#82 あーん







 北見くんと話していると、ホームルームの時間を告げるチャイムが鳴り、担任の先生が教室へと入ってきた。

 その担任の先生とは、四宮先生のことである。

 三年間同じだとは予想もしていなかったが、今年も四宮先生が担任であることに、僕は嬉しさや安心感を覚えた。


「三年六組の担任になった四宮恵美よ。今日から一年間、よろしくお願いね」


 教壇の前でそう挨拶をした四宮先生は、目の前に座っている僕の方を見て笑みを浮かべた。

 それを受け、僕は「今年もお世話になります」という意味を込めて小さく会釈を返す。




 そうして四宮先生から簡単な連絡があった後、僕たちは体育館に向けて移動を始めた。










 体育館に移動をして少し経つと、星乃海高校の入学式が始まった。

 色々な感情をそれぞれの顔に浮かべ、前の座席へと歩いていく新入生たちを眺めながら、僕たち在校生は彼らの入学を拍手で歓迎する。

 彼らは今日から、高校生としての新しい一歩を踏み出していく。

 そんな瞬間に立ち会うことができて、僕も何だか背中を押されたような気持ちとなる。

 また、僕の頭にはひまちゃんのことが思い浮かんでいた。

 ひまちゃんも今日が高校の入学式であり、朝には日奈子さんがひまちゃんの新しい制服姿を画像で送ってくれた。

 あんなに小さかったひまちゃんが、今はもう高校生になるということに時の流れを強く感じたのは記憶に新しい。

 僕だけでなく、ひまちゃんや色々な人たちもこうして毎日成長をしているのだ。


 だからこそ、その一瞬一瞬を大切にしながら、毎日をしっかり記憶に刻んで過ごしていこう。


 今は今にしかないのだから___。










***










 教室へと戻ってくると、自己紹介の時間が始まった。


「川瀬朔です。趣味は読書と、最近は知り合いの影響で音楽も聴き始めました。一年間よろしくお願いします」


 もう三年生ということもあり、大体の人が顔見知りということで、自己紹介も簡単な一言でどんどん進んでいく。

 自己紹介を聞いていると、今年のクラスはこれまでとは少し違い、どちらかと言えば真面目な人たちが多い印象で、教室の雰囲気はこれまでで一番落ち着いているように感じる。

 また、自己紹介を見る感じ、男子のまとめ役になりそうなのは北見くんで、女子の方は南さんだと僕は思った。

 二人がクラスをまとめてくれたら、とっても明るいクラスになること間違いなしだろう。


 自己紹介が終わると、次は席替えの時間がやってきた。


 去年の何回かあった席替えで、僕はずっと窓際の一番後ろの席だった。

 自分のあまりのくじ運に実は毎度驚いていたのだが、僕と同じようにくじ運を持っている人がもう一人いる。

 それは、愛野さんのことだ。

 愛野さんもまた、去年は一年間を通して廊下側の一番後ろの席であった。

 つまり、教室の後ろ左右はずっと僕と愛野さんだったということになる。

 席替えのたびに「むぅ…っ!」と頬を膨らませて僕のことを見てきていた愛野さんだったが、今年最初の席替えは一体どうなるのだろうか?


 四宮先生がくじを教壇の上に置いた後、生徒は列ごとにそのくじを取っていく。


 全員がくじを取り終わると、四宮先生が黒板に番号を書き始めた。

 その番号と自分のくじに書かれた数字を見比べると、またしても僕は窓側の一番後ろの席であった。

 自分のくじ運に恐ろしさすら覚えつつ、「それじゃあ席に移動してちょうだい」という四宮先生の声に合わせ、僕たち生徒は席替えを行う。

 そうして荷物を持って席に移動すると、


「お!川瀬は俺の後ろだな!」


 と北見くんが話し掛けてきた。

 北見くんの席は、どうやら僕の前の席だったようだ。

 北見くんとはまだまだ沢山話したいと思っていたので、こうして席が近くなのは本当にありがたい限りである。


「さっきと位置が逆になったね」


「だな!」


 そうして北見くんと話していると、


「えっ、うそっ」


 と驚いた様子を浮かべた愛野さんがやってきた。


 そして、愛野さんは僕の隣の席に荷物を置き始める。


 その意味を理解した僕もまた、愛野さんと同じように驚いた表情を浮かべた。


「もしかして、愛野さんの席ってここ?」


「…うんっ!」


 愛野さんの嬉しさを噛み締めるような肯定を聞き、僕の胸にも嬉しさが広がり始める。


 僕の隣の席は、まさかの愛野さんだったようだ。


 そのまま北見くんと話していたことをすっかり忘れ、隣の席になった愛野さんのことを考えていると、


「おーい、ボクのことも忘れてるよーっ」


 と言いながら、南さんが僕たちの方に近付いてきた。


「ボクは姫花の前の席だねっ」


 南さんはそう言いながら愛野さんの前の席に荷物を置き、僕と愛野さんの方に笑顔を向けてくる。


 今回の席替えは、四人が近くに集まるという驚きの結果となった。


 愛野さんと南さんは、近くの席になれたことにキャッキャと盛り上がった様子を見せており、僕も「やった!」という気持ちを心の中で爆発させた。

 そうして席へと座ると、四宮先生が配布資料を取りに職員室へと向かって行ったので、しばしの自由時間となった。

 周りの生徒が隣や近くの生徒と話し始めたことで、教室は一気に賑やかな雰囲気となる。

 もちろん僕らも例に漏れず、席が近くになったことを話し始めた。


「クラスだけじゃなくて席も近くになるなんて、ボクたち今日は持ってるよねっ!」


「朱莉の言う通りかもっ。本当夢みたいっ」


「僕もみんなと近くになれて嬉しいよ」


 そうして三人で喜んでいると、


「でもさぁ、ボクの隣が北見じゃなかったらもっと良かったんだけどねーっ」


 と南さんはいつもの揶揄う笑みを浮かべながら、北見くんにそう話を振り始める。


「はぁ~南が隣かよぉ~。こんなうるせぇ女がいたら授業に集中なんてできねぇぜっ」


 北見くんは南さんの言葉を一蹴し、そう南さんへと言葉を返す。


「はぁー?一年生の時に北見を起こしてあげてたのはどこの誰だと思ってんのー?授業に集中できないどころか、授業に集中させてあげてたんだからボクに感謝して欲しいくらいですけどー?」


「でもよ、あんなすげぇ勢いで起こすことはねぇだろ!?」


「あれくらいしないと起きない北見が悪いんですぅ~べーっ」


「なんだとぉ!」


 そのまま北見くんと南さんは、何やら二人で言い合いを始めた。

 しかし、こういうのを「プロレス」というのだろうか、二人は本気で怒ったり相手を馬鹿にしているというわけではなさそうである。

 むしろ、この言い合いをどこか楽しんでいるようにも僕には見える。

 そんな二人の言い合いを眺めていると、愛野さんが椅子を動かしながら僕の方に近付いてきた。


「なんだかんだ二人とも楽しそうだよねっ」


 愛野さんも北見くんと同じクラスになったことはないため、二人のやり取りをしっかり見るのはこれが初めてなのだろう。

 愛野さんも二人の様子を「楽しそう」だと言っていたので、やはりこれは二人のプロレスというわけだ。


「うん、実は仲良しなのが伝わってくるよね」


「ねっ♪」


 そうして愛野さんとその言い合いを楽しく眺めていると、二人は同じタイミングでこっちに向いた後、これまた同じタイミングで、


「「ねぇ(なぁ)二人はどう思うっ!?」」


 と、言い合いの内容を僕と愛野さんに振ってきた。

 そんな息がピッタリな二人の様子に、僕と愛野さんは笑い始める。


 やっぱり南さんと北見くんは、実は大の仲良しなのではないだろうか?


 二人の言い合いは、これからも愛野さんとこっそり楽しませてもらうことにしよう。




 今年の僕の日常は、楽しく賑やかになりそうである___。










***










 放課後になった後、僕、愛野さん、南さん、北見くんの四人はお昼ごはんを食べるためにファミレスへと向かった。

 そのファミレスは、二年生の三学期初日に三人で訪れたファミレスである。


 そして今は、注文したごはんを食べながら四人で会話をしているところだ。


「川瀬って東大目指してんのかよ!?すげぇな!」


「北見も川瀬くんを見習って真面目に勉強した方が良いんじゃなーい?」


「ふっ、聞いて驚け南。今の俺はあの頃とは違ってちゃんと勉強もしてるからなっ」


「絶対噓でしょー?」


「嘘じゃねぇよっ!」


「ふふっ、仲良しさんだねっ二人とも」


「「仲良くない!」」


「あははっ」


 北見くんがいると、三人で話しながら食べている時とはまた違った雰囲気というものが生まれ、僕は自然と笑顔になる。

 こうしてみんなと一緒にごはんを食べていると、ごはんが更に美味しく感じるのは気のせいでも何でもないはずだ。


 そのままごはんを食べ進めていると、


「ボクちょっと飲み物取ってくるね」


 と南さんは言い、座っていた席から立ち上がる。


「南、俺も一緒に行くわ」


 どうやら北見くんもちょうど飲み物がなくなったようなので、二人はそのままドリンクバーの方へと向かって行った。


 二人があれこれ言いながらドリンクバーを取りに行ったことにクスっと笑っていると、


「ねぇ川瀬っ」


 と僕の前の席に座っている愛野さんが声を掛けてきた。

 「どうしたの、愛野さん?」と返事をすると、愛野さんは頬を赤くさせながらこう言ってきた。


「良かったら、私の方のハンバーグも一口食べてみる?」


 僕が愛野さんの言葉に「えっ!?」と驚いていると、


「えと、川瀬がメニュー見てた時に迷ってたから…」


 と愛野さんがその提案の説明をしてくれた。

 愛野さんが言うように、僕はメニューを見ていた時に「どっちにしようかな」と確かに悩んでいた。

 というのも、メニューには今月限定の新しいハンバーグランチが二種類掲載されていたからだ。

 ハンバーグソースに違いがあり、「どっちも食べてみたいなぁ」と思いながらしばらく悩んだ結果、僕は片方のランチを選んだ。

 その後の注文で、愛野さんが僕とは反対のランチを選んでいたことには気付いていたが、まさか僕のためにそのランチを選んでくれていたとは思わなかった。


「ど、どうかなっ?」


 確かに、愛野さんがハンバーグのランチを選ぶなんて珍しいなぁとは思っていた。

 それが僕のためにしてくれたことであると分かった今、その提案を無下にできるはずもなかった。

 それに、実際どんな味なのかも気になっていたため、


「じゃあ、その、もらっても良い?」


 と僕は愛野さんの提案に頷いた。

 愛野さんが「うんっ!」と返事をしてくれたので、僕はどうやって愛野さんからそのハンバーグをもらおうかなと考え始める。

 すると、愛野さんはハンバーグを一口サイズにナイフで切り、そのままその一口サイズのハンバーグを僕の口へと向けてきた。


「は、はい、川瀬っ、あーんっ」


 僕は、愛野さんの行動に頭が真っ白になる。


 もらうとは確かに言ったが、まさか愛野さんから食べさせてもらうことになるなんて全く予想していなかった。

 それに、今ハンバーグを刺しているフォークは、さっきまで愛野さんが使っていたフォークである。

 それがどういう意味なのかを理解した僕は、動揺やら何やらで顔が熱くなってきた。

 愛野さんもそれが意味することを分かっているようで、今も顔を真っ赤にさせながら少し潤んだ瞳で僕のことを見つめてきている。


 これはいわゆる「間接キス」というやつなのだろう。


 心臓はバクバクと急速に脈を打ち始めているが、もう既に賽は投げられてしまっているため、このままあのハンバーグを食べるしか僕に選択肢はない。


 そうしてゆっくりとそのハンバーグに口を近付けた僕は、そのままパクっとそれを口の中に入れた。


 もぐもぐとそのハンバーグを食べてみるものの、緊張と恥ずかしさで味は全く分からなかった。

 ただ、とっても心地良い気持ちが胸の中に広がっているのは確かだった。


 そして愛野さんからのハンバーグを食べ終えた僕は、自分のハンバーグを一口サイズにカットし、同じようにそれを愛野さんの方へと向けた。


「愛野さんも良かったら、どう?」


「わ、私も!?」


 愛野さんは僕の提案に驚愕といった表情を浮かべ、あわあわと焦り始めたが、一度大きな深呼吸をした後、覚悟を決めた様子で目を瞑り、ゆっくりと僕の方に口を開いた。


「愛野さん、あ、あーん」


 そうして、パクっと愛野さんがハンバーグを口に入れたのを見た瞬間、僕は恥ずかしさで身悶えしそうになった。

 しかし、ここは自宅ではないため、僕は鉄の心で平静を装う。

 フォークを愛野さんの口から離し、もぐもぐとそのハンバーグを食べている愛野さんを見つめていると、食べ終わった愛野さんが目を開き、その視線が僕の方に向けられた。

 愛野さんがリンゴのように顔を赤く染めているのと同じように、恐らく僕も顔を真っ赤にさせているだろう。


 視線を交わすこと数秒、とうとう僕たちは我慢の限界がきてしまった。


「「ぷ…っ、あははっ!」」


 自分たちでやり始めたことなのに、こんなにも恥ずかしい思いをしている状況がおかし過ぎて、僕は笑いが止められなくなる。

 多分似たようなことを考えたのだろう、愛野さんも楽しそうに笑い始めた。


 恥ずかしくて、けれども嬉しくてというこの時間に、今僕はとても幸せを感じている。


 愛野さんはどう感じているのかな?


 この気持ちもまた、愛野さんと同じだったら良いな…なんて、僕は心の中で思ったりした。




 そのまま僕たちは、南さんと北見くんが戻ってくるまで、笑顔溢れるこの時間をただひたすらに楽しむのだった___。










☆☆☆










「なぁ、南。本当に川瀬と愛野さんって付き合ってねぇのか?」


「うん、付き合ってないよ。今はまだ…だと思うけどね」


「今はまだ…か。もうあんなのカップルじゃねぇか。なんかこっちまでドキドキしてくんだけど」


「ちなみにだけど、これからは毎日あれを見せつけられるから覚悟しといた方が良いよ、北見」


「…俺、ブラックコーヒー飲みたくなってきたわ」


「ふふっ、初めて北見と意見が一致したよっ」


「何だか楽しい一年になりそうだなっ」


「だねっ」






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