#93 海







「夏だっ!海だっ!ひゃっほー!」


 夏休みが始まってしばらく経った七月の最終日、今日僕たちは電車に乗って海へとやってきた。

 悠斗が大はしゃぎで海に駆け出していくのを眺めていると、


「もぉ~北見って本当にガキだよねーっ」


 と、南さんはやれやれといった感じで僕に話し掛けてくる。

 そのまま南さんと話していると、


「おーいっ!南もこっち来いよっ!」


 という悠斗の呼ぶ声が聞こえ、「仕方ないなぁ~っ」と言いながらも南さんは悠斗の方へと向かい、二人で水のかけ合いを始めた。

 なんだかんだ言いつつ、南さんも悠斗と同じように海を楽しんでいる様子であり、本当に似た者同士だなぁと思いながら僕はクスっと笑みを浮かべる。


 今日のこの海へのお出掛けは、悠斗たっての希望により実現した。


 先日、悠斗は夏の大会を終え、昨日が部活の引退式であったらしい。

 そして、ここからは受験勉強に本腰を入れていこうということで、今日をその区切りとし、明日から気持ち新たに勉強へ取り組むのだそうだ。

 元々みんなでどこかに行きたいとは話していたため、僕たち三人は悠斗の提案を快諾した。

 僕も、今日は一旦勉強のことは横に置いておき、みんなと楽しく遊ぶことに決めている。


「ねぇ川瀬、どうしてさっきから向こうばかり見てるのっ?」


 なんていうことを考えていると、愛野さんからそう声を掛けられ、僕はほんの少しだけ現実逃避させていた意識を元に戻す。

 悠斗が海へと走っていき、南さんと話していた間も、実は愛野さんは僕の隣にずっといた。

 しかし、僕は訳あって愛野さんの方を見ることができないでいるのだ。


 それは、愛野さんが水着を着ているからである。


 水着といっても、上にはTシャツを着て、下にはホットパンツを履いているため、水着が完全に見えているという訳ではない。

 南さんも同じような装いではあるのだが、どうしても愛野さんに対しては胸のドキドキが止まらないでいる。

 特に、愛野さんはTシャツをお腹の辺りで結んでいるため、その綺麗なウエストが露わになっており、視線をどこに移せば良いのか分からないのだ。

 愛野さんは、僕がそんな理由で目を合わせないことにはとっくに気付いているようで、クスクスと楽しそうに笑いながら僕の視界に入ってこようとする。

 僕は愛野さんが視界に入ってこようとするのを懸命に躱すも、


「えいっ♪」


 と愛野さんに顔を優しく両手で掴まれてしまった。

 そのため、僕の視界には楽しそうな表情を浮かべた愛野さんがバッチリと映り込んでくる。

 こうなってしまっては視線を反らすのも無理なので、僕は自分の顔が熱くなるのを感じながら、


「えと、その、とっても可愛い…です」


 と、自分の気持ちを真っ直ぐ愛野さんに伝えた。

 その感想に、愛野さんは「えへへっ♪」とくすぐったそうな笑みを浮かべ、


「ありがとっ♪」


 と返事をしてくれたのだった。


 その後も、僕はしばらく愛野さんの水着に胸を高鳴らせた。










***










 時刻はお昼となり、僕たち四人は海の家で昼ごはんを食べることにした。

 僕たちが来ているこの場所は海水浴場であるため、ごはんを食べる場所などの休憩施設がいくつか隣接している。


「朔はよくこんな穴場を知ってたなっ!」


「あははっ、実は小さい頃に一度来たことがあったんだ」


 この海水浴場は、小学生の頃に父さんや母さん、それに進さんたちと一緒に来たことがあった。

 悠斗が穴場と言っていたように、ここにはそれほど多くの利用客はおらず、そのほとんどが家族で遊びに来ているような人たちばかりで、いわゆるナンパ目的などの人たちはどこにもいない。

 悠斗が海に行きたいと言った時、僕は愛野さんや南さんがナンパされる可能性を危惧し、この海水浴場のことを提案した。

 当時から何年も経っているが、あの頃からこの場所の「過ごしやすい」雰囲気は変わっていないようだ。


「海も綺麗だし、ボクはここ気に入ったよーっ」


「だねっ♪」


 電車で少し距離があるため、もしかしたらもう少し近くの方が良かったかなとも思っていたが、二人が気に入った様子を浮かべてくれていたので、僕はホッとした。

 そうしていると注文が届いたので、僕たちは一緒に昼ごはんを食べ始める。

 僕たちが頼んだのは、冷たいうどんと飲み物のセットだ。

 悠斗はそこにかき氷も頼んでおり、一口食べて「うわっ!頭がキーンってする!」と言いながら頭を押さえていた。

 そのままうどんを食べ進めていると、


「いやぁ~それにしても、ナンパをしてくる人がいなくて良かったね~」


 と言いながら、南さんがニヤニヤとした視線を僕に向けてきた。

 間違いなく南さんが言ってきているのは愛野さんのことだろう。

 僕は頭でそのことを理解し、条件反射で前に座っている愛野さんの方を見つめた。


 もし場所がここじゃなかったら、愛野さんは絶対に誰かから声を掛けられていただろう。


 愛野さんは、誰もが認める学校一の美少女だ。

 それほどの女の子を、ナンパをする人たちが見逃すなんてことはないはずだ。

 僕は、愛野さんがそんな人たちにナンパされているところを想像し、少しムッとしてしまう。


(愛野さんが他の人に言い寄られるのは何だか嫌だ)


 すると、そんな僕の顔を見た南さんと悠斗は、何故か声を出して笑い始めた。


『『川瀬くん(朔)って、意外と独占欲強いよねーっ(よなっ)』』


 それに、愛野さんも頬を赤く染めて何故か嬉しそうな表情を浮かべており、どうやら三人は僕の様子から何かを読み取ったらしい。

 愛野さんは別として、二人からは揶揄われているような気がしたため、


「何で笑うのさっ!」


 と僕は二人に抗議の視線を送る。


「はははっ!いや、朔は分かりやすいなって思ったんだよ」


「そうそうっ、川瀬くんはやっぱり可愛いねっ!」


 そこから僕は、南さんと悠斗に「可愛い」と言われ、謎にいじられ始めるのだった。










***










 昼ごはんを食べ終わった後、僕たちは砂浜でビーチボールをして遊んだ。

 ネットはないのでラリーを続けるというのがメインの簡単なルールだが、それがかなりの盛り上がりを見せ、白熱したゲームとなった。

 チームは僕と愛野さん、悠斗と南さんのペアに分かれてゲームを行い、結果は僕と愛野さんのチームが勝利を収めた。

 そして今、僕と愛野さんは二人で砂のお城作りをしているところである。

 悠斗と南さんはビーチバレーの連携がああだったこうだったと言いながら、前の方で再び水のかけ合いをしているところだ。


「ふふっ、朱莉も北見くんも楽しそうだねっ」


「本当に仲良しだよね二人とも」


 バシャバシャと水をかけ合っている二人のことを眺めつつ、僕と愛野さんはゆっくりと作業を進めていく。

 そうして、最後の屋根部分を作り終えた僕たちは、完成と同時に「やったーっ」と小さくハイタッチを交わした。


「無事に完成したねっ、愛野さん」


「うんっ♪」


 その完成したお城を嬉しそうに眺める愛野さんの姿を隣で見つめながら、僕は当時のことを思い出す。


 あの時も、僕はひまちゃんと一緒にお城作りに挑戦した。

 しかし、途中でひまちゃんの手がお城へと当たってしまい、その衝撃でお城は崩れてしまった。

 そこからひまちゃんは大号泣をしてしまい、「大丈夫だよっ」とひまちゃんを宥めるのに必死で、そのままお城作りは有耶無耶となってしまった。


 懐かしいなぁと思いつつ、そのことを楽しく愛野さんに話していると、


「それなら今度は日葵ちゃんとも一緒に来たいねっ」


 と愛野さんは僕に言ってきた。

 愛野さんの言葉を聞き、僕は「それは良いな」と思い始める。


 あの時作れなかったお城を、もう一度ひまちゃんと作る___。


 そんな「これから」の未来を想像し、僕の口角は自然と上がった。


「その時は、愛野さんも一緒に来てくれる?」


 ひまちゃんと二人でお城を作るのはきっと楽しいが、三人で作る方がもっと楽しいと思い、僕は愛野さんにそう問い掛けた。

 すると、愛野さんは僕のその問い掛けに対し、こう返事をしてくれた。


「次は三人でもっと大きなお城を作ろうねっ♪」


 愛野さんの顔には優しい笑みが浮かび上がっており、僕はそれに目も心も奪われる。

 胸の奥では心地の良い感覚が広がり始め、僕はそれに幸せを感じた。


(次に来る日が一気に楽しみになったなぁ)


 僕は、心のノートに次の予定をしっかりと書き込んでおくことにした。










***










 一日海を満喫した僕たちは、少し名残惜しさを感じながらも帰りの電車に乗り込んだ。

 今は電車が出発をして一時間くらい経ったところであり、僕の前では悠斗と南さんが気持ち良さそうに目を瞑っている。

 今日の二人は本当にテンションマックスで大はしゃぎしていたので、案の定疲れがやってきたのだろう。

 僕も心地の良い疲れを全身に感じており、今日の夜は気持ち良く寝られそうだと思っているところだ。


 そして僕は、二人が起きないように声のボリュームを落としながら、隣に座っている愛野さんへと話し掛ける。


「愛野さん、今日は楽しかったね」


 僕のその言葉に、愛野さんは「楽しかったねっ♪」と返事をしてくれた。

 僕はその返事を聞き、そんな楽しい時間を共有できたことに嬉しさが溢れた。


「今日、みんなとこうして海に来れて、本当に良かった」


 そのまま僕は話を続ける。


「僕は去年のあの日、海で自分の命を絶とうとした…。海で遊ぶことが決まった時、愛野さんは『大丈夫?』って聞いてくれたよね」


 愛野さんは「うん」と首を縦に振り、僕の話に相槌を打つ。

 数日前、悠斗から海に行きたいという連絡が来た時、愛野さんからはすぐにメッセージが届いた。

 愛野さんは、僕が海に行くことで嫌なことを思い出さないか心配してくれたのである。

 しかし僕は、そんな愛野さんに「海に行きたい」という返事をした。


「確かに、ほんの少しだけど怖さというのはあったんだ。実際、もしあのまま死んでいたら…なんてことを考えて、到着した時はちょっと足が竦んじゃったしね、あははっ」


 「川瀬…」と愛野さんは不安げな表情を浮かべるが、「でもね」と僕は笑顔を愛野さんの方に向ける。


「今はそんなことないよ。みんなと一緒に海に来て、いっぱい遊んで、美味しいものも食べて、僕は海がこんなにも素敵な場所だってことを思い出せた。だから、今日はみんなと海に来れて良かった」


 「だって、みんなのおかげで、僕はあの日に向き合うことができたからっ」と僕は胸を張って愛野さんに伝えた。


 みんなのおかげで、僕は海に対するトラウマのようなものを乗り越えた。


 この実感は、僕がまた一歩前に進むことができたという確かな証拠である。

 それを聞いた愛野さんは、


「そっか♪」


 と本当に嬉しそうな顔を浮かべ、僕のことを優しく見つめてくれた。

 更に、愛野さんはそのまま僕の方に手を伸ばし、


「よくできましたっ♪」


 と言いながら僕の頭をゆっくり撫でてきた。

 いきなりの行動に僕が「…えっ!?」と驚いていると、


「日葵ちゃんからね、川瀬がこうやってお母さんから褒めてもらってたって話を聞いたの。だから、今は私が川瀬のことを褒めてあげようと思って、えへへっ」


 と愛野さんがその理由を説明してくれた。


 僕の顔は、確認するまでもなく真っ赤になっているだろう。


 同級生の、それもこんなに可愛い女の子からよしよしされて恥ずかしさを感じないなんてこと、僕にはできそうになかった。

 でもそれ以上に、僕は嬉しさや心地良さ、それに懐かしさを胸の中で感じている。

 母さんが頭を撫でてくれる時もこんな感じだったなぁなんてことを思っていると、僕の瞼が段々と下がり始めてきた。

 頭はふわふわとしており、この幸福感から来る眠気には抗えそうにない。

 僕がそのまま船を漕ぎ始めると、「ふふっ」という愛野さんの小さな笑い声が聞こえてくる。

 そして、「寝ちゃっても良いよっ」という愛野さんの声を聞き、僕はゆっくりと自分の瞼を閉じることにした。


「おやすみ、川瀬っ♪」


 愛野さんの優しい言葉が、僕の全身に優しく広がっていく。


 そのまま僕は、特別な温かさを感じながら気持ちよく眠りにつくのだった___。






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