#80 旅立ち
三月も残すところあと一日となった今日、僕は朝から自転車を漕ぎ、集合場所となっている駅前へと向かっている。
その駅とは、花火大会などで何度かお世話になっている駅だ。
今日は、イリーナ先輩からの招待を受け、送別会に参加をすることになっている。
送別会に参加をするのは、僕の他に戌亥さん、堀越くん、愛野さん、南さんという顔見知りばかりだ。
この送別会の目的は、もちろんイリーナ先輩のことである。
イリーナ先輩は明日の便で海外へと向かい、ヴァイオリンの腕を磨くために音楽大学へと留学をする予定だ。
初めてイリーナ先輩と話した時から知っていたものの、いざ実際に「知っている人」が遠くに行ってしまうというのは、やはり感じるものがある。
しかし、今回のことは後ろ向きな理由ではなく、イリーナ先輩が新たな一歩を踏み出すための喜ばしい理由であるため、明るくイリーナ先輩を見送れたらなと僕は思っている。
駅に到着し、そのまま駅駐車場に移動をすると、そこには愛野さんと南さんの姿があった。
そうして先に来ていた二人と挨拶を交わすと、
「おっ、早速着てくれてるね~っ」
と南さんが僕の服を見てそう言ってくる。
南さんが言ったように、今日の僕の服装は、この前三人に選んでもらった服装の一つである。
そうして南さんの言葉に少し照れていると、「えへへっ」と愛野さんが嬉しそうな様子を見せ始めた。
「どうしたの?」と僕が尋ねると、
「川瀬が選んだ服をちゃんと着てくれてるのが嬉しくって♪」
と愛野さんははにかみながらそう答えてくれた。
そんな愛野さんの可愛い様子に僕が目を奪われていると、
「また二人の世界に入ってるでしょー?」
と南さんが僕と愛野さんに向けてそう言ってくるので、僕と愛野さんはお互いに顔を赤くさせた。
そのまま南さんに揶揄われていると、駐車場に「いつもの」黒くて長い車が姿を現した。
僕はそれが迎えの車だということに気付いたが、愛野さんと南さんは「あんな高級車、テレビでしか見たことないね」と気付いていない様子である。
そんな二人を見て、僕は戌亥さんが「わざと」愛野さんと南さんには詳しく伝えていないのだと瞬時に理解をしてしまい、この先起こるであろうことに思わず苦笑をしてしまう。
案の定そのリムジンは僕たちの前で停車をし、二人はどういうことなのか把握できていないよう様子だった。
運転席から執事さんが降りてくると、
「お久しぶりでございます、川瀬さま」
と、執事さんは相変わらず紳士な佇まいで挨拶をしてくれた。
「お久ぶりです。今日もお世話になります」
僕の言葉に執事さんは柔らかい笑みを浮かべた後、そのまま車の後部座席の扉を開いた。
すると、中からは予想通り「やってやった」という顔を浮かべた戌亥さんが登場し、これがお迎えの車だということに気付いた二人は、その表情を驚きに染め上げた。
「ふっふっふっ~またしてもサプライズは大成功ですなぁ~」
僕もこうして戌亥さんにしてやられたなぁということを思い出し、あの時のことが何だか懐かしくなる。
「三人ともどうぞどうぞぉ~」
愛野さんと南さんを驚かすことに満足がいった様子の戌亥さんは、僕たちがリムジンに乗り込むことを勧めてくる。
愛野さんと南さんは恐る恐るといった感じで乗り込んでおり、僕は最初の自分自身を見ているみたいで何だか面白かった。
しかし、驚くのはまだこれで終わりではない。
愛野さんと南さんは、恐らくイリーナ先輩の大豪邸を見たことがないはずだ。
僕も戌亥さんのように、二人は一体どんな反応をするのだろうと思い始め、何だか少し楽しくなってくる。
きっと、二人はまたびっくりとした反応を見せてくれるだろう。
そうして、そんな僕の様子に気付いた戌亥さんとニヤっとした視線を交わし、僕たちもリムジンへと乗り込むのだった。
***
リムジンがイリーナ先輩のお家に到着すると、愛野さんと南さんは驚きで目を見開いたまま固まっていた。
僕も最初は思考が現実逃避をしていたなぁなんて思いながら、二人に共感を覚えていると、お家で待っていたイリーナ先輩と堀越くんがお出迎えをしてくれた。
「川瀬さん、姫花さん、朱莉さん、今日は来ていただいてとても嬉しく思いますわ」
「外で話すのも何ですから、まずは中に移動しましょう」というイリーナ先輩の声を合図に、僕たちはお家の中を目指して歩き始める。
愛野さんと南さんは驚きから戻ってきたようで、今はイリーナ先輩や戌亥さんと一緒に前を楽しそうに歩いている。
そして、そんな女性陣の後ろを歩くのは、僕と堀越くんの男子二人だ。
「川瀬さん、お久しぶりであります!」
「久しぶり、堀越くん。今日はよろしくね」
堀越くんとは花火大会以来の再会である。
まだ一年も経っていないので当然かもしれないが、あの時と堀越くんは何も変わってはおらず、童顔で穏やかな様子のままだった。
しかし、そんな堀越くんだが、実はすごい役職に就いたようなのだ。
「堀越くんは花城の生徒会長になったんだよね?言うのが遅れちゃったけど、本当におめでとう」
「わ!ありがとうであります!」
今僕が言ったように、堀越くんは「花城高校の生徒会長」になったのである。
戌亥さんがずっとそのことをバイト先で鼻高々に言っていたため、僕は堀越くんに会ったらそのことを言おうと思っていた。
「まだまだ未熟なところばかりでありますが、お姉ちゃんのような『みんなが付いて来てくれる』生徒会長を目指して頑張っているであります!」
僕が生徒会長就任のお祝いを告げると、堀越くんは照れくさそうに、けれども確かな「目標」をその目に宿しながら僕にそう話してくれる。
そんな堀越くんの姿が、僕の目には輝いて見えた。
僕も今は「目標」に向かって進んでいる最中だが、堀越くんもまた、同じように前へと進んでいるところなのだろう。
進むところは違うが、こうして目標を追いかける者として、僕は堀越くんにより一層の親近感を覚える。
「堀越くんなら『絶対』そんな生徒会長になれるよ」
そして僕は、堀越くんにそうエールを送った。
根拠などはどこにもない、もはやこれは僕の「願い」に近いものだろう。
だけど、堀越くんならきっとイリーナ先輩のように素敵な生徒会長となれるに違いない。
堀越くんは、僕の言葉に嬉しそうな笑顔を浮かべた。
お家の中に入った後は、事前にイリーナ先輩が用意してくれていた豪華なお昼ごはんをみんなで楽しくいただき、今は自由な時間を過ごしている。
送別会とは言っていたものの、どちらかと言えばホームパーティーという感じで、やっぱりみんなと集まって楽しむのが目的だったようだ。
愛野さん、南さん、戌亥さん、堀越くんの四人は、戌亥さんがどこかから持ってきた人生ゲームをして遊んでいる。
堀越くんは愛野さんと南さんを前にして緊張した様子で、それを戌亥さんに揶揄われているところだ。
僕はというと、四人と少し離れた席へと腰を下ろし、前回のようにイリーナ先輩と紅茶を飲んでいた。
「この紅茶も美味しいですね」
「うふふっ、ありがとうございますわ」
持ち上げたカップをソーサー(受け皿)に置き、僕は正面に座っているイリーナ先輩に視線を合わせる。
「イリーナ先輩、改めて高校卒業おめでとうございます。こうしてまたお話ができる機会に恵まれて、僕は嬉しく思います」
「わたくしも川瀬さんとは沢山お話したいと思っていましたの。それに、流歌が言っていた通り、本当に見違えましたわね。今の川瀬さんは、本当に素敵な表情をしておりますわよ」
「ありがとうございます」
そこから僕は、イリーナ先輩と色々なことを話した。
向こうでの生活の話や、堀越くんが生徒会長になってくれて嬉しかったという話に、戌亥さんが卒業式の日にプレゼントをくれた話など、イリーナ先輩との会話は大いに盛り上がった。
そんなイリーナ先輩の話には、やっぱり戌亥さんや堀越くんがいっぱい出てきた。
二人のことを話すイリーナ先輩の顔は、「家族」のことを楽しそうに話すような、そんな温かくて優しい顔だった。
「『人は支え合って生きている』とは有名な言葉ですけど、わたくしも今回の留学でそうだと強く思いますわ。一人で生きていると思っていても、実は色々な人に支えられて『自分』は生きているとわたくしは感じますの。そしてその実感というのは、今のわたくしに大きな力を与えてくれていますわ」
会話の途中でイリーナ先輩はそう言っていたが、僕も本当にその通りだと思った。
僕も「大切な人たち」の支えにより、今こうして生きることができている。
改めて、僕はそんな自分自身に「幸せ」を感じた。
二人でそんな会話をしていると、
「はじはじとイリ姉も人生ゲームしましょう~」
という戌亥さんの声が後ろから聞こえてきたので、僕とイリーナ先輩は四人の方に移動をしようとする。
すると、イリーナ先輩がこう話してきた。
「留学するとは言っても、長期休みはこっちに戻ってきますの。その時にはまた、こうして紅茶を飲みながらお話しでもしましょう」
今日でさよならではなく、これからも仲良くしてくれようとするイリーナ先輩の「気遣い」に、僕は胸が温かくなる。
「新しい紅茶を飲むのを楽しみにしておきますね」
こんなに素敵な先輩と出会えたことに、僕は笑顔が溢れた。
その後は六人で色々なことをして楽しい時間を過ごし、この送別会はお開きとなった。
帰りはイリーナ先輩が車へと一緒に乗り、僕と愛野さんと南さんの見送りに来てくれた。
「イリーナ様!向こうに行った後も連絡して良いですかっ!?」
「うふふっ、もちろんですわ、朱莉さん。また色々なファッションを教えてくださいまし」
「はいっ!」
南さんの挨拶に続き、愛野さんもイリーナ先輩に声を掛ける。
「イリーナさん。あの時は本当にお世話になりました」
「あれは姫花さんが頑張った結果ですもの、わたくしは大したことはしておりませんわ」
イリーナ先輩の言葉に、愛野さんは「ありがとうございます」と晴れやかな笑みを見せる。
「私もまた連絡しますっ!留学がんばってくださいっ!」
「姫花さん、ありがとうございますわ」
そう言うと、イリーナさんは愛野さんに近付き、耳元で更に何かを話し始める。
何を話しているんだろうと思っていると、愛野さんの顔が真っ赤になり始めた。
そして、何故か愛野さんは僕の方をちらちらと見てきている。
何か僕に関係でもある内容なのだろうか?
そのまま愛野さんは「が、がんばりますっ!」とイリーナ先輩に言っていた。
それを愛野さんに伝え終えたイリーナさんは、楽しそうな笑みを浮かべた後、執事さんに「あれをお願いしますわ」と言い、僕の方へとやってきた。
執事さんは何かを車の後ろから取り出し、それをイリーナ先輩へと渡している。
そして、イリーナ先輩はそれを僕の方に渡しながら、
「川瀬さんにはこれを受け取って欲しいですわ」
と言ってきた。
「これって、あの時のベースですか?」
「そうですわ。良ければどうぞもらってくださいまし」
そう、イリーナ先輩が渡してきてくれたのは、文化祭のバンドで貸してもらったことのあるベースであった。
このベースは、戌亥さんが値段を聞かない方が良いと言っていたほどの高価なものであったはずだ。
そんな貴重なものを受け取っても良いものなのかと僕が迷っていると、
「楽器は、音を鳴らす人がいて初めてその『価値』を生み出しますの。このままわたくしの家に眠らせておくよりも、川瀬さんが持っていてくださる方が、このベースも喜びますわ。どこかで使う機会がくるかもしれませんし、受け取ってくださらないかしら?」
とイリーナさんが笑みを向けてきたので、僕は「ずっと大切にしますね」と言い、そのベースを受け取ることに決めた。
そうして僕も挨拶をし、イリーナ先輩とはここでお別れとなった。
「またすぐにお会いしましょうですわー!」
それぞれの家に帰ろうとする僕たち三人に、イリーナ先輩は大きく手を振ってくれている。
僕たち三人も、そんなイリーナ先輩に大きく手を振り返した。
そうして僕たちは、そんなイリーナ先輩に見送られながらこの場を後にするのだった___。
***
次の日の夜、ちょうど夜ごはんで使った食器を洗い終わった頃、僕のスマホに一件の通知が届いた。
その通知は、昨日の六人で作ったグループからの通知だった。
どうやらイリーナ先輩が一枚の画像を送ってきたようなので、僕はそのトーク画面を開いてその画像を見ることにした。
その画像は、イリーナ先輩が飛行機内から撮った、綺麗な空の上の写真だった。
今日の昼過ぎの便で行くと言っていたので、ちょうど今まさにイリーナ先輩が撮って送ってくれた写真なのだろう。
時差の違いもあり、その写真の風景はまだ少し明るくて、どこか幻想的な光を輝かせている。
その写真を見て、イリーナ先輩の旅立ちを強く実感した。
これから、イリーナ先輩の新しい生活が始まる。
そんなことを思うと、僕も何だかワクワクとし始めてきた。
明日から四月を迎え、数日後には新しい学年、新しい学校生活が始まるということに、僕は待ち遠しさすら覚え始める。
高校三年生となる「新しい自分」は、一体どんなことを考え、どんなことをやり、どんな時間を過ごすのだろう。
まだまだこれからの話だが、きっと「忘れられない時間」になるはずだと、僕はそう思わずにはいられない。
すると、開いていた窓から夜風が入り込んでくる。
それは、随分と暖かさを感じさせる心地良い風だった。
こうして冬も、寒さを乗り越え新しい季節へと巡り巡っていく。
それはまるで、別れや旅立ちを乗り越え前へと進む、僕たちのようだ。
風からは、確かな春の匂いがする。
僕は、そんな春に思いを馳せた___。
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