#84 友情
お互いに挨拶を交わし合った後、この場は静寂に包まれ始める。
隣を歩いていた愛野さんもまた、僕と光が「何らかの関係」にあることに気付いたようで、今はじっと黙って僕たちの様子を眺めることに徹していた。
とりあえず何か言おうと思い、話の切り出し方に悩んでいると、
「その…どうして朔はここにいるんだ?」
というように、光が僕へとそう尋ねてきた。
「今日は知り合いのサッカーの試合を応援するためにここへ来たんだ」
「そう言えば、今日は昼過ぎからサッカー場で試合をやってたな」
「光の方はどうしてここにいるの?」
「俺の方はそこの球場で練習試合があったんだ」
サッカー場のすぐ隣には野球場があるのだが、どうやら光はそこで練習試合をしていたらしい。
ちらほらと野球のユニホームを着た人は目にしていたが、そこに光がいるとは思いもしなかった。
「光は今でも野球を続けてるんだね」
「…っ」
見た目からも分かってはいたのだが、やはり光は野球部だったようで、僕は自分に納得させるかのようにそう言葉を発した。
それを聞いた光は、その顔を苦々しく歪ませ始める。
僕の言葉に深い意味などはなかったが、光には「意味のある言葉」として届いてしまったらしい。
そこから光は、今は野球をするために県外の高校に通っていることを教えてくれた。
その高校の名前は、僕でも知っているような甲子園常連の強豪校だった。
光が野球を続けていたことはもちろん、県外の学校に行っていたことすら僕には初耳だ。
そのことから、自分がどれだけ光と関わっていなかったかが理解でき、僕も何だか胸に苦しさを感じてしまう。
そうして光から話を聞いていると、僕は少し気になったことがあった。
「光はショートを守ってるんだね」
光は今さっき、自分のポジションはショートだと僕に言っていた。
しかし、小学生の時や中学一年生のあの日までは、光はピッチャーをしていたはずだ。
ポジションが昔と違うことに理由などはないのかもしれないが、光はずっとピッチャーというポジションにこだわっていたので、僕はそれが少し気になった。
僕のその言葉を聞いた光は、「それは…」と何やら言い淀む素振りを見せ始める。
しばらく逡巡した様子を浮かべていたが、光は僕の方にしっかりと視線を合わせ、僕にこう言ってきた。
「それは、あの日のことを忘れないためだ」
そして、光は更に言葉を続ける。
「中学のあの日、朔は俺のせいで部活をやめてしまった。俺は日が経つごとにその罪の重さを自覚していったんだ。何であんなことをしたんだろうって。だから俺は、朔が部活をやめた後からショートを守るようになった。朔のポジションを守ることで、あの日自分が犯した過ちを忘れないために…。でも、今から思うと、それって何の意味もないただの自己満足だよな。俺は、朔のポジションを守ることが贖罪になると思い込むことで、罪悪感から目を反らしてたんだと思う」
そんな光の話す言葉に、僕は耳を傾け続ける。
あの日、親友だった光から明確な拒絶をされ、心に悪感情を抱えたのは紛れもない事実だ。
高校に入ってからもその思いは消えず、僕は光のことを一方的に否定し続けた。
それは、どこか心の中で、自分が「一番可哀想なヤツ」だと思い込んでいたからだ。
僕は何も悪くない。
悪いのは光なんだ。
確かに、あの瞬間だけを切り取れば僕には非がないのかもしれない。
しかし、僕はそれ以降、光とどう接した?
光ときちんと話し合うことをしようとしたか?
光が、こんなにも申し訳なさそうな顔を浮かべていたことを、僕は知っていたか?
二人の「友情」というものを本当の意味で破綻させたのは、僕なのではないか?
僕は、自分の悪感情に流されるまま「友情」というものを否定し、周りとの関わりを絶った。
そう、僕は自分で勝手に見切りを付け、諦めた気になっていたのだ。
そうして、僕は一人になった…。
しかし、今も僕の隣にいる愛野さんが、僕に一人でいることの「寂しさ」を思い出させてくれた。
___本当は、光と仲直りがしたかった。
今、こうして再会し、ぎこちないとはいえ昔のように話せているこの瞬間に、僕は嬉しさを感じている。
今週の月曜日、僕は「友情」へと向き合う覚悟を決めたはずだ。
今が「友情」へと向き合うちょうどその時である___。
僕はそんな自分の気持ちを伝えるべく、光の方へと一歩足を踏み出した。
光もまた、僕の方に一歩足を踏み出し始める。
この一歩を踏み出すのに五年近くの歳月をかけてしまったことを考え、やっぱり自分は弱い人間だと強く実感させられる。
そのまま僕と光はお互いに近付き、改めて視線を交わし合う。
そして、光は頭を下げてきた。
「朔、あの時はひどいこと言ってごめん!あの時の俺は、毎日野球が上手くなっていく朔のことに嫉妬してたんだ。俺から野球を誘ったはずなのに、たったの数ヶ月で実力差を思い知らされた俺は、自分のことが惨めになった。朔が遅くまで練習したり、毎日の練習に全力で取り組んでいたことは知ってたのに…。朔よりも練習をしていない俺が、朔よりも上手くなっていくことなんてあるはずがないのに、俺は自分の嫉妬が受け入れられなくて、朔にその身勝手な思いをぶつけてしまった。本当に、本当にごめん…っ」
そのまま光は、その大きな体を小さくさせ、俯きながら涙を流し始める。
確かに、あの時の光はどこか焦っているような様子を浮かべていた。
それがまさか、僕が原因だったなんて…。
僕はただがむしゃらに、それこそ光に追い付くために練習をしていたため、自分が光よりも上手だなんて思ってはいなかった。
だが、結果として、僕は光のことを知らず知らずのうちに追い詰めてしまっていた。
当時の僕は、光の様子に違和感を覚えていたはずだ。
もっと早くに話し合っていたなら、こんなことにはならなかったのかもしれない。
たらればを言ってもしょうがないが、光にもっと寄り添っていたら…と思わずにはいられなかった。
この「後悔」は、これからも僕が背負っていかなければならないものである。
そして僕は、光に「顔を上げて」と伝え、赤くなった目を見つめながら口を開いた。
「僕の方もごめん。光の違和感には気付いていたはずのに、僕は見て見ぬフリをしてしまった。それに、僕も光にひどいことを言ったよね。あの時は感情が整理できていなかったとはいえ、言わなくてもいいことまで言ってしまった…本当にごめん」
そんな僕の言葉に対して、光は首を横に振り、
「…俺は、大切な親友を自分の言葉で傷付けたどうしようもないヤツだ。だから、朔が謝る必要なんてない。悪いのは、全部俺だ」
と言ってくる。
その顔は、自分で自分が許せないような、そんな後悔を滲ませた顔だった。
___過去は変えられない。
それはどうしようもないことだ。
だけど、「これから」の未来なら、僕たちは自分の力で変えていくことができる。
___「これまで」の思いや痛みを抱えても尚、僕たち人間は前に進むことだってできるのだ。
だから僕は、光にこう問いかける。
「光は、自分のことが許せないんだよね?」
僕の言葉に、光はゆっくりと頷きを返す。
光は今もあの日の自分自身が許せず、僕に引け目を感じている。
でも、もうその必要はない。
光が自分を許せないというのなら、僕が光のことを許そう___。
「僕は光のことを許すよ」
僕の言葉に、光は「で、でも…」と受け入れられないような素振りを見せる。
「光、もういいんだ。僕たちは今日こうして再会をして、お互いの気持ちを伝え合った。僕は光とまた一緒に話せてとっても嬉しいよ。光はどう?」
僕が笑顔でそう尋ねると、光は「俺も嬉しい」と返してくれる。
「だからさ、光。過去を見るのは今日で一緒に終わりにしよう。僕たちは、きっともう前に向けるはずだ」
「朔…」
「それにさ、『喧嘩するほど仲が良い』って言うでしょ?僕は、『これから』も光と仲良くしたいな」
そして僕は、光の方にすっと手を伸ばし、ずっと胸に秘めていた言葉を口にした。
「光、また僕と『友だち』になってください」
光は顔を空に向け、涙を堪えるような様子を浮かべ始める。
そして、視線を僕に合わせた後、僕の手を握ってこう言った。
「こちらこそ…っ!また俺と『友だち』になってくれ!」
光の顔には、小さな頃から何も変わっていない「笑顔」が浮かんでいる。
やっぱり、光は光のままだ。
これまでに色々あった僕たちだが、これからはきっと大丈夫だろう。
僕は何だかそんな気がしている。
だって、僕たちは「親友」なのだから。
その瞬間、チクっとした痛みが胸の奥から綺麗に消えていく。
どうやら僕は、「友情」に向き合うことができたようだ___。
***
それから僕と光は、これまでの間を埋めていくかのように楽しく話し合った。
連絡先も交換し、またこっちに戻ってくるタイミングで一緒にごはんへ行こうという約束も交わす。
そして、光の帰る時間が近付いてきたので、僕たちはここでお別れとなった。
「それじゃあ朔、また連絡するわ」
「うん。光も野球がんばってね、応援してるよ」
別れの挨拶を済ませた後、光は背を向けて学校のバスがある方へと歩き始めたが、途中で後ろを向いて、笑顔で手を振りながらこう言ってきた。
「朔、今日は本当にありがとうな!絶対また会おう!」
そんな光の声に、僕も「うん!」と返事をしながら手を振り返す。
そのまま光は、更にこう言ってきた。
「朔の彼女さん!朔のこと、よろしくお願いしますっ!」
光はそう愛野さんに告げた後、「じゃあな!」と言ってこの場を去って行った。
そうして光の姿が見えなくなった後、僕はすぐに「今のは光が勝手に言ったことだから気にしないで!」と、最後に光が言っていた「勘違い」を弁明?するべく、体を少し後ろにいる愛野さんの方へと向けた。
すると、
「川瀬の彼女さん…えへへっ」
と言いながら両手を頬に当て、何やら嬉しそうにくねくねとしている愛野さんの姿がそこにはあった。
それを見た僕は、まぁ愛野さんが嬉しそうだから良いかと思うことにし、自分の世界にトリップしている愛野さんの様子を眺めることにした。
そうしてしばらく経った後、愛野さんは僕が見ていることに気付いたようで、恥ずかしそうな様子を浮かべ始めたが、何回か深呼吸をして落ち着きを取り戻し、僕にそのままこう話し掛けてきた。
「川瀬っ、さっきの人って川瀬の知り合いの人だよね?」
愛野さんは僕と光の関係性が気になったようである。
確かに、中学の頃を知らない愛野さんからしてみれば、僕と光の会話は意味の分からないことであったに違いない。
そのため、僕は愛野さんに、光のことを説明することにした。
___彼は、僕の『親友』の市谷光だよ、と。
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