#76 進路希望調査







「それじゃあ今月中にこの進路希望調査の紙は提出してもらうわね。迷っていることがあればいつでも相談に乗るから、じっくりと考えてちょうだい」


 一月が後一週間ほどで終わろうとしている今日この頃、朝のホームルームにて四宮先生から進路希望調査の用紙が配られた。

 夏休みの三者面談でも話を聞いていた通り、今回の進路希望は「本提出」という扱いで、ここから一年間にも渡る受験期間の指標となるものだ。

 今回決めた志望校をこれ以降変えたら駄目ということはもちろんないが、「ここにする」という気持ちを持って選んで欲しいと四宮先生は言っていた。

 それに、本人の意志をこの時点で把握している方が、今後の面談などで先生たちも協力をしやすいのだろう。


 ホームルームが終わって休憩時間となり、進路希望調査の用紙を眺めていると、愛野さんが声を掛けてきた。


「何だかいよいよ受験生になってきたって感じがするよね」


「うん。この前に共通テストがあったけど、今から一年後には僕たちもそのテストを受けているってことだもんね」


「うぅ~、何だか今から緊張しちゃうねっ」


 愛野さんが話してきたのは、ちょうどその進路希望調査に関わる話だった。

 ちなみに、こうして僕たちが話している風景はクラスの「日常」となりつつあり、以前よりも視線を集めることが少なくなった。

 坂本くんたちもちらちらとこっちを見てくるだけで、あれ以降絡んできたりはしていない。

 元山さんが遠くからニヤニヤと眺めてくるのは気になるものの、それでも今はかなり快適な学校生活を送っている。


「愛野さんの進路はメイクやファッション系の学校だったよね?」


「うん、そうだよっ」


 この前の初詣の時に、愛野さんと南さんから「二人の目標」について話を聞かせてもらったことを僕は頭に思い浮かべる。

 小さな頃から、愛野さんと南さんは「二人でお店をやりたい」という目標があるようで、高校卒業後はその目標を叶えるための勉強がしたいと二人は言っていた。

 そのため、南さんも愛野さんと同じ学校を目指しているのだとか。

 南さんはファッションデザイナーを目指しているそうで、初詣の時にはスマホに保存してあるイラストを何枚か見せてくれた。

 見せてもらった衣装のイラストはどれも上手であり、その時に初めて南さんが「絵を描くのが上手」ということを知ったのだが、修学旅行のしおりに書かれていた男女のイラストも南さんが書いたイラストだったようで、僕はびっくりとした。

 愛野さんが考えたファッション案を、南さんがデザインし、二人で一つのものを形作っていく将来に、僕は眩しさを覚えずにはいられない。

 受験もまだまだこれからで、将来はどうなるのかも分からないが、僕は二人が「目標」を叶えられたら良いなぁと思っている。


「川瀬は進路どうするの?」


 そんな感慨に浸っていると、愛野さんから進路について尋ねられた。


 実は、もう僕には決めている「進路」というのがある。


 ただ、折角今週の休みは進さんたちのところに泊まる予定があるので、


「今週の休みは向こうの家に泊まりに行くから、進さんたちともう少し話して決めることにするよ」


 と愛野さんに返事をした。

 そして僕は愛野さんに、更に言葉を重ねた。


「志望校が決まったら愛野さんに教えるね」


 以前、愛野さんの進路を聞いた時、愛野さんは僕にこう言った。


『志望校が決まったら私にも教えてよ』


 あの時はそんな瞬間は来ないと思っていた。


 でも今は、こうして自分の進路にも向き合うことができている。


「あの時の言葉、覚えてくれてたんだ…っ」


___それは、目の前で僕の言葉に驚いた表情を浮かべている、愛野さんのおかげだ。


 病院でのあの日から、僕は愛野さんへの感謝がどんどん溢れてくる。

 それを返し終える日が来るのかは分からないが、僕にできることで少しずつ返していきたい。

 まずはその第一歩として、僕が自分の将来を「見れる」ようになった姿を愛野さんに伝えてみせる。


 そういったこともあり、この進路希望調査は、僕にとって重要な意味を持っているのだ。










***










「お兄ちゃん!」


 僕がインターホンを押して少しすると、扉を開けてくれたひまちゃんが勢いよく僕に抱き着いてきた。

 そんな可愛いお出迎えに頬を緩めつつ、


「ひまちゃん、おはよう」


 と僕はひまちゃんに声を掛けた。


「お兄ちゃん、おはよう!」


 そう、僕は今、予定通り進さんたちの家へと足を運んでいた。

 月に一度は帰ってくるようにという約束を決めてから初の「帰宅」であり、自宅にいる時とはまた違った「安心感」が胸に広がる。

 これまで家を行き来する時は進さんが迎えに来てくれていたが、今日は電車に乗ってこっちまで移動してきた。

 …と言っても、駅からは進さんが迎えに来てくれた車に乗ったのだが。

 明日の夕方には帰るつもりをしているが、それまでは三人とゆっくり過ごすことができそうである。


 そうして僕とひまちゃん、実は車から降りて僕の後ろにいた進さんの三人は、家の中へと入って行く。

 リビングに行くと、キッチンに日奈子さんの姿があった。


「日奈子さん、おはよう」


「朔くん、おはよう。ちょうど今からお昼ごはんの用意をしようと思っていたの。少し早いお昼ごはんになるけど、それでも大丈夫?」


「うん、大丈夫だよ」


 日奈子さんと話した後、ごはんができる間はひまちゃんの勉強を見てあげることにした。

 そしてひまちゃんは、この前に返ってきた実力テストの問題を取り出す。

 三学期が始まってから、ひまちゃんとは毎日メッセージのやり取りをしており、この前に実力テストを受けたとひまちゃんが言っていたことを僕は思い出した。

 そのテストはどれも高得点であり、


「ひまちゃんすごいなぁ」


 と僕は思ったことをそのまま口に出した。

 ひまちゃんは僕の呟きに照れた様子を浮かべていたが、


「でも、まだ少し分からないところがあるから、お兄ちゃんに教えて欲しいの」


 と更なる向上心を僕へと向けてきた。


 「コツコツ」と何かに満足するまで取り組む姿勢に、僕は既視感を覚えて何だか嬉しくなる。


 可愛い妹がこうして一生懸命頑張ろうとしているのだ、兄としてこう返す以外の選択肢は存在しない。


「よし!それじゃあまずは数学から見直していこっか」


「うん!」


 そうして僕とひまちゃんは、昼ごはんまでの間を勉強して過ごすのだった。










 ごはんができたという日奈子さんの合図で僕たちは勉強を中断し、食後に続きをやろうと決めて昼ごはんを食べ始める。

 そうしてしばらく経った後、僕は進路希望調査のことを進さんと日奈子さんに話し始めた。

 進さんも夏の三者面談のことを覚えていたようで、


「確か本提出が一月にあると四宮先生はおっしゃっていたね」


 と僕の言葉に頷いている。

 そして進さんは、


「進路の方はどうするのか決まったのかい?」


 と僕に優しく尋ねてきた。

 その言葉を受け、僕は荷物から進路希望調査の用紙を取り出し、進さんへと渡した。

 そこには事前に志望校の名前を記入しておいた。

 進さんはそれを見て驚いた様子を浮かべたが、すぐに「分かった」と頷きを返してくれる。


「私は朔の選択を応援するよ」


 日奈子さんも僕の志望校には驚いた顔をしていたが、


「もちろん私も応援するわよ」


 と優しく背中を押してくれた。


 そして、ひまちゃんの案の定驚いている様子を微笑ましく思いつつ、僕は早速二人の「優しさ」に甘えてみることにした。


「受験が近付いてくると、勉強のためにアルバイトの回数を減らすかもしれないから、その時は少しだけ生活費分をお願いしたい…です」


 まだ受験シーズンではないので何とも言えないが、もしかしたらそういう状況がくるかもしれないので、僕は前もって「負担」を掛ける可能性があることをお願いしておく。

 すると、それを聞いた進さんと日奈子さんは苦笑いをしてみせた。


「そんなことを朔が気にする必要なんてないんだよ?」


「朔くんが不自由な思いをしないようにするのが私と進さんの役割だもの。朔くんにはやりたいことをやりたいようにして欲しいわ。もちろん日葵ちゃんもね」


「むしろ、朔はもっともっと私たちに頼って欲しいくらいだよ。朔は私たちが毎月振り込んでいる仕送りをこれまで使っていないだろう?」


 僕は進さんの言葉に頷きを返す。

 そんな僕の反応に進さんと日奈子さんは顔を見合わせ、アイコンタクトを取った後、再び僕の方に視線を向けた。


「それじゃあ朔、これは『約束』だ。生活費や食費は、私たちの仕送りから必ず払いなさい。アルバイトで稼いだお給料は、自分のお小遣いにすること。お金のことは何も心配しなくて良い。私たちにはこれくらいしかしてあげられないからね、私と日奈子の顔を立てると思って、この約束は守って欲しい」


 日奈子さんも進さんの言葉に頷き、


「朔くん、お願いするわ」


 と言ってくれている。

 本当は申し訳ない気持ちでいっぱいであり、負担になるようなことはしたくないのだが、僕はその言葉をグッと胸の内に飲み込んだ。


 二人は、僕に「慈愛」の眼差しを向けてくれている。


 そんな二人の「愛情」に、僕は心がぽかぽかとしてくる。


 だから、僕が二人に返すべき言葉は、二人の想いを無下にするような言葉じゃなく___、


「二人とも、ありがとう!」


___二人の愛情を受け入れる、そんな感謝の言葉だ。


 そうして僕は「家族」の応援を力に、この志望校に合格してみせると気合いを入れるのだった。










***










 休みが明けた月曜日の放課後、僕は四宮先生と進路相談室にいた。

 そして僕は、四宮先生に進路希望調査の用紙を提出した。

 その用紙を確認した四宮先生は、驚いたような、それでいて嬉しいような表情を浮かべた。


「川瀬くんの第一志望は、『帝東大学』の文学部、これで間違いないわね?」


「はい、間違いありません」


「前に自分で言っておいて何だけど、まさか本当に川瀬くんが東大を目指すなんて思わなかったわ。サクラが聞いたら大喜びするでしょうね、ふふっ」


「…元々勉強は、父と母に褒めてもらいたくて頑張っていたんです。二人が亡くなった今も、その気持ちは変わっていません。今も二人が僕のことを見ているかもしれませんからね」


「そうね。きっと川瀬くんのことを見守ってくださっているわ」


「ありがとうございます。それともう一つ理由があって、勉強を頑張ることがみんなへの恩返しになると思ったんです。一度は命を諦めたあの日、僕は大切な人たちの優しさに気付きました。僕は、その優しさに応えたい。だから僕は、東大を目指そうと思いました。みんなの優しさのおかげでこんなにも立派に成長して、前を向くことができたんだってことを、僕は一番の大学に入ってみんなに『見てもらいたい』と思っています」


 そんな僕の宣誓にも似た志望動機を聞き、


「とても素敵な理由ね」


 と四宮先生は優しく頷いてくれた。


 これから僕は、この新しい「目標」に向けて、毎日頑張っていくことになる。

 受験勉強は大変だと耳にするが、今の僕はそう思ってはいない。

 僕には応援してくれる「家族」や、力を貸してくれる「先生」が付いている。

 それなら僕は、いつも通り「コツコツ」と勉強に取り組んでいくだけだ。


「四宮先生、これからは沢山分からないところを質問するかもしれませんが、『頼っても』良いですか?」


 僕の言葉に、四宮先生は「任せてちょうだい」と頼りになる笑みを浮かべる。


「川瀬くんが合格できるように、全力でサポートをしてみせるわ」




 こうして僕は、ようやく「初めて」自分の進路希望を四宮先生に伝えることができた___。










 進路相談室を出て、荷物を取りに戻るために教室の中に入ると、


「あ、川瀬っ」


 と愛野さんが声を掛けてきた。

 教室には愛野さんしかおらず、どうして愛野さんが一人でここにいるのかを尋ねると、南さんも僕と同じように面談をしているようで、こうして南さんの帰りを待っているところらしい。

 そして僕は、ちょうど今が自分の進路を愛野さんに伝える絶好の機会であると感じ、


「愛野さん、志望校が決まったんだけど、聞いてくれる?」


 と愛野さんに尋ねた。

 それを聞いた愛野さんは、


「うんっ、聞かせてっ!」


 と言いながら、席を立ち上がって僕の方に近付いてくる。

 その瞳はキラキラと輝き、僕の次の言葉が楽しみで仕方がない様子だ。

 そんな様子を向けられて何だか恥ずかしさも感じるが、僕は愛野さんに視線を合わし、約束通り自分の志望校を告げた。


「僕は、帝東大学の文学部にしたよ」


 僕が東大を進路に決めたと聞いた途端、「えぇーっ!?」とこれまでの誰よりも驚いた表情を愛野さんは浮かべ始めた。


「え、え!?帝東大学って、あの東大だよねっ!?」


「うん、そうだよ」


「日葵ちゃんが川瀬のことを賢いって言ってたけど、まさか東大を目指すほど賢かったなんて」


 そこから愛野さんにこの前の確認テストの点数やこれまでのテストのことを聞かれたので、二学期の期末テスト以外は主要科目が満点であることを伝えた。

 すると愛野さんは、驚きを通り越してその場で動かなくなってしまった。

 そんな「驚愕」を体現している様子の愛野さんが面白くて、僕の口角はどんどん上がっていく。

 愛野さんは意識が戻ってきたのだろう、目の前で笑っている僕の姿を見て、


「もぅ!こんなすごいこと聞かされたら、誰だってこうなるからねっ!」


 と言い、僕のことをポカポカと叩いてきた。

 そうしてしばらくされるがままになっていると、愛野さんも落ち着いてきたようで、


「…とにかくっ、川瀬が私には想像もできないくらい賢いってことは分かった」


 と、僕の言葉に納得をしてくれたようだ。

 そして、愛野さんは「尊敬」するような視線を僕に向けながらこう言ってくる。


「でも、本当にすごいねっ!だってあの東大だもんっ」


 「すごいな~っ」と愛野さんがずっと褒めてくるので、僕はこそばゆい感覚を味わう。


「川瀬は文学部って言ってたけど、そこには何か理由があるの?」


 ふと気になったという感じで愛野さんがそう聞いてくるので、僕はその理由を答えた。


「色々なことがあった中学の終わりから本を読み始めて、今は趣味にまでなっている『文学』を、もっと深く学びたいと思ったんだ。それに、東大には尊敬できる文学の先生もいるしね」


「なるほどっ」


 愛野さんはうんうんと頷き、「川瀬と言ったらやっぱり読書だもんねっ」と楽しそうに笑い始める。

 愛野さんが言うように、きっかけはどうであれ、今や読書は僕のアイデンティティの一つなのだ。


「私じゃ勉強の手助け…はできないけど、でもっ、合格できるようにいっぱい応援はするからねっ!」


 僕の話を聞いた愛野さんは、僕のことを「応援する」と言ってくれた。

 その気持ちに嬉しさを感じ、僕は「愛野さんに話して良かった」と心から思った。


「もちろん僕も愛野さんのことを応援するから、一緒に合格目指して頑張ろうね!」


「うんっ!」


 お互いの進路を伝え終えた僕と愛野さんは、次はお互いに応援し合うことを新たに約束した。

 そうしていると、


「姫花お待たせー!…って、川瀬くんもいるじゃん!二人で何か話してたのー?」


 と言いながら、南さんが勢いよく教室の扉を開けて中に入ってきた。

 南さんは僕たちが何を話していたかが気になるようで、そんな南さんを見た愛野さんは、


「ねぇ川瀬っ、朱莉にも志望校教えてあげてよっ」


 と、少し楽しそうな笑みを浮かべながら僕にそう提案をしてくる。

 愛野さんに話した後は南さんにも伝えるつもりをしていたし、愛野さんが考えていることもすぐに理解した僕は、南さんに進路のことを話していたと説明し始めた。




 僕の志望校を聞いた南さんは、愛野さんの予想通り「えぇーっ!?」と驚きの表情を見せ、そのリアクションの大きさに僕と愛野さんは笑い声を上げるのだった___。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る