#75 一緒
三学期が始まって二日経ち、今僕はアルバイト先の前で深呼吸をしていた。
冬休みに入る前のシフト提出の時、僕は十二月二十五日からのシフトを白紙で提出していた。
あの時の僕は、その日に命を絶つつもりでいたからだ。
そうして三学期が始まる前日、僕はアルバイト先に電話を掛けた。
その電話には店長が出てくれたので、僕はシフトに入らなかったことを謝り、これまでのようにここでアルバイトをさせて欲しいと伝えた。
すると、店長は「もちろん」と僕のお願いに頷いてくれた。
そこからはどのシフトに入れるかの相談を行い、今日がこうして年明け一発目の出勤になったというわけである。
中に入ると店長の姿があったので、
「おはようございます!」
と、僕は元気に出勤の挨拶を店長に伝えた。
店長も「おはようございます」といつもの優しい声色で挨拶を返してくれた。
色々とあって間を空けてしまったにも関わらず、こうして温かく迎え入れてくれた店長の優しさに感謝をしつつ、僕は事務所の扉を開けた。
事務所の中には、いつもの二人の姿があった。
二人は僕が中に入ってきたことに驚いた顔を見せ、
「おっ!川瀬っちじゃねえか!」
「はじはじ~久しぶりです~」
と僕に声を掛けてくる。
二人と会うのは二週間振りくらいだろうか、あまり期間は経っていないのに、僕は二人の様子に懐かしさを感じてしまう。
いつも通り過ぎる二人にクスっと笑いつつ、僕は二人に返事をした。
「戌亥さん、柄本さん、久しぶりです」
そう言った途端、二人は僕の方に駆け寄ってきて、僕の顔をジロジロと観察し始める。
「…なぁいぬちゃん、今俺らの前にいるのって、本当に川瀬っちか?」
「こーた先輩、昨日テレビで宇宙人が人間に化けているっていうのをるかちゃん見ましたよ~?」
「つーことは…やっぱり川瀬っちじゃないのか!?」
僕の雰囲気が変わったことに驚く人は何人かいたが、ここまで驚いているのはこの二人くらいだろう。
「宇宙人でもないし、僕は二人の知ってる川瀬朔本人だから」
何とも凄い方向にまで誤解をされてしまったので、僕は二人にツッコミを入れた。
そうすると、
「俺たちの知ってる川瀬っちはそんなんじゃないやい!」
「はじはじを返せ~」
と二人は更に誤解をし始めた。
そして僕は、二人の誤解を解くのにしばらく時間を使うのだった。
「いやぁーすまんすまん!まさか川瀬っちがこんな感じになってるとは知らなくて」
「姫ちゃんが言ってたはじはじが変わったっていうのは~こういうことだったんですなぁ~」
「…ようやく信じてくれた」
二人の誤解を解いた後、僕たちはそれぞれソファや椅子に腰掛ける。
アルバイトが始まる前から疲れた気がしないでもないが、二人は僕の変化に納得を示してくれた。
「でもよ、川瀬っちが最後に会った時よりもずっと明るくなってて、何だかホッとしたぜ」
「目の下の隈もなくなってて~本当に別人かと思いましたよぉ~」
「いぬちゃんそれな。前はクールな感じだったけどさ、川瀬っちってこんな可愛い顔してたのな」
「元気になったようで~るかちゃんも嬉しいです~」
そうして二人は、さっきまでのふざけた感じとは違い、僕が元気になったことに笑顔を見せ始める。
最後に会った時、僕は二人が話し掛けてくるのを無視し、ただアルバイトの業務をこなして家へと帰った。
それは、二人が僕に心配を向けているという事実を認めたくなかったからだ。
認めてしまうと、決心が鈍ると思ったから…。
そんな良くない別れ方をしたにも関わらず、二人は僕にこうして優しく接してくれている。
店長や、戌亥さんに柄本さん、僕はこんなにも優しい仕事仲間に恵まれて、本当にここでアルバイトをしていて良かったと強く感じる。
「二人とも、心配してくれてありがとう」
そんな素敵な仲間たちに、僕は感謝の気持ちを伝えた。
二人は照れくさそうな表情を浮かべながらも、僕の感謝を受け取ってくれた。
そして僕は、カバンからスマホを取り出す。
「戌亥さん、柄本さん、良かったら僕と連絡先の交換してくれない?」
ここにアルバイトで入った最初の頃、二人はこうして僕に連絡先を交換しようと言ってくれたが、スマホを持っていなかったこともあり、僕はその申し出を断った。
二年近く時間が経ってしまったが、僕はあの時の申し出を改めて自分からお願いする。
二人は僕がスマホを持っていることに再び驚いた表情を浮かべたが、すぐにこう返してくれた。
「良いぜ!」
「もちろん良いですよ~」
そうして僕たちはお互いに連絡先を交換し合い、三人のグループを作ったりして盛り上がった___。
***
学校で愛野さんと関わり、放課後はこれまでのようにアルバイトに励んで早くも二週間が経とうとしている頃、僕は愛野さんと南さんと一緒に学食で昼ごはんを食べていた。
これまではコンビニでもらってきたものを教室で食べていたが、日奈子さんから学食を利用するようにとのお達しが冬休みの間にあった。
夜はコンビニでもらえる弁当でも良いが、昼くらいはバランスの取れた食事を食べなさいとのことで、僕はこうして学食のごはんを食べている。
学食のメニューが色々あるという情報は知っていたが、サラダやみそ汁の付いた健康的なメニューがこんなに多くあるということは知らず、今まで食費が掛かるから利用したくないなんて言ってごめんなさいと、僕は学食に頭を下げておいた。
学食を利用することを愛野さんに話すと、「一緒に食べよっ♪」と言ってくれたので、最近は愛野さんと南さんとごはんを食べるのが当たり前となっている。
そうしてお昼ごはんを食べ終わり、三人で次の授業の会話をしながら歩いていると、
「おい、川瀬。こっち付いて来いよ」
と、後ろから突然声を掛けられた。
その方向に視線を動かすと、坂本くんたち男子六人組がそこにはいた。
その六人が言いたいことに察しが付いた僕は、
「愛野さん、南さん。先に教室に戻っててね」
と二人に伝え、その六人の後ろを付いて行く。
二人は心配そうな顔をしていたが、どこかのタイミングで彼らに声を掛けられることは分かっていたので、むしろこうして話し合いの場を設けてくれたことに感謝をしたいくらいだ。
そのまま階段の踊り場まで移動をすると、前回のように六人が僕のことを囲んできた。
「俺ら、お前に『いなくなれ』って言ったよなッ!?どうして愛野とお前が一緒にいんだよ!?」
坂本くんはイライラした様子を隠そうともせず、毎度の如く僕の胸倉を掴んでくる。
しかし反対に、僕の心は穏やかなままだった。
彼らが胸倉を掴んでくる以外の手荒な真似はしてこないというのももちろんあるが、一番は彼らの主張なんて僕にはもう「関係ないこと」からだ。
それに、彼らの行動の動機が「嫉妬」であることは分かっているため、僕はそれ以上の「想い」で彼らと真正面からぶつかることにした。
「僕が愛野さんと一緒にいたいからいるだけだよ?確かに坂本くんが前に言ったように、愛野さんは僕なんかが話して良い相手じゃないのかもしれない。愛野さんは学校の人気者で、本当に眩しくて優しい人だから。だけど、それでも、僕は愛野さんと一緒にいたいと思ったんだ。そこに釣り合ってないとか、相応しくないとか、そんなのはもう関係ない。だからもう一度言うね、僕は愛野さんと一緒にいたいからいるだけだよ」
この説明で坂本くんたちが納得することはないだろう。
現に今も「何気取ってんだよッ!」と坂本くんは胸倉を掴む力を強くしており、僕の言葉を受け入れようとはしていない。
でも、別にそれで良い。
坂本くんたちに、一から十までこれまでのことを話す義理もないのだ。
僕がこれからも愛野さんと一緒にいることを知ってもらえればそれで良い。
言うなれば、これは僕からの「宣戦布告」だ。
好きなように僕のことは悪く言えば良いし、好きなように煙たがれば良い。
だけど、僕はもう愛野さんを遠ざけて悲しませるなんてことはしない。
不満があればいつでもこうして話し合いにも応じよう。
でも、愛野さんと「一緒にいたい」という気持ちは、坂本くんたちにも、もちろん他の誰にも負けるつもりはないけどね。
僕の反応がこれまでと違うことに六人は不満げな様子であり、
「何でこんなヤツが愛野さんといるんだよ」
と一人の男子が嫉妬交じりにそう呟く。
その男子とは、花火大会の時に愛野さんへと告白をした田村くんだった。
彼の呟きが他の五人にも伝播し、それぞれが口々に僕のことを悪く言い始める。
その瞬間、
「川瀬のこと悪く言わないで!」
と言いながら、愛野さんが六人の囲いを抜けて僕の隣へとやってきた。
てっきり教室に戻っていたとばかり思っていたので、僕は愛野さんの登場にびっくりとしてしまう。
他の六人も同じような反応を浮かべ、その場で固まってしまっていた。
「何でみんなは川瀬のこと悪く言うの!?川瀬は何も悪いことしてないでしょ!?」
六人は、普段の愛野さんとは全く違う怒った様子に、思わず一歩後ずさる。
そんな中、坂本くんは「で、でもよ…っ」と声を発しながら、愛野さんに媚びるような笑みを向けた。
「愛野だって、こんなヤツに付き纏われて迷惑なんじゃねえの?」
他の男子もうんうんと坂本くんの言葉に同意を示しており、愛野さんを「気遣う」ような視線を向け始めた。
彼らの目には、愛野さんは僕に付き纏われた「可哀そうな女の子」のように見えているのだろう。
六人からは、ここで愛野さんに寄り添うことで愛野さんとの距離を縮めようとする、そんな「下心」のようなものが感じられた。
しかし、愛野さんにそれは逆効果だった。
「迷惑なんかじゃない!私は自分の意思で川瀬と一緒にいるの!みんなの勝手な思い込みを、私に押し付けてこないで!!」
愛野さんからの反論に、坂本くんたちはばつが悪そうな表情を浮かべる。
そのまま愛野さんは田村くんの方に視線を向けた。
「田村くんさっき言ったよね、何で『こんなヤツ』が私と一緒にいるんだって。田村くんは知らないと思うけど、川瀬は本当に優しくて、思いやりのある男の子なの。少なくとも、複数人で寄ってたかって悪口を言うようなみんなとは違うから」
愛野さんの言葉を聞き、田村くんは悔しそうな表情で押し黙る。
そして、愛野さんは僕の腕に自分の腕を絡め、六人に向けてこう言った。
「みんながこんな人たちだとは思わなかった。もう二度と、私と川瀬に関わらないで」
「行こっ、川瀬」と愛野さんが言うので、僕と愛野さんはその場を後にする。
横を通り過ぎる時に見た六人は、全員が呆然とした様子を浮かべており、愛野さんの「拒絶」が思ったよりも効いているようだった。
階段を上がると、
「やっほー、川瀬くん」
と南さんが声を掛けてきた。
愛野さんがいるのでもしかしたらと思っていたが、案の定南さんも近くにいたらしい。
そのまま僕たちは、少し遠回りのルートで廊下を歩いていく。
南さんは今の会話を録音してくれていたようで、
「何か言ってきたらこれで黙らせよう!」
なんてかなり物騒なことを言っていたが、愛野さんの言葉にかなりショックを受けていた様子だったので、六人が絡んでくることは恐らくないだろう。
そして僕は、未だに腕を掴んで離さない愛野さんに視線を向け、感謝の言葉を口にする。
「愛野さん、さっきは助けてくれてありがとう」
僕の言葉に頷きを返してくれたものの、さっきの怒りが収まっていないのだろう、愛野さんの表情はまだ少し険しいままである。
僕のためにここまで怒ってくれるのはとても嬉しいが、愛野さんにはより相応しい表情があるということを僕は知っている。
そのため、
「僕は怒ってる顔よりも、笑顔の愛野さんが見たいなぁ」
と自分の思ったことを愛野さんに伝えた。
すると、愛野さんはすぐに耳まで真っ赤にさせ、
「…ばかっ」
と言いながら、僕の腕にもっとくっ付いてきた。
そんな可愛い反応を返してくれた愛野さんに、僕は笑みを浮かべながらこう言った。
「これからも一緒にいてね、愛野さん」
僕の方を見つめた愛野さんは、同じように笑みを返してくれた。
「うんっ♪」
もう愛野さんの顔には、怒りの色は浮かんでいなかった。
そうして僕たち三人は、次の授業に遅れないように教室を目指す。
「…これはまたブラックコーヒーですなぁ」という楽しそうな南さんの呟きは、僕と愛野さんには聞こえなかった___。
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