僕のことを去年のようにポコポコと叩いてきた。

 それと同時に、僕も「…あっ!」と思わず声を上げ、その顔が熱くなるのを感じ始める。


 どうやら僕は、心の中で思っていたことをそのまま口に出してしまっていたようだ。


 伝えようと思って感想を伝えるのと、意図せず感想が伝わってしまうのでは大きな差があり、僕はその特大のやらかしに身悶えしそうになってしまう。

 ただ、思わず感想を口に出してしまうほどの衝撃があったのは疑いようのない事実だ。

 そもそも、こんなに可愛い浴衣姿を見て、気持ちを抑えることなんてできるはずがないのである。

 そのまま一人で開き直り始めると、次第に心が落ち着きを取り戻してきた。


 そして、僕はホッと小さく息をはき、自分の心を整える。


___そんな時、愛野さんが僕に上目遣いを向けながらこんなことを言ってきた。


「川瀬の浴衣姿も、その、とってもカッコ良いよ…っ?」


 …結局、僕は自分の恥ずかしさが限界を迎えた___。


 僕は、自分の赤くなっているであろう顔を袖部分で隠し、愛野さんから顔を反らす。

 まるで顔からは火が出ているようだ。

 今はもう恥ずかし過ぎて、まともに愛野さんの顔を見れる気がしない。


 そうして顔を隠して身悶えしていると、


「二人とも顔を隠して何やってるのっ?」


 と南さんが声を掛けてきた。

 南さんの言葉を受け、チラッと愛野さんの方を見てみると、愛野さんも両手で自分の顔を隠し、僕と同じような様子を浮かべていた。

 すると、両手の隙間からこっちを見てきている愛野さんとバッチリ目が合ってしまい、また僕たちはお互いに顔を隠し始める。

 そんな僕と愛野さんのやり取りを見た南さんは、


「もぉ~っ!二人とも可愛過ぎだよぉ~っ!」


 と言い、悠斗と一緒に生温かい視線を向けてきた。


 その後、僕と愛野さんが落ち着きを取り戻すまで、二人の顔にはニヤニヤとした笑みが浮かび続けるのだった。










***










 花火大会の会場へやってきた僕たちは今、出店をゆっくり見ながら楽しく歩いているところだ。

 並び順は、前に悠斗と南さん、後ろに僕と愛野さんという配置である。

 去年同様、今年も沢山の人が会場に訪れており、僕たちは離れないようにぎゅっと集まりながら移動を行う。

 そうして四人でしばらく歩いていると、悠斗が後ろを振り向き、


「あのたこ焼き買っても良いかっ!?」


 と言ってきた。

 もちろん断る理由などないので、僕と愛野さんは悠斗に頷きを返す。

 そのまま僕たち四人はたこ焼きの出店に向かい、たこ焼きを買うための列に並び始める。

 その列に並んでいると、たこ焼きの出店の隣に気になる食べ物を見つけたので、


「愛野さん、ちょっとだけ隣の出店に付いてきてもらっても良い?」


 と僕は愛野さんに声を掛けた。

 愛野さんからは「良いよっ」と返事が来たので、僕は悠斗と南さんにも隣の出店に行くことを伝える。


「全然良いぞ!」


「ボクは北見と列に並んでおくから、二人は気にせず行ってきて良いよーっ」


 それぞれ二人からそんな了承が返ってきたので、僕と愛野さんは隣の出店に向かった。

 そして、その出店の列に並び始めると、


「川瀬はりんごあめが食べたいのっ?」


 と愛野さんが尋ねてくる。


 そう、ここは、りんごあめを販売している出店だ。


 実際、出店の前にはでかでかとりんごあめの文字が書かれており、愛野さんは僕がりんごあめを食べたいと判断したのだろう。

 しかし、僕が気になったのはりんごあめ…の方ではなかった。


「あははっ。実はりんごあめじゃないんだ」


 愛野さんにそう言葉を返していると、すぐに自分の順番が回ってきたので、僕はお店の人に「パインあめを一つください」と伝えた。

 そしてそのパインあめを受け取り、僕たちは悠斗と南さんの元へと戻る。

 すると、案の定二人はまだもう少し時間が掛かるという感じだったので、僕と愛野さんはたこ焼きの出店の横にずれ、邪魔にならない位置で二人のことを待つことにした。


「川瀬が食べたかったのってパインあめだったんだねっ」


「うん。去年戌亥さんが食べているのを見て、密かに気になってたんだ」


 そんな感じでさっきの答え合わせをしつつ、僕はそのパインあめを一口食べる。

 すると、表面の甘さとパインの爽やかな風味が口の中いっぱいに広がり、りんごあめにも負けず劣らずの美味しさを僕は感じた。


「どう、美味しいっ?」


「美味しいよっ」


 僕がパインあめを食べると、愛野さんがそうパインあめの感想を尋ねてきた。

 僕と同じく、どうやら愛野さんもこれまでにパインあめを食べたことはないそうで、僕の味の感想に「へぇ~っ!」と興味深そうに相槌を打っていた。

 そんな愛野さんを見た瞬間、ふと頭に良いアイデアが浮かんだ僕は、そのまま「愛野さんも食べてみて」とそのパインあめを愛野さんの方に向け、一緒に食べようということを提案する。


「…えっ!?」


 僕の提案に愛野さんはびっくりとし、僕が買ったものだから食べるのは申し訳ないと遠慮した素振りを見せるが、気にしないで欲しいということを念押しすると、愛野さんは「わ、分かったっ」と恥ずかしそうに頷いてくれた。

 そして、愛野さんは僕からパインあめを受け取り、顔を紅潮させながらパインあめを一口食べる。


「…あっ、美味しいっ!」


 パインあめを食べた愛野さんは、その美味しさに頬を緩め、美味しいという感想を僕に伝えた。


 そこから僕と愛野さんは、一口食べてはお互いに渡すというのを何度か繰り返し、一緒にパインあめを食べ進める。


 二人で感想を言い合いながら食べるパインあめは、何だかとっても甘く感じた。


 後半は僕が一人で食べたのだが、愛野さんが食べていた側を食べる時は「間接キス」を意識してしまい、自分が提案したことながらかなり恥ずかしかったと言っておこう。

 間接キスを意識するのは今回で二度目だが、これは何度経験しても慣れることはなさそうである。


 少しすると、二人がたこ焼きを買い終わってこっちに来たので、僕と愛野さんは二人と合流する。

 そのまま再び人の流れに乗りながら四人で歩いていると、左手から温かい感触が伝わってきた。


 左手の方に視線を向けると、愛野さんの右手が僕の手を掴んでいるのが目に入ってくる。


「えと、これは、川瀬がさっきかんせ…じゃなくてっ、『恥ずかしいこと』をした罰だからっ!」


 「恥ずかしい」ことというのは、間違いなくさっきの間接キスのことだろう。

 愛野さんは頬を赤らめ、恥ずかしそうな顔で僕にそう言ってきた。


 どうやら愛野さんを恥ずかしくさせた罰として、僕は愛野さんと手を繋がなければいけないらしい。


 そんな何とも可愛らしい罰に、僕は思わず笑みを浮かべた。

 むしろ罰というよりご褒美のような気もするが、愛野さんが罰というなら罰なのだろう。


 そうして僕と愛野さんは、お互いの指を絡ませ合った。


 怒ったフリをしていた愛野さんだが、今は「えへへっ♪」と満面の笑みを僕に向けてきている。


 それを見た僕は、やっぱりこれはご褒美だなぁと思った。










***










 もうすぐ花火の打ち上げが始まろうとしている頃、僕たち四人は会場から少し離れた場所にいた。


 少し前に会場近くの観覧ゾーンに行ったのだが、今年は例年よりも更に混雑をしているようで、中に入ると身動きが取れなさそうな状況だった。

 そのため、どこか他の場所で見た方が良いのではないかという話になり、


「それなら良いところがあるぜっ!」


 と悠斗は言い、僕たちをここに連れて来てくれた。

 悠斗曰く、人も少なくて花火も真正面に上がるから見やすいとのことだったが、実際この場所にはちらほらとしか人の姿はなく、かなりの穴場であるように僕は感じる。


 そうして少しすると、時間通りに花火の打ち上げが始まった。


 悠斗が言っていた通り、ここから見る花火はとっても見やすく、少し会場から距離があるなんて感じないほど、視界いっぱいに花火が映し出された。


「花火、とっても綺麗だねっ♪」


 次々と打ち上がる花火に見入っていると、すぐ隣にいる愛野さんが僕にそう声を掛けてくる。

 ちなみに僕と愛野さんの手は繋がったままであり、今も左手からは幸せな感触が伝わってきていたりする。


「うん、そうだねっ」


 僕は、そんな愛野さんの言葉に頷きながら、そっと自分の心臓部分に右手を当てた。

 僕の心臓は、ドキドキと大きな鼓動を奏でている。

 愛野さんと手を繋いでいるということはもちろんだが、こうして愛野さんと花火を見ることができているという状況に、僕は幸せを強く感じているようだ。

 そんな気持ちに背を押されながら、僕は隣にいる愛野さんの方に顔を向けた。

 すると、それに気付いた愛野さんもまた、僕の方に顔を向けてくる。


「愛野さん、少し話があるんだけど…良いかな?」


 僕が突然そう口に出すと、愛野さんは何だろう?という感じで首を傾げたが、


「うん、良いよっ」


 と返事をしてくれた。


 今日の僕は、元々愛野さんと「この話」をするつもりでいた。


 でも、本当は花火が終わった後に話そうかなと思っていたので、実は今、愛野さんにこの話を振ったのは完全に無意識である。

 そのため、予想外の展開に少し緊張をし始めているのだが、もう口に出した後であるため、僕はそのまま愛野さんにこう話を切り出した。


「実はね、愛野さんと『保留』の件で話したいことがあるんだ」


 僕の口から「保留」という言葉が出た瞬間、愛野さんは顔を強張らせ、繋がっている手からもぎゅっと力を込めたのが伝わってくる。


「つまり…『告白』のこと、だよね?」


「うん」


 修学旅行の三日目、僕は愛野さんから告白された。

 しかし、その告白は「保留」という形になり、僕たちは何とも不思議な関係性を維持したまま、今日まで過ごしてきた。

 告白をした側とされた側…それは確かにそうなのだが、僕と愛野さんのことを言い表すのはそれだけでは足りないような、そんな気がしている。

 この関係性のままいるのは、確かに心地良い。

 今日までの毎日を思い返し、僕は実感を持ってそう胸の内で答える。


 …だけど考えることがある。


 それは、本当にこのままで良いのだろうか?ということだ。


 あの時は「好意」というものを受け入れられず、距離を取って否定することしかできなかった僕だが、今は違う。

 僕は前を向き始めたことで、想いの温かさというものを受け入れることができるようになった。

 だからこそ、今から僕は愛野さんにあることを伝えたいと思っている。

 そして僕は深呼吸をし、愛野さんにこう口を開いた。


「愛野さんは、いつまで僕のことを待っていてくれる?」


 緊張で少し体を固くしながらそう尋ねると、愛野さんはびっくりしたような表情を浮かべた。

 恐らく僕がそんなことを聞いてくるとは思わなかったのだろう。

 そのまま愛野さんは「えぇと…っ」と照れくさそうな様子でもじもじとしながら、


「いつまでも待てるよっ」


 と僕に伝えてくれた。

 その返事を聞いた僕は、そこから愛野さんの確かな「想い」を感じ取り、胸が熱くなり始める。


 そうして僕は、「決意」を自分の胸に宿し、愛野さんに真剣な顔を向けた。


 そのまま愛野さんの綺麗な瞳を真っ直ぐ見つめ、「特別な想い」を声に乗せながら、僕はこんな言葉を紡ぐ。




「三月の卒業式。その式が終わった後、僕に時間をくれませんか?」




 それを聞いた愛野さんは、ハッとしたように目を大きく開き、「それって…っ!」と「何か」を期待するような顔を僕に向けてくる。

 僕は愛野さんに頷きを返し、その「何か」であることを肯定してみせた。


「えっ、これ、夢じゃないよね…っ?」


 そのまま愛野さんは本当に嬉しそうな表情を浮かべ、その瞳を涙で潤ませ始める。


「もう少し待たせるなんていう身勝手を押し付けてしまって、本当にごめん」


 …本当は、今にも溢れ出してしまいそうなこの想いの全てを、愛野さんに伝えたい。


 だけど、僕はまだ前を向いて歩いている途中だ。


 こんな中途半端なところで、僕はこの気持ちを伝えることなんてできない。

 …というのは言い過ぎかもしれないが、僕は胸を張って愛野さんにこの気持ちを伝えたいと思っている。


 前を向く「希望」をくれた愛野さんに、前を向くことができた姿を堂々と見せたい___。


 卒業式ならそんな姿を見せられるのではないかと思い、僕はそこを約束の日にした。

 一月の進路希望調査で四宮先生に志望理由を伝えた時と同じく、僕は自分が納得のいく形でその想いにしっかりと応えたいのである。

 父さんや進さんもそうだが、僕たち「水本」の男子は変なところで意地を張るところがある。

 今回のこれは、「水本らしさ」が顔を出した結果と言えるだろう。


 そんな個人的な理由で愛野さんを待たせてしまうことに、僕は本当に申し訳ない気持ちとなるが、


「身勝手なんかじゃないよっ。保留にして欲しいって言ったのは私だもん。それに、川瀬は今こうして私の気持ちに向き合ってくれてるでしょ?だから全然大丈夫だよっ♪」


 と愛野さんは優しい言葉を返してくれる。

 そんな愛野さんの優しさを受け、僕の心は陽だまりのようにぽかぽかとした温かさに包まれた。


 そうして僕は愛野さんに笑顔を向け、こんな言葉を愛野さんへ届けることにした。




「愛野さん。僕を好きになってくれて、本当にありがとうっ!」




 これは、修学旅行のあの日、僕が愛野さんに伝えることができなかった「本心からの」言葉だ。


「どういたしましてっ♪」


 僕のそんな言葉に愛野さんは涙を流し、咲き誇るようなとびっきりの笑顔を見せてくれる。


 それは、今も夜空を彩っているどんな花火よりも「綺麗」だと思った。


 そのまま花火の方に顔を向けるが、案の定僕の頭の中は愛野さんことでいっぱいだった。

 楽しそうな顔、嬉しそうな顔、怒った顔、困った顔、寂しそうな顔、幸せそうな顔___、色々な愛野さんの表情が頭の中によぎり始め、僕はその全てに愛おしさを覚える。

 怒ったり困ったりしている顔ですらそう感じてしまうのは、僕にとって愛野さんが「特別」であるからだろう。


 僕は、この状態が何であるのかをもう既に知っている。


 そのまま横にチラッと視線を移動させると、キラキラとした瞳で夜空の花火を見つめながら、幸せそうに頬を緩める愛野さんの表情が僕の視界に入ってきた。


 僕は、そんな愛野さんに目を奪われる。


 それと同時に、僕の胸は花火に負けないくらいドキドキと大きな音を高鳴らせた。


 そして僕は、フワフワとした心地良い感覚にその身を委ねながら、心の中でこう思った___。










___あぁ、やっぱり、僕は愛野さんのことが「好き」だ。










 どうやら僕、川瀬朔は、愛野姫花さんに「恋」をしているらしい___。






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