#89 体育祭 前編
雲一つない青空が広がり、まさに快晴と呼ぶに相応しい今日この日は星乃海高校の体育祭である。
去年は体調不良で欠席をしてしまったが、昨日は明日に備えてしっかりと睡眠を取ってきたため、今日のコンディションはばっちりだ。
ついさっき四宮先生と会ったのだが、四宮先生は僕が体育祭に参加をしていることに嬉しそうな表情を浮かべていた。
三年目にして初の、そして最後の体育祭であるため、今日はこれまでの分も合わせて、四宮先生には楽しんでいる姿を見せたいなと思っている。
校長先生の開会の挨拶が終わり、次は団長たちによる選手宣誓の時間となった。
前に悠斗を含めた各団の団長が集まり、手を挙げて順番に宣誓を行っていく。
並び順的に、宣誓の締めは悠斗のようだ。
そうして順調に宣誓が進んでいき、とうとう悠斗の番が回ってきた。
悠斗は回ってきたマイクをその手に持ち、締めの言葉を口にする。
「星乃海高校の生徒みんなで、精一杯楽しむことを誓います!」
こうして、星乃海高校の体育祭が幕を開けたのだった___。
***
開会式が終わり、早速最初の種目が始まろうとしているため、僕はピンク団のテントの前でその様子を眺めることにした。
グラウンド上のトラックを囲うようにして各団のテントが設置されているのだが、種目に出ていない時はそこでみんなの応援をするようで、今はピンクの旗を持った悠斗が「がんばれよー!」とピンク団のメンバーに声を掛けている。
いよいよ始まったなぁ。
体育祭が始まったという実感をその胸で噛み締めていると、愛野さんが僕の隣にやってきた。
「川瀬っ、ついに体育祭が始まったねっ!」
「僕もちょうど同じことを考えてたところだよ。何だか今日まであっという間だったね」
「本当にねっ。気付いたらもう今日を迎えた感じがするもんっ」
どうやら愛野さんも同じことを思っていたようで、僕はそれを知ってちょっぴり嬉しくなる。
「私ね、今日こうして川瀬と一緒に体育祭が迎えられて、とっても嬉しいな♪」
「愛野さん…」
去年の体育祭の後、愛野さんは僕が参加できなかったことに不満そうな表情を浮かべていた。
あの時はどうしてそんな顔をするんだ…などと思っていたが、今はあの時の自分を恥じるばかりである。
四宮先生もそうだったように、愛野さんはあの時から僕が体育祭に出ることを待ち望んでくれていた。
その事実に、僕の胸には温かいものが広がっていく。
「愛野さん、今日は一緒に楽しもうね!」
僕のそんな言葉に、
「うんっ!一緒に楽しもっ♪」
と愛野さんは笑顔で頷きを返してくれた。
今日は、愛野さんと沢山思い出が作れると良いな。
そこから僕と愛野さんは、しばらく二人でピンク団の応援をするのだった。
***
僕は今、障害物競走に出場するため入場ゲートの前で待機をしている。
ちょうど目の前では二年生の障害物競走が行われている最中であり、そろそろそのレースも終わりそうな感じだ。
障害物競走のコースは、まず平均台の上を渡り、ネットの下を通った後、用意されている計算問題を解き、袋に両足を入れてジャンプをしながらゴールという具合である。
ただ、事前の競技説明で、三年生は最後のジャンプゾーンが「別の障害物ゾーン」に変更されるとの連絡があった。
それが何なのかはこの後発表されるそうだが、まぁそこまで変わったものでもないだろう。
そして二年生のレースが終了し、僕たち三年生は入場ゲートからトラックの真ん中に移動をした。
男子のレースは女子の後であるため、ひとまずその場に腰を下ろしていると、コースの終盤辺りに白いテントが設置され始める。
あれが最後の障害物なのかな?と思っていると、生徒会の生徒が最後の障害物に関する説明をし始めた。
「事前にお伝えしていたように、三年生の皆さんのコースには少し変更点がございます。それが、あちらの『仮装ルーム』です!」
更にその生徒は、その「仮装ルーム」についての説明を続ける。
「計算問題を解いた後、参加者の皆さんには一枚紙を取っていただきます。そこには数字が書かれているのですが、その数字は仮装ルームに用意されている箱の番号を表しております。その箱の中には生徒会が用意した「衣装」がランダムで入っておりますので、皆さんはそれに着替え、そのままゴールを目指してもらいます。つまり、障害物競走と、仮装レースを融合させたものが、今回のコースとなります!」
その説明を聞き、僕は想定外の出来事過ぎて驚きを隠せないでいた。
星乃海高校の生徒会は一癖あることで有名であり、例えば借り物競走のお題で「好きな人」を用意するなど、中々遊び心に溢れた集団であるらしいのだが、今回のこの変更もそれと同じような感じなのだろう。
一体どんな衣装が用意されているのかはさっぱり分からないが、彼らからは何か仕込んできていそうな雰囲気をひしひしと感じるため、とりあえずは女子のレースをしっかりと見て、どんな衣装が用意されているのかを確認することにしよう。
そうして女子のレースがスタートし、周りからは出場者を応援するような声が聞こえてくる。
勝負はどの団の女子も拮抗した様子を見せており、ほぼ横並びの状態のまま、彼女たちは例の仮装ルームへと入って行った。
しばらくすると、警察官の衣装に身を包んだ女子生徒が一人登場し、会場は盛り上がりを見せ始める。
そこからは、看護師や飛行機のパイロットなど、職業にまつわる衣装に身を包んだ女子生徒が次々と衣装ルームから登場し、そのまま彼女たちはゴールへと向かって行く。
そうして最後の人がゴールを果たし、周囲からは歓声と拍手が起こった。
少し警戒をしていた衣装だったが、どれも変なものは一つもなく、参加した女子たちも楽しそうな表情を浮かべている。
そう言えば、昔は星乃海高校に演劇部が存在していたと聞いたことがある。
あの衣装たちは、演劇部で使っていたものなのかもしれない。
もっと変なのを仕込んでいると思っていたが、どうやらそれは僕の考え過ぎだったようだ。
変な衣装はないと思い始めると、何だか仮装をするのが楽しみになってきた。
みんなの前に登場するのは少し気恥ずかしさもあるが、普通では着る機会のない衣装を着ることができるかもしれないのだ、どんな衣装になるのかな?と僕は期待すら浮かんでくる。
そうして次のレースの準備が整ったようなので、僕たち男子は所定のレーンに移動を行う。
そこで軽く足を動かしたりしていると、「朔!」という大きな声がピンク団のテント方向から聞こえてきた。
その方向に顔を向けると、悠斗が旗を振って応援をしてくれており、愛野さんと南さんが手を振ってくれている。
僕は三人に手を振り返し、そのままスタート位置に足をセットした。
そして「パンッ!」という合図とともに、僕は勢いよくスタートを切った。
勢いそのままに平均台を突破し、手こずることなくネットの下も潜り抜け、計算問題ゾーンへと移動をする。
そこに用意されていた問題も素早く解き終わり、僕は一番乗りで仮装ルームへとたどり着いた。
そのテントの中に入り、僕は手に取った紙に書かれた数字と同じ番号の箱を探し始める。
(えぇと一番、一番…あった!)
一番の箱を発見した僕は、急いで中に入っている衣装に着替えようと思い、バッとその箱を開いた。
「えっ?」
…ん?
えぇと…え?
僕は開いた箱を一度閉じ、もう一度気持ち新たに開いてみることにする。
「えっ…?」
しかし、当たり前のことだが、箱の中身が別のものに変わるなんてことはあるはずもなかった。
僕がそうして呆然としている間に、他の男子たちが一斉にテントの中へと入ってきた。
彼らはそれぞれの箱を開き、「うわっ、なんだこれ!?」と言いながらもその用意された衣装に着替えていく。
それを横目で見ていると、僕たち男子のために用意された衣装は、女子の方とは趣向が大きく異なっているように感じられた。
戦隊ヒーローに、夢の国のキャラクター、それに謎の馬の被り物など、どう考えても一癖も二癖もあるような代物ばかりだ。
僕は、星乃海高校の生徒会を見くびっていた。
彼らが何も仕込んでいないなんてこと、そんなことはあるはずがなかったのだ。
仮装が楽しみだなどと考えていたさっきまでの自分は、彼らの掌で踊らされていたということなのだろう。
そんなことを考えている間も、次々と他の男子たちは着替えを済ませ、この仮装ルームの外へと走り出していく。
外にいる生徒たちもまさか男子の衣装がこんな感じだとは思ってもみなかったのだろう、歓声の中に驚きが多く含まれているような感じがするのは気のせいではないはずだ。
僕は、改めて目の前にある箱の中身に視線を向ける。
正直これを着るくらいなら、戦隊ヒーローの衣装を着る方がずっとマシだ。
嫌というよりも、羞恥心の問題で僕はこの衣装を着たくはなかった。
しかし、どれだけ羞恥心で悶えようとも、僕にはもうこれを着る以外の選択肢は存在していない。
僕は、大きく一度深呼吸を行う。
「すぅ~はぁ~、よしっ!」
覚悟は決まった。
いや、もうここまできたらやけくそだ。
今の僕はゴールをすることしか考えてない。
無駄な思考はいらない、そう無心である。
そうして僕は、無心で用意された衣装に着替え始めた___。
☆☆☆
テントの中から仮装をした人たちが現れ、グラウンドが歓声や笑いに包まれる中、私は中々現れない川瀬のことが気掛かりとなっていた。
「川瀬くん出てこないねーっ?」
私の隣でレースを見ている朱莉もそのことが気になったのだろう、川瀬の登場の遅さに首を傾げている。
レースが始まると、川瀬はもの凄い足の速さで障害物を次々と突破し、一番に仮装ルームへと入って行った。
そのまま一番に出てくると思っていただけに、この状況は少し気掛かりという訳である。
しかしその一方で、川瀬は衣装に着替えてみんなの前に出るのが恥ずかしいんだろうなと思っている私もいた。
川瀬はああ見えて意外と恥ずかしがり屋さんなので、この予想は案外当たっているかもしれない。
もしそうだとしたら理由があまりにも可愛過ぎるので、ぜひその恥ずかしがっている様子を写真に収めたいところだ…。
しかし、実際テントの中から出てくるみんなの衣装は、何というか…クスっと笑えるような癖のあるものばかりであり、川瀬があんな衣装を着ているところなんて私には想像できない。
そのまま「どうなるのかなぁ」なんて思っていると、前の仮装ルームから誰かが出てきた。
その瞬間、グラウンド中で大歓声が上がり始める。
そのテントから出てきたのは、セーラー服に身を包み、黒いタイツを履いて、綺麗な黒髪を靡かせている女の子だった。
いや、既に外へと出てきている男の子たちの人数的に、あれは川瀬で間違いないはずなのだが、どこからどう見てもその姿は女の子なのである。
その女の子は(川瀬は)、羞恥心で顔を真っ赤にし、スカートを軽く手で押さえながらも、健気にゴールを目指していた。
どうやら川瀬の衣装テーマは、「女子高校生」だったようだ。
「…かっ、可愛い~っ!!」
川瀬の顔をよく見てみると、今付けている黒髪のウィッグも相まって日葵ちゃんと本当にそっくりである。
あの状態で横に並ばれたら、姉妹と言われても思わず納得してしまうだろう。
目元がよく似ているとは常々感じていたが、まさか女装をするとあんなにそっくりになるなんて…。
「えぇっ!?あ、あれって川瀬くんだよねっ!?超可愛いんだけどっ!!」
「朱莉っ!動画撮るの手伝って!!」
「了解っ!!」
私は朱莉と協力し、川瀬のことを写真や動画で撮影し始める。
あんなに可愛い姿を見せられて、写真を撮るなと言われる方が無理な話だ。
今も周囲では女の子たちの黄色い歓声が飛び交っており、その可愛過ぎる女装姿を形に残そうと、川瀬にスマホを向ける女の子たちも少なくない。
男の子たちの驚く声も一緒に重なり、川瀬の女装姿は間違いなく今日一番の盛り上がりを見せていた。
私の心臓は、あまりの川瀬の可愛さに胸のキュンキュンが止まらない。
普段の川瀬ですら可愛いのに、あんな可愛さ大優勝の姿を見せてくるなんて、そんなの反則である。
「はぁ~可愛過ぎる…っ」
「にゃははっ、姫花が川瀬くんの可愛さに堕ちちゃったよ。まぁボクも全く同じ意見だけどさ」
そうして川瀬は、「『川瀬ちゃん』がんばれ~っ!」という女の子たちの大声援を受け、障害物競走のゴールへとたどり着いた。
…この障害物競走に仮装ルールを採用し、セーラー服を用意してくれていた生徒会に、私は心から感謝を伝えたい。
恐らく他の女の子たちも皆、同じことを考えているだろう。
川瀬に女装をさせてくれて、本当にありがとう。
心の中で生徒会の人たちに感謝をしていると、生徒会の一人がマイクを持ってゴールのところへと向かい、代表して川瀬にこの障害物競走の感想を尋ね始めた。
「障害物競走を終えた川瀬さん、今の気持ちを教えてください!」
いきなりマイクを向けられた川瀬は、あわあわとしながらキョロキョロと周りに視線を向け始める。
それが何ともいじらしくて、私は母性や庇護欲のようなものが掻き立てられるのをその身に感じた。
そして川瀬は、顔を真っ赤にさせながらもじもじとし、恥ずかしさを滲ませる様子でこう言った。
『は、恥ずかしぃ…っ』
「はぅっ」
それを聞いた私は、川瀬のあまりの尊さに心臓を撃ち抜かれ、骨抜きにされてしまった。
朱莉が「姫花ー!戻ってくるんだぁー!」と私の肩を揺らしているが、今の私に悔いはない。
そのまま私は、満足した笑みを浮かべながらしばらく尊死するのだった。
この現象は会場内のいたるところで発生し、川瀬の女装姿は体育祭の伝説として語り継がれるようになるのだが、それはもう少し後のお話である___。
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